見出し画像

4:成長の実感と喜び

朝6時に起きると、トムとキムを起こさないように身支度、軽い朝食を済ませ7時前には出発する。

練習場所はバンクーバーの東の方で、バスで1時間ほどと離れた場所だ。
Empire Fieldと呼ばれる運動施設でサッカーコート二つ分の周りをタータンのトラックが囲っている。一般的な400mのトラックとは異なり、長方形の1周580mのコースだ。


9時前に到着すると何人かはウォーミングアップを行っており、また短距離の練習をする人の姿も見受けられる。

軽いジョギングを済ませると時代にクラブのメンバーが集まりだしてきた。
ケビンから今日の練習メニューについて説明が行われる。
「8分走+800m×8本+150m×4」
なかなかボリュームの多い練習で、昨日の登山のダメージがややあり、「脚も張ってるし抑えめにしておこうかな」と誰にするわけでもない言い訳を考える。

水曜日に頼まれていたウォームアップのレクチャーの時がきた。
改めてケビンによる紹介を受けて、みんなの前に出る。
全くの初心者に説明するわけでなく、相手は経験を積んだランナー達なので目的、そしてどのように取り入れているのかの例をはっきりさせる必要がある。

10年前、バンクーバーマラソン前の交流イベントの時に日本人参加者もいるので、挨拶をしてくれと頼まれたことがある。できるなら日本語と英語の両方でというものだったが、英語での挨拶は避けて日本語だけにした記憶が蘇る。特に罰や褒美があるわけでもないが、自分自身に対して成長したことを証明したいような気持ちがあったのかもしれない。

「I’ll walk you through the stretches and drills I do before a workout」

やや緊張しつつも、普段はボソボソと低い声で話すのだが(学生時代の時に何言ってるかわからないと注意を受けたことは多々ある)、声を張り、ちゃんと聞こえるようにを意識する。
中学時代、佐賀県のクロスカントリー大会前に選手宣誓を任された時は顧問の先生に心配されたのを思い出す。先生も自分のそれを乗り越えることで頭がいっぱいでその後のレースを二の次だった。(実際に選手宣誓が終わると全てをやり切った感でレースはあまり集中できていない)

ストレッチやドリルのレクチャーを始めると、みんなが真剣に話を聞いてくれいるのが分かる。自分の意見、考えを聞いてもらえることは何より嬉しいことだ。たとえ点での参加ではあるが、コミュニティに受けて入れてくれることに感謝。

一通りレクチャーが終わるとみんなからの拍手、「Thank you」の感謝の声、また「この動きは面白いから今後取り入れてみるわ」と女性のランナーが言いにきてくれた。

ランニングをやっていると数字がどうしてもついて回る。タイムや順位などで分かりやすい反面、数字に頼らなければ自分の成長が分からないというのも悲しいものだ。
量と質を語られることは色んな場面である。数で数えられるもの、定量化できる指標の変化を量とし、定量化できない、数字で表せないものを質とするなら、今はまさに成長の質を実感できた瞬間なのかもしれない。
「いつもより苦しさを我慢できた、走りのリズムを掴む感覚がわかってきた、ペースのコントロールが上手くなった」などランニングでも成長の質を感じる点はいくらでもある。量より質と言いたいわけではなく、量にしか頼れないがよくないのだろう。

さて心と身体のウォーミングアップも済んだところで、いよいよメインのセッションに入る。
8分走はトラックのさらに外周になるアスファルトを走る。こちらではよくThreshouldと呼ばれ、最近は日本でもLT走などという言葉を聞くようにもなった。

運動をする上で主なエネルギー源は脂肪と糖になる。運動強度が低い(相対的なため、どの程度が低強度の運動になるのかは個人差がある)場合は主に脂肪がメインとなり、運動強度が高くなるとエネルギー源の割合が糖へとシフトする。
糖を分解する過程で疲労物質が生産される。「乳酸が溜まる」という表現は運動をしているとよく聞くことがあると思うが、乳酸自体は疲労の原因ではない。ただ疲労物質が多く出ている時には乳酸も多く生産されるため疲労度の指標として乳酸が用いられる。
エネルギー源の割合が糖へとシフトし、ある割合まで達すると急に血液中の乳酸濃度が高くなる。この強度を超えるとペースを維持できる時間が短くなるため、マラソンなど長く走る上ではこの強度よりも遅いペースで走る。
練習中に血液を採取し、乳酸濃度を計測する人もいるが個人ができるものでもない。施設で測定してくれるところもあるが、その日の体調、気候によっても変動するため固定のペースが存在するわけでもない。
人によっては歩くだけでこの強度を超える人もいて、運動不足の人なら走る行為そのものが低強度にはならないので、「楽なペースで走りましょう」というアドバイスが役に立たないのもそのためだ。

「まあ程よい苦しさで走れよ」程度の解釈でいいだろう。といっても自分にとって程よい苦しさを知るには経験がいるので簡単ではないが。

8分走を程よく走ると今度はトラックでの800mに移る。
ここからはもう一段ペースを上げていく。
「5本くらいで辞めようかな」ここでまた弱気な面が表立ってくる。

しかしスタートを切り、ペースは違うにしても、みんなが頑張って走っているのをみると必然と途中でやめる選択肢は頭の中から消える。
以前に「初心者向けのインターバル走」と題して練習会を行ったことがある。最大〇〇本、ノルマは〇〇本と事前に伝えると渋る様子を見せつつも結局全員が最後まで行う姿があった。仲間の存在とは大きなものだ。
ただ体調不良や身体の痛みがある場合など途中でやめた方賢明な時もある。仲間と一緒にやると心理的に辞めにくい状況になるので、このような場合は悪影響を及ぼしかねない。

「走りのリズムが良くなる」という表現をすることがある。心の面も含め、身体の各部位が調和してペースを落としたわけではないのに余裕が生まれてくる。
一度リズムを作ると心地よさが出てくる。ランナーの人が街中の信号で止まりたくないのはそのようなこともあるだろう。トップの選手がマラソンの給水でペースを落とさないようにするのもリズムを崩さないためだ。

この点は生活や仕事のリズムを変えたくない、環境の変化を避けたがる人の心理と似ているかもしれない。リズムができると心地よく、一度崩れると立て直すのは容易ではないからだ。
バンクーバー出発前の心理状況もこのような感じだったのだろう。

いいリズムに乗ると思ってもいないタイムでゴールする時がある。最後の2本は無理した感じではないが予定よりもだいぶ速くなっていた。

数人のランナーとダウンジョグへ向かう。ハードな練習後は肉体的にはきついが精神的には清々しい。「〇〇がきつかったとか、最初に飛ばしすぎた、もう辞めようかと思った」など練習中に感じたことを話し合う。聞いているとみんな似たような思いの中走っていることが分かる。共有しあう時間は楽しい。

練習後はカフェでドリンクやフードを買って、近くの公園でひと時を過ごす。オーストラリアのクラブの時もよくやっていたが、この頃からピクニックが好きになり始めていた。


ケビン(写真左前)のお気にいりの公園で練習後の団欒

世界には姉妹都市提携というのが存在し、各国の都市同士でも交友があるようだ。マラソン大会でも姉妹都市同士の優勝者や成績優秀者などが派遣されたりもする。

このような正式な協定でなくても、ランニングクラブ間で繋がりを持って国際交流ができればいいねという話をケビンと行う。

練習後はダウンタウンへと移動。
少し街中をブラブラして周り、ダウンタウンの港際にある少し高級感ただようレストランへと向かう。
10年前、バンクーバーに到着して最初の1ヶ月をホームステイさせていただいたフィリピン人家族との再会だ。
お父さんは工事の仕事で出張中、長女は仕事で実家を出ているとのことで、お母さんのジーナ、次女のイディギル、三女のエレノアの4人での会食。


左前:エレノア、左後ろ:イディギル


当時はイディギルが13歳、エレノアは2歳だったため、あれから10年、23歳と12歳になった2人との再会にはやや緊張した。
「Hello, good to see you」
そうやってレストランの入り口で再会する。
「Do you remember me?」とイディギル。
当時は無口でほとんど会話をしなかったイディギルだったが、今では正反対の性格になったかのように陽気で話しかけてくる。
一方のエレノアは「この人誰かな」みたいな表情で見つめるのみ。
もちろん自分のことは覚えていないようだが、それも仕方ない。

沈黙の会食という不安をやや抱いていたが、そんな心配は不要だった。
学生時代はほとんど友達がいなかったというイディギル。仕事を始めてからは次第に友人ができ、違う世代の人とも関わるようになって社交性が磨かれたという。現在は病院の受付をしているというが、学校に通って看護師になる目標があるそうだ。

ジーナが「こっちに来ても走ってるの?」
ホームステイの時も走りに行っていたので自分がランニングをやっていることは知っている。
今はランニング指導をメインに仕事していることを話すとイディギルが最近はハイキングにも興味が出てきたことを話してくれた。
先日はバンクーバーで有名なグラウス・マウンテンに登りに行って思った以上にしんどかったそうだ。
約800mの標高を2.9kmの距離で登るため傾斜がきつい。毎年レースも行われる。


お母さんのジーナも最近友人に誘われてスパルタンレースによくわからないまま出場して地獄を見たそうだ。

「もし私がランニングを始めるならどんなことからやればいいの?」とイディギル。
「どんな練習をやるかよりも、自分の生活スタイルにどうランニングを取り込むのがやりやすいかを見つけることが大事と思う。最初は5分でも、なんならシューズを履いてまずは外に出る習慣をつけるところからでも」

まずは細かい点を気にするより、どうやってスタートを切り、継続できるのか、が初心者は大事だとランニングの指導、デッサンのレッスンを習って学んだことだ。

先日参加した女性向けのランニングコミュニティの話をすると少し興味を持ったようだ。
「私は5分も走れない」エレノアが初めて言葉を発する。
会話をしたとは言えないが、嬉しい瞬間だった。

家に籠ることが多いようだが、最近はバドミントンを習うようになったそうだ。お父さんが迎えに行くとエレノアの姿が見えなくて探していると地面に横たわってしばらく動けなくっていたという。
お母さんのジーナが話してくれるとエレノアは少し恥ずかしそうな笑みを浮かべる。

「やっぱ動かないとダメよ」

あっという間に2時間ほどが経ち、レストランを後にする。
「車で来たから送って行こうか?」
練習の疲れもあり、バスを乗り継ぐのは面倒だったのでここは言葉に甘えて送ってもらうことに。

23歳なら車の免許を持っていても不思議ではない。助手席に座れせてもらい、イディギルの運転する姿を見ると、最後にあった13歳のイディギルに送ってもらうのは妙な気分だ。

免許をとりたての頃、運転中にバッテリーが上がり街中の交差点で車がストップしたことがあるらしい。パニックになってその場で泣き出してしまったそうだ。運よく後ろの車の人がサポートしてくれて大事にならなかったそうだが、しばらくは運転がトラウマになったという。しかしその経験から車のバッテリーの存在について理解でき、(実際には免許の試験で学ぶのだが、実際に経験するまでは抽象的なものでしかないのだろう。実際に自分も人の車のバッテリーあげたことがあり、その時にバッテリーについて理解した)何に気をつける必要があるのかを学んだそうだ。

イディギルのトークが止まらないまま、あっという間にキムの家に到着した。
また次会うのはいつになるのかは分からないが、こうやってバンクーバーに来る楽しみが一つ増えた。
エレノアが助手席に移動し、笑顔でこちらに大きく手を振ってくれている。

自分の成長を感じることも嬉しいが、人の成長を感じるのも喜びがある。
コーチングの喜びはその点を間近で感じれることだろう。

帰りも遅くなり家に着くと電気は消えていた。
今日も色んなことを考え、動いたので疲れがどっとくる。

さあ明日はもう帰国の時間だ。


日常からの学び、ランニング情報を伝えていきたいと思います。次の活動を広げるためにいいなと思った方サポートいただけるとありがたいです。。