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プールで溺れかけた時 勘違いが生み出すパニック

プールサイドの端に立ち、今まで通り何の躊躇いもなくプールの中へ飛び込んだ。
足が底について水は胸あたりの位置にくることを当たり前のように想定していたであろう私はプールの中でパニックに陥った。
足がつかない。
すぐ底にあるであろうはずの底がなく、飛び込んですぐに泳ぐ準備ができていなかった私はやや溺れかけの状態で水の中をあたふたしていた。
どのくらいの時間だったかは覚えていない(おそらく数秒程度だろう)が冷静さを取り戻すと体勢を整えて上に向かって泳ぎ、顔が水面から出ると事なく済んだ。顔を出した正面には水深を示す、2.5Mの文字があった。

これはハワイのマウイ島に住んでいた時に連れて行ってもらった市民プールでの話だ。
通常のプールで、そこには小さな子供たちも泳いでいたので水深が深いだなんて頭を過ることはなかった。
日本のプールでは(私が行ったことのあるプール)中央に排水溝があり、サイドよりも中央の方が水深が深くなっている。アメリカのプールなのか、そこのプールなのかは分からないが、マウイ島で行ったプールは片方の水深が浅く、もう一方が深くなっていた。子供たちが泳いでいた方のサイドは水深が1.2mほどで私が飛び込んだ方のサイドとは2倍以上違っていた。
その時は水深の深さがパニックになった原因と思っていたが今振り返ると問題は水深の深さではなかった。というのマウイ島にいる時はこのプールよりも遥かに深い海に飛び込んでいて溺れることはなかったからだ。実際に一緒にプールに行った日本人の知り合いもプールに飛び込んだ後パニックで溺れかけた。どうやら上からは水の中で私に何が起きているのかは分からなかったようで、彼も何の迷いもなく飛び込んで同じようになった。(悪戯心から水が深いということをあえて伝えなった)
2人とも海に飛び込むときはどのくらい深いかは分からないが深いだろうという想定のもと飛び込んでいるためその準備がある程度できている。そこには自分の知らない世界が広がっていて、予想外が起きるのは当然のことだと。

私のパニックの原因はプールの深さを知らないにも関わらず、知っていると勘違いしていたことにある。今までの経験から、そこには同じような世界があると勘違いしていて予想外の出来事が発生したからだ。


ナシーム・ニコラス・タレブは著書「ブラック・スワン」でまずありえない事象を黒い白鳥と呼ぶ。そこには、普通は起こらないこと、とても大きな衝撃があること、そして事後には予測可能であること、の三つの要素を含むという。
この黒い白鳥の事例が起きるのは、分かっていることと、分かっていると思っていることの差の域であるという。
私のマウイ島でのプールの出来事はまさに黒い白鳥だったわけだ。

しかし似たような現象は大なり小なり日々起きていると思う。そしてランニングの指導の現場でもこのようなことは起きる。
今までの練習を元にペース、距離、休憩時間を設定する。そこまで追い込む練習でもないので当然できるであろうと想定する。しかし、時に相手が全然走れない時がある。パニックとまではいかないがやや混乱する。何でこの練習ができないんだろうと。
振り返っていろいろ原因を考慮しようとするが完全にこれだと理解するのは難しい。都合よく解釈するのは簡単なのだが。
どうやら人間は後知恵で自分が分かっていないことを上手くごまかすことに長けているようだ。なので自分が分かってるつもりになっていることを分かりにくくしてしまう。そのため出来ると思っている練習が出来ないと毎回のようにいちいち取り乱すのだろう。
長く長距離の練習をしている人なら誰もがなんで今日はこんなに走れなかったんだと感じた日は少なくないと思う。
出来るか出来ないかの練習に挑戦するときはあまりそのような事は起きないように感じる。というのもこのペースでこの距離を走るのはどうなるか分からない、走る本人の心構えが知らない世界へと向いているからだ。サプライズは当たり前と想定している時は意外にもサプライズの中でも冷静さを保てる。(といよりはそんな時はサプライズにならないと言った方がいいのだろうか)
いずれにしても、出来るだろうと思っていた練習をできなかった時、走れなかった本人に問題があるだろうと考える。

しかしもっと大きな問題は練習を課す側が相手のことを知っている前提でできる練習を作る時だ。他人のことを全て理解するのは無理である。常に分からないことが存在しているのを、なぜか分かっていると勘違いしているために、「こんなはずじゃない、こうであってはいけない」と感情が乱れだす。
真の問題は予想外に対する私たちの見方にあるのだろう。

この知っているという勘違いを完全に無くすのは難しいかもしれない。なので予想外と感じた時、そこには自分の知らない世界が多くあることを実感していくことが大事なのだろう。その度に知らない世界に飛び込んでいく気持ちを思い出さなければいけない。

誰もが全く知らない世界には予備知識がないため知っているという勘違いは起きにくい。
「初心に帰る」ことが大事なのは、知っているという勘違いへの予防策となるのだからだと思う。


日常からの学び、ランニング情報を伝えていきたいと思います。次の活動を広げるためにいいなと思った方サポートいただけるとありがたいです。。