母との死別 苦しい 助けてほしい

母の大腸がんの発覚。


久しぶりののnoteの更新だ。母が亡くなり、死別を受け入れるにはとインターネットで検索し、自分の気持ちを書き出すみたいな文章が目に入ったからだ。だから今日は長々と書いていきたい。

母は3年前 ステージ4の大腸がんだと診断された。その頃は父も生きていたが認知症が目立ってきたころだった。  
それからは姉二人は生活のサイクルが激変したのではないかと思う。母への病院の付き添いや買い物の付き添い(父は認知症でこの店に行きたいみたいなものがあったたため)などが出てきたからだ。生前、母が言っていた「私の子どもたちは嫌な顔せず本当によくやってくれる。」私もそう思う。父が亡くなった時も姉たちが全部やってくれた。たぶん母が亡くなった現在も姉たちがやってくれている。

ただ、私は母に対して何もできることはなく、亡くなる前も亡くなった後もただただ不穏になっているだけだ。ただ私にもターニング・ポイントはあり、障害者の移動支援の仕事を辞め、私自身がADHD、ASD 軽度知的障害
の障害が認められ、グループホームへの入居 ストレスの少ない在宅ワークへの仕事が決まったことはターニングポイントになっている。

母との思い出作り

母が大腸がんになってから、姉二人の家族と私、積極的に色々な場所に出かけて行った。なばなの里にイルミネーションを見にいったり、演歌のコンサート、母と二人だけではあるが抽選であたったドリカムのコンサートや劇団四季のミュージカルやアニー チームラボや西遊記の舞台 ユニバへの一泊二日の旅行 本当にいっぱい言った。私のハンドメイドのマルシェやクリエーターズマーケットにも顔をだしてもらい 私の晴れ姿を見てもらった。

母の余命宣告

そんな日々が三年間続いていたのだが、恐れていた日がついにやってきた。
姉が病院に連れて行った際に「死期が近づているのかもしれない。」と聞き 別の日に別の先生から「大体の余命は桜がみれればいいかな」ということだった。

地獄のような不穏の日々。毎日のように担当の訪問看護に電話をかけた。

最初は嫌に落ち着いていたが、日が経つにつれ不穏が目立ってきた。大好きな母との死の別れの恐怖。自分は正常で入れるだろうか。テレビで家族や死など何か関連するようなものは見れずにいた。不穏になるたびに訪問看護さんに電話をし話を聞いてもらっていた。

恐れていた日がやってきた

私のメンタルクリニックの通院日に姉から電話があった。「お母さんが呼びかけても反応しない。」 
通院をキャンセルし、急いで長女の家へ向かった。意外と精神は落ち着いていて、ただただ電車の中で「お願いだから僕がつくまで持っていてくれ 死なないでくれ 亡くなる時はそばにいたい」と願うばかりだった。姉の家についてなんとか亡くなる前に間にあった。それから30分もしないうちに母は亡くなってしまった。不思議なことに胸の奥がつっかえたものが取れたようでむしろスッキリさえしていた。だが、二日後 葬儀がおわり食事をしたとき、いつもいるはずの母がいない現実にガツンと悲しみがやってきた。

そして今 現在、怒りや辛さ、苦しさ、泣き喚きたい 叫びたいなど様々な感情が入り乱れている

まだ母が亡くなって三週間たってもいないぐらいなのだが、また毎日のように不穏になりかけてきている。訪問看護さんへの電話も増えてきている。この苦しみは一生続いてしまうのか、人は時間が解決してくれるというけど本当に時間が解決してくれるのか だったらいつになったらこの気持ちは和らぐのか 正直苦しい 叫びたい 泣き喚きたい 暴れたい そんな感情が入り乱れている。 今はそんな日々を送っています

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