幸せの形は人それぞれあります
出っ歯の電波通信 vol.190
山口です。
今日でいよいよ10月も最終日。
今日こそ正真正銘のハロウィーンです。
みなさん、仮装の準備はばっちりでしょうか。
ぼくは見た目の雰囲気からか、
仮装をしなくても桃屋のイメージキャラクターに
似ていると言われます。
目が小さくてメガネがちょっと下がっている感じですね。
親しみやすいキャラとして受け止めております。
あとよく言われるのが
声優の花江夏樹さんですね。
この方は鬼滅の刃の竈門炭治郎の声をされています。
山口の顔ってどんなだろうなと思われた方は
桃屋+花江さんを足して2で割った顔と
ご認識いただければと思います。
本日の記事は仮装とは全く異なったテーマで
記事を書いていこうと思います。
結婚
ぼくは幸いなことに、
昨年大好きで大尊敬のパートナーと
入籍をいたしました。
いろいろ困難、苦難はありながらも
お互いに協力をしながら
乗り越えていく覚悟でございます。
この結婚というものの在り方について
最近大きく認識が変わってきたなと思います。
ぼくが子供のころ、今から20年ほど前までは
結婚して当たり前だったような気がします。
さらに過去にさかのぼると
芸能人の結婚式にテレビ記者も参加し、
結婚式の映像をお茶の間に届けておりました。
ぼくの父や母の世代はおそらく
芸能人の結婚式がテレビで放映されている影響もあり、
結婚式は親族、会社の関係者、知り合い、友人など
声を掛けられる人脈という人脈をフル活用して
盛大に挙式するというイメージがあると思います。
そんな一世一代の結婚式から、
徐々に規模は縮小傾向にあるのかなと思います。
もちろんいろんな方が新郎新婦をお祝いしたいために
たくさんの関係者を呼んで式を挙げることもありますが、
親族のみの挙式も今となっては珍しくありません。
書く言うぼくも、今年親族のみで
結婚式を執り行います。
結婚式の話をプランナーの方と進めていくと
錯覚するのです。
ここではあえて錯覚という言葉を使わせていただきます。
結婚式の話を進めていくと、
お互いにこの最高に幸せな状態が
未来永劫に続いていくものだと。
自論を申し上げますと、
努力しないと幸せは続かないものだと思います。
これは誰が悪いという話ではなく、
生物学的上の雄と雌が共同生活を送るという
ミッションインポッシブルのような任務を
自分の命を懸けて、自分の命が尽きるまで
継続をしなくてはいけません。
これは紛れもない事実です。
そして、婚姻届を提出するということは
法的な縛りによって契約をする
ということを忘れてはなりません。
だからこそ、ぼくは思うんです。
「結婚がゴールではない」
結婚がゴールではない
結婚は修行と勉強の始まりの合図です。
すべてが未知との遭遇です。
感情的にお別れを切り出そうにも
たくさんの手続きをする必要があります。
親族に報告をする必要もあるでしょう。
お金の話も当然出てきます。
結婚はあくまで自分の人生において成し遂げたい、
一つのプロセスであるという認識を持つ必要が
あるとぼくは思います。
現在では、籍を入れずとも
事実婚やお互いに信頼を置けるパートナーとしての
在り方も増えてきました。
わざわざ籍を入れる必要性が
そこまで重要視されておりません。
ぼくの知り合いの方でも、
法的縛りを脱するために夫婦の関係に
終止符を打つものの、
今までと変わらず最高のパートナーとして
生活を続ける家庭もあります。
結婚すると名字が変わります。
希少な名字がゆえに変えたくないから
籍を入れないという方もいらっしゃいます。
現在の日本では良い意味で
周りの目を気にするというより、
自分の生き方に重きを置くというような
傾向にあるのかなと思います。
LGBTQも同じなのかなと思いつつも、
こちらはまだまだ認識の差を埋めるのに
時間がかかりそうな気がします。
ただ、そう遠くはない将来では
当たり前になっているでしょう。
最後に
結婚が悪いわけではありません。
ぼくも結婚をしておりますし、
なにより両親が安心します。
何かしら見える形で両親を安心させる一つの方法として
結婚はとても有効だと思います。
ただ、そこにとらわれ過ぎて、
本来の自分のしたかった生き方までを
変える必要はないと思います。
ぼくは進んで、妻の尻にしかれたいがために
籍を入れました。
ぼくはこれが幸せだと思っております。
幸せの形は人それぞれあります。
周りの意見に流されず、
自分の幸せの形をみつけることが
今の社会においては必要なのかなと思います。
それでは今日はこの辺で。
ありがとうございました。