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一生懸命、一笑懸命

出っ歯の電波通信 vol.173

こんばんは。
山口です。

いよいよ10月に突入しましたね。
朝晩とお昼で寒暖差が結構激しく、
毎朝、出かける服装に悩みがちな今日この頃です。

今回は、ぼくの最近のトピックスについて
書いていこうと思います。

最近のトピックスは

ぼくの祖父が、8月の下旬にこの世を去って、
昨日の10月2日に無事、納骨を終えました。

ぼくが祖父に最後に面会することができたのは、
亡くなる1カ月前でした。

父親から、おじいちゃんの体調が良くないから、
一度、実家に帰っておじいちゃんに会ってほしい
と連絡がきました。

事の発端を聞くと、
今年の年明けに倒れてしまったようで、
倒れたときの打ちどころが悪く、緊急搬送、入院。
ひとまずは落ち着いたものの、
誤えん性肺炎にかかり、退院できずに、
入院生活を繰り返しているとのことでした。

今年の年明けに、年始の挨拶ということで
祖父、祖母にあいさつをして以来、
半年ぶりに会いました。

人ってここまで痩せるものなのかと驚くくらい、
祖父はやせ細っておりました。

ぼくが会いに行く1週間ほど前に
妹が面会に訪問したようですが、
祖父の体調が優れず、ずっと寝たままで
会話なんてできなかったそうです。


そもそも、昨今の社会状況的に
面会できること自体が奇跡的ではありましたが。


ぼくが会いに行ったとき、
祖父はとても元気でした。

ぼくの顔を見て、ちゃんと自分の孫が来た
ということを認識して、
しっかり会話ができるくらいとても元気でした。

ぼくが「結婚するんだよ」と報告をしたら、
とてもうれしそうに祝ってくれました。
そして祖父からは「努力はし続けるんだぞ」と
メッセージもいただきました。

祖父は7人兄弟の長男なんです。
ぼくが結婚の報告をすると、
今のご時世的にそんなに人なんて呼ばなくていいから、
山口家とお相手の家族だけでひっそりやろうと
祖父が提案をしてきました。


『・・・おじいちゃんの兄弟が一番多くて、
 すでにひっそりの規模を超えているんだよ』


祖父本人は大まじめに伝えたつもりでしょうが、
ぼくには冗談にしか聞こえませんでした。

そんな弱々しくも、元気な姿の祖父を見ることができ、
会話もできて東京に戻ってきて、
1カ月に祖父が亡くなったと仕事終わりに
母親から連絡をもらいました。

葬儀

山口家は、昔ながらの文化を重んじるお家柄であり、
納棺、告別式、火葬は結構しっかりやったと思います。

お坊さんからいただく戒名と呼ばれるものも
祖父は最上位の戒名もいただいておりました。

告別式で、弔辞を読むにあたり、
妹が自発的に、「私が読む」と自薦しました。
最後のお別れをしっかり行いたいと。

妹が最後に祖父と会った時は、
寝たきりで会話すらままならなかったため、
目を見て会話をできたぼくとは
最後の別れ方があまりにもさびしいものでした。

いざ、弔辞となり、
妹が祖父に向けて弔辞を読みました。


家族全員、祖父との思い出を思い出し、
めちゃくちゃ泣きました。


祖母が、火葬前の祖父を見て、
「置いていかないで、お父さん・・・」
と泣きながらすがる姿勢を見て、
さらに泣きました。

と同時に、祖父母の年になっても、
愛情を持ち続ける家庭を作ろうと
ぼくは祖母の姿勢を見て思いました。

火葬

火葬を行うにあたり、
祖父が天国に持っていってほしいものを考えている中、
ぼくも妹も、なにを持って行ってもらおうか、
一緒に考えておりました。

手紙という案も出したのですが、
妹は弔辞を読むので手紙は却下されました。

となると、孫の顔をいつまでも覚えていてほしい
という想いを込めて、写真を入れることにしました。

ただ、2人で今から写真を撮って現像するには
余りにも時間がない。


2人で考えた結果、
ぼくは人生で初めて、
妹とプリクラを撮りに行くことになりました。


今年、30歳になって、
まさか妹とプリクラを撮ることになるとは
思いもしませんでした。

しかも火葬前夜です。

思い立ったが吉日。即行動。
ということで、車を走らせ、
一番近くにあるスーパーのゲームセンターに行き、
妹と2人で仲良くプリクラを撮るミッションを
成功させてきました。

祖父が天国に行っても孫の顔を忘れないように
ということが目的でしたが、
いざ蓋を開けてみると。。。

ゴリゴリに加工、盛られた孫2人の
写真になりました。


『これ見て、孫の顔思い出せるかな・・・?』


まあ、ないより合ったほうが良いよね、
という結論の元、祖父にはぼくと妹の
詐欺プリクラを天国に持って行ってもらうことにしました。

天国に持って行ってもらいたいものを
各々想いを馳せ、祖父の棺に入れていくのですが、
明らかに、ぼくと妹だけが場違い感MAXのプリクラを
入れる姿はなんとも異様だったと思います。

納骨

そして、49日を経て、
いよいよ祖父がお墓に入っていきます。

祖父が一生を通して、息子、孫に伝えていただいた
言葉はあまりにも多いです。
山口家の次期当主として、覚悟を決めなおした
1日となりました。

終わりに

命を授かると、必ず最後を迎える時がきます。
祖父はたくさんの方から愛され、
尊敬され、悲しまれ、この世を去っていきました。

ぼくの最後はどうなるんだろう。
ぼくは自分の最後をどう迎えたいんだろう。

そんなことを考えました。

どれだけ多くの方々に影響を与えてきたか。
自分の生き様が、最後にお葬式という形で
総決算されるのだと思います。

ぼくは国葬とまではいかないにせよ、
自分の葬儀の時は、
スケジュールを調整してでも
最後の別れだから挨拶をしに来たよと
思われるくらいたくさんの人との関係を紡いで、
一生懸命生きていこうと思いました。

今回の話はちょっと重い話になりましたが、
だれもがいずれは迎える瞬間なので、
書こうと思いました。

それでは今回はこの辺で。
ありがとうございました。

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