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100分で名著「ソクラテスの弁明」西研著 読了

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哲学には2大テーマがあってそれは、

「世界原理の追求」と「価値への問い」

ソクラテスは、世界の原理は見方によって色々変わるので問い続けても意味がない。むしろ人間が問い続けるべきは「良さ」(価値)の根拠を問い続けることだと提唱。

著者自身もニーチェの著作を読んで「君が探している真理なんてどこにもないんだよ。真理を欲しがっている君がいるだけさ。君は真理を探すんではなくて、何が君に心からの悦びを与えてくれるのか、と問わなくちゃいけない」というメッセージを感じたそうです。

まさにソクラテスと同じ様に。著者によれば「良さの根拠」を「合理的な根拠に基づく共通理解」によって育てることを最終目的とした対話の営みが哲学ということ。

これも、これまで勉強してきた中では、ガブリエル的には「意味の場」であり、個人的にはハラリのいう「虚構」。

自然科学:広く議論を行い、根拠を出して、誰もが納得できる原理的で一般的な考え方を構築する学問→哲学の範疇ということ。

宗教には一般性はありませんが(信仰している人にとっては一般性はありますのでこの表現は微妙ですが)、哲学には一般性があるということです。

この時代のアテネは成熟社会で、ギリシアのなかでもデロス同盟の盟主として一番発展していたポリス。この豊かさの中、戦士国家としてのポリスにおいて質実剛健なモラルが壊れ「何が良いことなのか」はっきりしなくなってくる。そして長引くペロポネソス戦役(30年近く)を経る中で政情も不安定になり、ソフィストなどの扇情家(今のポピュリスト)が「ものごとの本質ではなく、センセーショナル(=注目を浴びること)を目的にああでもない、こうでもない」と世論を惑わして、何が「ほんとう」なのか、がファジーになってしまった社会だったようです。

そんな中でソクラテスが登場し、プラトン含むアテネの若者たちがソクラテスのもとに集まり「魂の優れたあり方こそが人の徳(アレテー)」だとして「正義・勇気・知恵・節度」という美徳を価値あるものとして対話という形で議論したそうです。

この後、美徳の一つである「勇気」を題材に著者が早稲田高校の生徒との対話を通じて「合理的な根拠に基づく共通理解」による拠り所を探っていく作業が始まります。

ここで大事なのは、反射的にそうだなと思っていること(=自分の常識、システム1)から一旦離れて(エポケーという)、自分の具体的な体験に基づいて「勇気って、どんなことだろう」と自答しつつ(=システム2)、他者と対話していくことが大事だと言っています。

既存の常識にしたがって議論しては本質は掴めない。その都度その都度自分の体験に戻って、そもそも論を展開していくということか。これがまさに「哲学の営み」そのもの。そう著者は提唱しています。

個人的には「ソクラテスのいう美徳」を追求することが人間の価値なんだろうかと疑問を感じます。本当にすべての人に共通の価値として「正義・勇気・知恵・節度」を求めるべきであろうか?

これはカントの道徳観とも重なるのかもしれませんが、それでは「勇気のない人は生きる価値がないのか?」「正義感が強い人ほど、価値があるのか?」「知恵がある人ほど人間としての価値があるのか」という様に「人」に価値を結び付けて序列化すると、何かおかしなことになってしまう。

むしろニーチェに感化された著者がいう「君は真理を探すんではなくて、何が君に心からの悦びを与えてくれるのか、と問わなくちゃいけない」の方に魅力を感じます。

*写真:ギリシア アテネ市 アポロ宮殿 GBルーフガーデンより

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