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「メノン」 プラトン著 書評

<概要>
若きエリート「メノン」とソクラテスの対話を通して、プラトンが、アレテー(徳)とは何か?をテーマに、知識・論駁偏重型のソフィスト的思考から理解重視・本質洞察型思考への転換を目指した著作

<コメント>
アレテーとは「もののあり方の卓越性」のことで、日本語では「徳」と訳されていますが、一般的な日本語の「徳」は道徳の「徳」であって、単なる卓越性ではなく利他的・社会貢献的性質の卓越性だから、そのまま「徳」をイメージして読んでしまうと意味がよくわからなくなってしまいます。

なので、そのまま「アレテー」というギリシャ語を外来語として解釈しながら読み進めた方が分かりやすくなります。

さて、メノンとソクラテスで「ああでもない、こうでもない」と、ずっと議論しているのですが、翻訳者:渡辺邦男さんの解説でもなるほどなと思ったのは人間の思考に関するそのあり方・態度です。

当時のアテネの停滞した状況に鑑みて、政治家(テミストクレスやペリクレスなど)の神がかり的な能力に頼った政治ができない中、表面的な知識を重視して、その中身をちゃんと自分で吟味していなかったり、議論に勝つことだけに視点をおいてばかりでは、本当の「アレテー」は身につかない。

若きエリート、メノンはゴルギアスなどによるソフィスト的教育により、エリート然としてアテネにやってきたのですが、プラトンがソクラテスを通して言いたかったのは、物事の本来性(※)=本質を掴むための思考能力

※物事の本来性(本質)=訳では「事物の自然本性」。ギリシャ語ではphusisで英語natureの語源。

その実例を、幾何学を事例に何度かソクラテスが教えています。ソクラテスは幾何学の答えを教えたいのではなく、その思考方法。

物事をちゃんと理解するための思考=本質洞察的思考(竹田青嗣)の能力こそ「知的アレテー」であって、そのような能力を身につけた人材こそ政治に必要で、そのような人材がリーダーになってこそ、このアテネを復活することができるんだと若者メノンに言いたかったのではないでしょうか?

これはもちろん現代にも通じる重要なテーマ。

分断が進むこの現代世界において、バイアスや既存の一般常識に捉われることなく、本質的に思考すればより普遍的で納得性の高い考えにつながっていくのではないか。

プラトン・ソクラテスが我々現代人に語りかけてくれているように感じてなりません。

*写真:バリ島 ヌサドゥア

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