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『人はどこまで合理的か 下』より プロスペクト理論・信号検出理論など

<概要>

「私たちを導くものは合理性でなければならない」という主張に基づき、下巻は上巻に引き続き、合理性の可能性と限界を解説するための「合理的選択理論」「信号検出理論」「ゲーム理論」「相関と因果」について紹介したのち、非合理に陥りやすい人間の本性と合理性の重要性とそのエビデンスについて最後に紹介。

<コメント>

ここからは『人はどこまで合理的か 下』から。今回は「合理的選択理論」「プロスペクト理論」「信号検出理論」。

以下長いので、個別に見ていただいても問題ありません。基本、自分の頭の整理のためもあって本ブログを作っているので、わかりにくいかもしれませんが。。。

■人間は時たまエラーを起こすもののデフォルトは合理的生き物である

行動経済学が巷に氾濫しているので、人間はエラー(錯誤)ばかり起こす生き物と思ってしまいますし、上巻でも人間はエラーを起こす生き物として、さんざん言及されていますが、人間のデフォルトは「合理的生き物」。したがって、本書の趣旨の一つは、

「基本的に人間は合理的生き物だが、たまにエラーを起こすので、そのエラーに気づく方法や、エラーを起こさない方法(合理的思考)を紹介しましょう」

ということ。上巻の「ベイズ推論」等に引き続き、各種ピンカーが取り上げた合理的思考に役立つ理論を以下整理。

■合理的選択理論とは?

合理的選択理論とは、

人はどのように選択するかという心理学理論ではなく、人は何を選択するべきかという規範理論でもなく、何が意思決定者の選択に一貫性を持たせているか、また選択を価値観と一致させているかについての理論

本書 第6章合理的選択理論は本当に合理的か

簡単にいうと私たちは、日々、意識的にも無意識的にも、毎日、常になんらかの判断をしつつ生きているわけですが、必ずのその判断にはいろんな形での損得勘定の「計算」がはたらいているはずです。

この「損得勘定の計算」のことを「合理的選択理論」という難しい言葉で言っているだけです。

レストランに行けば、何が食べたいかメニューを決める際に

「自分と相手の好みのバランス」「どの料理がこの店のスペシャリテか」「値段はどの程度になるか」「季節的に旬かどうか」「今の気分」「今のお腹の具合」など、さまざまな選択肢の中から、私たちは、その時その状況にマッチした最大限の効用を選択するはずです。

その時には、比較したり、確率の高低(確度)を想像したり、さまざまな基準をベースに判断をしています(心理学者ヘイスティ&ドーズの7つの公理)。ピンカー曰く

意思決定者は個々の結果の価値を望ましさという連続的尺度に照らして評価し、それぞれに確率をかけ、それらを足し上げる事によって選択肢ごとの「期待効用」を弾き出す

同上

■合理的選択に潜むバイアス「プロスペクト理論」

人間の損得勘定の計算には、自分自身は合理的に計算しているはずなのですが、ここにもエラーが潜んでいます。そのエラーを言語化したのが行動経済学の「プロスペクト理論」(詳細は、以下著作参照)。

すでに上のブログでいくつか紹介しましたし、本書が発売されて以降、だいぶ浸透してきたように思いますが、感応度低減性としての限界効用逓減と「損失は得した気分の2倍の心理的作用がある」という、損失回避性にもつながる主観確率について。

【限界効用逓減】

限界効用逓減とは、例えばお金を例に言えば、貯金は増えれば増えるほどその心理的効果(お金を保有することによる幸福感)が弱くなるという法則。言葉通りに訳せば、「限界」に近づけば近づくほど「効用」が「逓減」していくのが人間の心理。

例えば、私たち日本人の年収は、800万円を超えると徐々に幸福感が薄くなっていくといいます。もちろん個人差はありますが、例えば1万円の価値について、年収2000万円のお金持ちと、同200万円の貧しい人と比較すれば、年収2000万円の人は、年収200万円の人よりも「1万円がもらえる」という幸福感は、確実に低いはずです。これが限界効用逓減。

同上

ピンカーに言わせれば、所得税の累進課税の根拠が「限界効用逓減の法則」だとし、他の条件が全て同じなら、限界効用逓減により、富裕層から貧困層に富を回すことで全体の幸福度が上がるはずだとしています。

ただし、限界効用逓減は、合理的かどうかといえば合理的ではない。例えば人命の価値。

「1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計に過ぎない」

という悲しい現実。テロ攻撃や銃乱射事件で10人の死者が出れば大騒ぎになるが、パンデミックになると1日に1000人が亡くなっても、そのうち感覚が麻痺してきて騒がれなくなってしまいます。これも限界効用逓減。

なお、限界効用逓減の法則は、ネットでは金額などの「量の大小」よりも、「頻度の高低」の事例で多く紹介されています。例えば「ビールの一杯目が一番美味く、2杯目以降はそうでもない」「同じモンブランを食べた最初の感動は、2度・3度食べるにつれて弱くなる」という事例。頻度が高くなればなるほど慣れてきて、最初の感動は薄れる、ということ。

なので、限界効用逓減は「閾値」が重要。年収で言えば800万円だし、ビールでいえば1杯目。「閾値を超えてしまうと効果が激減する(印象が弱くなる)」という事実を知っておくべき、ということです。

【主観確率】

主観確率は、数字上の確率=客観確率と異なり、私たちの心理的な確率のことを指し、グラフで表すと以下のようになります。の付近では傾きが大きく、また、の近くでは途切れていて、0.4付近ではほぼ本来の確率=客観確率に近くなる。

「人が犬を噛む」などのレアケース(確率が低い)は印象が強くなり、「犬が人を噛む」などのよくある事例(確率が高い)は、印象が思ったほど弱くなってしまう。これをグラフに表したわけです。

同上

また主観確率の線が0と1付近で途切れているのは「100%あり得ません」と言い切れるのと「まずあり得ませんが全くとは言い切れません」と言われるのとでは、全く印象が違う、ということを表しています。

このように実際の確率=数値と、わたしたちの直感的に感じるイメージは違う、というエラーが起きるので、意識的思考(システム2)を働かせてちゃんとこのエラーを修正しましょう、ということ。

■信号検出理論:信号とノイズのトレードオフ

仮説検証には、まずベイズ推論で仮説の正しさ度合いを確率として数値化するとともに、

期待される費用対効果を損得勘定の計算(合理的選択理論)で、その仮説を実行するかどうか、を判断していく。この合理的思考は、ビジネスはもちろん、あらゆる物事の判断をしていくうえで、誰もが使えるツール。

加えて何らかの判断をする際に、その判断が正しい場合(信号)と間違っている場合(ノイズ)と双方、可能性がある場合は、その双方の可能性の確率をみながら適切に判断すべき、というのが「信号検出理論」。以下がん検診の事例で説明。

【がん検診の事例】

がん検診の際に、診断者がそのレントゲン画像をみて、その画像に写っている影が「悪い腫瘍なのか」、「良い腫瘍なのか」、判断するような事例。

この場合、悪い腫瘍だった場合を「信号」と呼び、良い腫瘍だった場合を「ノイズ」と呼びます。それをグラフにしたのが下図。

同上

*濃い灰色の山(正規分布):がんである確率(信号の確率)
*薄い灰色の山( 〃  ) :がんでない確率(ノイズの確率)

信号検出のコストは、二つのパラメーターで決まります。

①反応バイアス(=カットオフ、判断基準、軽率か慎重か、β)
イエスとノーの判断を分けるラインのことで、画像に写った腫瘍がより悪性に近いと判断する場合はラインはより側に引き、逆に腫瘍が良性に近いと判断すればラインはより側に引きます。

②感度(d')
感度とは、信号とノイズの正規分布(山)がどれだけ離れているか近いか、のこと。画像が不鮮明でかつ腫瘍が判別しにくい場合は、下図の上の図のように二つの山が接近し、誤診の可能性が上がるし、逆に画像が鮮明でかつ腫瘍が判別しやすい場合は二つの山が離れ、、誤診は起きにくくなります。なので信号検出においては常に感度(診断や検査機械の精度)の向上を目指すべき、ということがわかります。

同上

「イエス」=がんと判定して治療する場合
本当にがんであるかどうかの確率が、ライン右側の濃い灰色のゾーン(ヒット)、ところががんではない可能性は薄い灰色の部分だから、誤診(=誤警報)の可能性もあります。

「ノー」=がんではないと判定して治療しない場合
がんではない薄い灰色の山は正しい判断としてOKですが、がんである濃い灰色の山は誤診(=ミス)となってしまいます。

信号検出理論で重要なのは、実際の現場ではガンである場合だけで診断する事例が多く、ガンでない場合の診断を軽視しがちだから。双方のトレードオフをこうやって正規分布の山の重なり具合でラインを引いて、判断することが重要だという理論。

最終的な判断は、期待効用に基づいて正しい診断の場合の便益と、誤診の場合のコストの双方に鑑み、判断すればよい。これを整理したのが下表。

このように、がん検診の場合は期待効用の観点から言えば「死亡の可能性をできるだけ低くすべき」だから、可能性が低くても「イエス」と判断して手術する方が「合理的」ということになります。

以上のがん検診のほか、信号検出理論が有効な事例を二つ紹介して終わりたいと思います(まだ説明するのか!)。

【推定無罪は、信号検出理論の成果】

日本でもアメリカでも「疑わしきは無罪=推定無罪」という方針を採用しているのは、まさに信号検出理論からの考え方で、がん検診における「ミス=死亡」をできるだけ減らすことと同じように「冤罪=ミス」をできるだけ減らすような対策を重視している、ということになります。

民主主義社会においては自由がデフォルトであり、国家による強制は例外。法学者ウイリアム・ブラックストーン曰く

10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ

【科学における仮説の再現性と信号検出理論】

そしてこの信号検出理論を科学の仮説設定に応用したのが統計的決定理論

自分の仮説を論文として発表するか否かの判断において、統計的有意性があるかどうか、を判断する理論。

つまり研究者は、自分の仮説が正しいかどうか何度も実験や調査をして、その仮説の「正しさ」の確度を上げる努力するわけですが、その仮説に100%の再現性があることはほとんどないわけで(数学除く)、どこかでその確かさに「見切り」をつける必要があります。この「見切り」に統計的有意性があるかどうか、ということ。

科学の仮説も信号検出理論と同じように、実証データに有意差があるとする仮説=対立仮説と、有意差がないとする仮説=帰無仮説の二つ可能性のトレードオフの関係を検討することで、仮説の有意性を判断します。

同上

具体的にどうやって判断するかというと、効果がないのに効果があると判断することをできるだけ回避したいので、主に帰無仮説が真である確率が5%未満であることが一般的な仮説の判断基準。

ただし、これでは不十分なので、これにベイズ推論を加味します。

ここでの統計的有意性はベイズ理論でいう「データ尤度」(=仮説が真であるときにそのようなデータが得られる確率)のこと。最終的に私たちが得たいのは「事後確率」、つまり「仮説が真であるときにそのようなデータが得られる確率(データ尤度)」ではなく「そのデータが得られたときに仮説が真である確率(事後確率)」。

したがって、ここでもベイズ推論を活用してまずは事前確率から始めて、その後に実証データの有意性を判断していく(データ尤度の算出)、という手順を踏むことが重要だということ。

「事後確率」=「事前確率」✖️「データ尤度」➗「周辺確率」


以上、ここまで読んでくれた人は少ないかもしれませんが。「いやいや、もっと詳しく知りたい」という方は、ぜひ本書(私は電子書籍ですが、紙の場合は上下で約600頁)の通読願います。

人間がより幸福になるためには「合理的思考」が欠かせない、ということがこれでもかとばかりに説明されていますので。。。


次回は、個人的に最も興味深い「相関と因果の関係」と「ゲーム理論」について紹介したいと思います。

*写真:江戸川の河川敷に咲く桜と菜の花(2022年4月撮影)

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