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明治政府によって創造された天皇制


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天皇と儒教思想(小島毅著)読了。

日本という近代国家(=ネイションステイト)は、明治政府によって創造されたもの。そして「日本」という概念に国民をフォーカスさせるその手段として天皇制・神道を活用。

実は奈良時代から天皇家の宗教は仏教であって、長い間、神仏が一体化していたのだが、神仏が一体化していてはフォーカスされる被写体がぼやけてしまうので、よりピントを合わせるべく、明治政府は神仏を分離して廃仏毀釈をして、神道をより純化させた。

神道を純化させるにあたって、中国発祥の儒教を活用し、山陵を整備し、祭祀の制度を整備し、皇統を明確化。

ただし「歴」に関してだけは西洋方式のグレゴリオ歴を採用してしまったために「こよみ」としての歳時記と不整合が起こり、おかしなことになってしまっている。

以上、本書の見解も踏まえつつ、日本の近代国家の生業というのはこんなもんでしょう(そしてこの方策が見事に成功したものの第二次世界大戦敗戦をもってリセット)。

これを「昔からずっと続いていた日本国民としての伝統だった」と主張している方々に対しては、宗教信仰の強制や国家主管になった場合に限り、著者は批判的で、近代市民社会としての「人権」という概念から逸脱した主張だというのは、説得力があてまさにその通りだと同感。

とはいえ、これだけ天皇制が国民の支持を得ているというのは天皇個々の人間性も含め、明治維新政府の目論見は見事に成功したといえます。

本書自体は、学者らしく中国思想の専門家しか興味のない経学なんぞも登場し、大学時代に中国思想が専門だった私としては、「なんか経学とか緯学とか儒教で勉強したなあ」という朧げながらのノスタルジーも感じながら読ませいただきました。

ところで今上天皇と皇后様は、今日(2019年11月27日)は橿原神宮と神武天皇陵をお参りにいっていますが、本書によると神武天皇はいわば、宗教上のフィクションであって架空の人物ではあるものの、明治維新政府によって明治時代(1890年・明治23年)に皇統の明確化の一環として初代天皇としての神武天皇を祀る橿原神宮が創設されたものであるらしい。

そもそも天皇一族自体、明治時代になるまで神武天皇の山陵がどの場所にあるかも定かではなく(想像上の人物なので当然ですが)、もちろん関心もなく、神武天皇登場して2,500年経つそうですが、ずっとほったらかしの無関心だったそうです。

いわば今日は今上天皇・皇后様が、自分達天皇一家が作ったものではなく「明治維新政府によって創造されたもの=橿原神宮」を参拝しているということです。

以上、それなりの文化人・知識人の自覚がちょっとでもある日本人(特にメディアに登場する人)なら、これぐらいは知っとかないとなと思います。

*写真:東京都 明治神宮

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