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「パイドン」 プラトン著 書評

<概要>
事実に基づく世界説明から価値に基づく世界説明、イデア論の展開、自殺禁止論、魂と肉体の関係、不死の魂など、プラトン哲学の重要な論点が散りばめられた傑作。

<コメント>
プラトンまたはソクラテスによる現代にも通じる重要な哲学的テーマが展開されていて、そのレベルの高さに驚嘆せざるを得ません。

個人的には

「事実による世界説明」を否定して「価値による世界説明」をはじめて主張した

点で、深く納得。

◼️「事実」による世界説明から「価値」による世界説明へ
何よりも画期的なのは、プラトン(ソクラテスも?)がこれまでの古代ギリシャ哲学者と違って、タレスに始まる事実による世界説明を否定して、価値による世界説明に転換したこと。

我々自身、学校教育に基づく自然科学的思考で世界認識しているため、素朴に「この世界は宇宙があって地球があって」というふうに事実をベースに世界認識していますが、これはソクラテス以前のギリシャ哲学者たちと同じ感覚です。

ところがプラトンは、ソクラテスの言葉を借りていうには

「知性が秩序づけられる以上、万物を秩序づけるのに、それぞれが最善であるような仕方で配置することだろう(45)」

とし価値による世界説明を展開。

その男(アナクサゴラスのこと)が知性を少しも用いることなく、事物を秩序づけることへの原因も何もそれの帰す事はしないで、空気とかアイテール(天空を満たしている物質)とか水とか他のたくさんのものに原因を帰している(47)」

としてアナクサゴラスのいう事実による世界説明は否定。

つまりソクラテスやプラトンに至っては事実による世界説明では世界は認識できず、価値による世界説明こそが魂に宿る知性による世界説明だとしているのです。

これは現代でも同じです。

いくら脳科学が進んで人間の脳の構造と機能が科学的に解明されたとしても「なぜ私の世界像はこうなのか」は説明できません。我々はこの世に誕生して以降、我々自身が内面化した価値観(関心ごとのルールといっても良い)に基づいて世界像を生成しているのであり、自然的な事実によって世界像を生成しているのではないのです。

これは一見わかりにくいかもしれませんが、よくよく内省してみると眼から鱗が落ちるように、このプラトンの主張が実感できます。

◼️イデア論と想起説
イデア論は、プラトン哲学にとって最も重要なテーマの一つですが、意外にもイデア論がまとまって論じれらている著述はなく、本書「パイドン」含む中期著作のごく限られた部分のみだそうです(解説「イデアと魂」)。

解説者、納富さん曰く


「イデア論は体系的に確立した理論として捉えるべきではなく、異なる側面からその有効性や意義が試されるべきもの」(解説「イデアと魂」)。

①我々は、木材や石材など、実際にみると同じものだと認識する
②とはいえ、個別には何かが「欠けている」ので「木材や石材の等しさそれ自体」ではない
③とはいえ「等しさそれ自体」をあらかじめ知っていないと「欠けている」とは思わない
④ということは「等しさそれ自体=イデア」が、あらかじめ我々の魂に宿っているに違いない

そして、

イデアを認識するためには、肉体の諸感覚から離れて魂それ自体によって物事を観ること

という。この行為が「学び」であって、自分の本来の知識を再獲得すること、すなわちこれが「想起」に他ならないとプラトンはいう。

これも現代に通じる思考方法として、本質学的思考方法

として、説得力ある主張。

◼️自殺禁止論
自殺禁止論は以下の手順で論理展開。

①我々人間は、神の所有物
②神という檻の中で暮らしており、そこから解放することも逃亡する事は出来ない
③したがって、我々自身のものでないのに我々が勝手に自ら死んではいけない
④しかも、そもそも神は善きものであり、善きものから逃げようとする事自体が間違っている

したがって自殺する事は意味のない事だし、そもそも神の所有物自身からして自殺してはいけないという事。これがプラトンの自殺禁止ロジック。

自殺論とは直接関係ありませんが「善のありよう」については中国思想における孟子の説いた性善説とよく似ています。孟子の場合は、そもそも人間は善の存在として生まれてきたのに、様々な俗世間の外的環境によって汚されてしまっている。本来の人間の姿に戻れば人間は善。

プラトンの場合は、魂は神から与えられたのだから本来的に善。しかし肉体から生まれる欲情によって人間は善から離れてしまうといいます。

「欲情に翻弄されること」を「悪」としている点もよく似ています。

◼️心身二分論
魂と肉体は別々。魂は「永遠」、肉体は「有限」。「死」は肉体がなくなり魂だけになった状態を指します。

*魂(=善):永遠であって単一であり知性的なもの。「死」は、肉体が魂から分離されている状態のこと。肉体から分離されれば、苦痛や恐怖や快楽をもたらす五感からも切り離され清浄に認識できるようになる。したがって、死は肉体がなくなるという意味において「善」なのです。

*肉体(=悪):有限であって多相的であり非知性的なもの。快楽を得る存在(肉体を通じて快楽は得られるから)。

⇨正しく知を愛し求める哲学者は、魂から肉体を切り離す訓練をしているのであり、つまりこれは「死に行くことを練習」しているということ(=死は恐れるものではない)。

以上、それにしてもプラトン著作が古典として2,400年間面々と生き続けているのが実感できる著作でした。そして納富さんの素晴らしい翻訳と解説付きで読めるのは日本人にとって本当にラッキーな事だと思います。

*写真:ギリシャ サントリーニ島 イア


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