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賄賂のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン 書評

前々から気になっていた著作。やっと読了。

中央アジアに位置するカザフスタンは、購買力平価に基づく1人あたりのGDPは、27,659USドルと中進国レベルで、トルコやロシアより若干低く、メキシコよりも若干高い水準(世界経済のネタ帳より)。決して貧乏な国ではない。

石油が採れる資源国ということもあって、特に2000年代以降の資源高の恩恵を受け、高度経済成長。贅沢しなければ「メシが食っていける国」と言える(格差がどのぐらいかは不明だが)。

したがって経済的には独裁者ナザルバエフ前大統領の政策は、一見うまくいっているように見えます。ところが、著者によると旧ソ連時代を知っている中高年以上の国民は、旧ソ連時代の方が良かったという人も多いらしい。

本書を読む限り、経済的豊かさが国民の幸せ感に必ずしもつながっていない。その大きな要因が「賄賂」と「格差」。

特に賄賂は本書を読むと、警察や役所などの公的機関はもちろん、医療から就職から教育界からありとあらゆるところで日常化。救急医療でさえその場で袖の下を渡さないと手術をしない医者もいるらしい。

旧ソ連時代は「100ルーブルより100人の友」ということわざ通り、コネ社会が幅をきかせていて何か便宜を図ってもらった場合にはチョコレートやウオッカなどの贈り物程度で済んだという。とはいえ共産党による厳しい処罰を恐れていたのであくまで「内々に」という感じ。そして超大国ソ連の一員だという誇りと医療・福祉・教育が無償提供される平等社会を曲がりなりにも実現したソ連イデオロギーへの信頼感は、彼らのソ連ノスタルジーとしてあるらしい。

ところが今のカザフスタンでは「菓子折」で済ませようものなら「私のしたことはこの程度の価値しかないのか、馬鹿にするな」と怒りだす人もいると言う。それだけ賄賂が当たり前になってしまっている。賄賂はコネとも絡んでいて、金で解決すれば後腐れなし(貸し借りなし)という人間関係を生んで、逆にコネよりもすっきりする場合もあるなんてこともあり「なんでもカネで済ませばそれで良い」という価値観を生みつつある。

世界腐敗認識指数ランキングによると、カザフスタンは180ケ国中113位で中位若干下回るレベルでこの酷さです。


旧ソ連時代を経験した中高年世代にとって市場経済化とは、一部の成功者を除き、自由競争に基づく経済成長よりも福祉の削減と生活の不安定化、贈収賄の蔓延、そしてエリート層による富の独占だという。

アラブの春もそうでしたが単純に自由主義化だけでは国民は幸せにならない。賄賂が横行する腐敗した社会は、人的資本の効率的活用(=実力主義)ができないのはもちろん「真面目に努力しても無駄だ」というあきらめの気持ちを生む、国民のモチベーションが低下した「悲しい=不幸な」社会。

むしろ権威主義による経済成長を果たした中国(腐敗認識指数80位)やシンガポール(同4位)などの方が、表現の自由は制限されているとはいえ「メシのくえる社会」になったのはもちろん経済の自由(=豊かさ)・移動の自由は大幅に改善された上で、カザフスタンとは異なった(権威主義国家としての限定された)法の支配に基づく公正な社会がある程度実現され、国民の幸福度は上がったことでしょう。

カザフスタンも同じ権威主義でそれなりに成長した国ではあるものの、資源高という幸運がもたらしたもので、その実態は格差と腐敗が横行した独裁社会。

以上、著者は「よくもここまで実態を調査したな」と思います。「賄賂」一般を知るにもちょうど良い。

是非一読をおすすめいたします。

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