見出し画像

「子育ての大誤解(上)」J・R・ハリス著 書評

<概要>
主に行動遺伝学の成果によって「子供の健全な成長に大切なのは親による子育てよりも、主に同世代の仲間同士のコミュニケーションの方が重要」という説を紹介した著作。

<コメント>
進化心理学者「スティーブン・ピンカー」や、作家「橘玲」のネタ元となった著作です。

既に行動遺伝学の分野では、子供の性格、言語、社会的行動習得や知性の形成は、大雑把にいうと「遺伝が半分、非共有環境が半分」というのが定説となって久しい

非共有環境とは、家庭内の共有環境に対して、学校やクラブ&友達関係などの家庭外の環境のこと。

家族の影響よりも友達などの家族外の繋がりの影響の方が大きいということ。言い換えれば家庭内環境は、子供の育成において影響は少ないという、親にとってはショッキングな結果が行動遺伝学の知見。

このセオリーを証明するために、上下2冊分「家庭が大事」の科学的論拠否定にはじまって、非共有環境の分析にページを割いているのが本書。

■「家庭が大事」説の否定について(本書では「子育て神話」と呼んでいる)
*エレノア・マコビーの研究によると、以下の通り、性格に関しては親の影響はわずか。

400近い家族を対象としたが、親の養育習慣(親との詳細に渡る面接によって測定)、それとは独立した方法で測定した子供の性格特性との間には僅かな関係しか見出すことができなかった

*言語習得について
これは誰もが実体験あると思いますが、「親の言葉」を真似るのではなく、「友達の言葉」を真似るので、ロシア移民のアメリカ人であっても子供が9歳までだったら、完璧な英語を習得するらしい。

ロシアからの移民の5歳から9歳までの彼らの子供たちはというと、全く訛りのない綺麗な、すなわち近所の子供達が話すボストン=ケンブリッジ=アクセントの英語を話していた。

*英国上流階級の子供たちの事例
英国上流階級では、子供の世話はほとんど親がみないのに、親と全く同じ上流階級の嗜みを身につける。

はじめの8年間の大半が乳母や住込の家庭教師、それに兄弟の一人や二人とともに過ごす。母親と過ごす時間は短く、父親と過ごす時間はさらに短い。親は子供たちに口出しはしない。姿すら見せるべきではないと考えている。8歳になると全寮制学校、その後10年間続く。

*育てた親の違いは関係ない:一卵性双生児の事例
一卵性双生児は遺伝子が全く同じなので、性格の違いがあるとしたらそれは「育ち」のせい。ところが、親が不幸にして別々に育った一卵性双生児も同じ親に育てられた一卵性双生児も、ほとんど変わらない。育て親の違いは全く性格の違いに関係なかったという。

*育てた親の属性の違いも関係ない
専業主婦・共働き、レズビアン夫婦・ゲイ夫婦・オープンマリッジ(夫婦が互いの社会的、政敵独立を承認している夫婦)などのマイナー属性な親、育児に優秀な養育を施している親などなど、あらゆる親の属性の違いと子供の成長の違いには相関関係がない

■出生順位は性格に影響しない
これは意外。ただし、家庭内では出生順位は大いに関係しますし、末子に最も親が愛情を注ぐのは全世界で共通。ところが一歩外に出ると、長男だろうが末娘だろうが、出生順位による性格の違いは、全く相関関係がない。

*セシル・エルンスト&ジュール・アングスト

出生順位に関する調査全体を見直したのだが、その中で彼らは世界中で1946年ー1980年の間に発表された性格と出生順位に関する研究のうち、入手できたもの全てを考察。この結果、出生順位は性格に永続的な影響は与えない

*フランク・サロウェイ

出生順位による影響は、成人の性格を調査した研究の過半数では現れなかった。しかし、ある特定の方法で実施された研究ではその影響が確認されている。被験者の性格をその親もしくは兄弟姉妹が評定する方法である。

■性格は誰でも複数用意している(場所が変われば顔も変わる)
上記の出生順位の違いについて、我々は家庭内と家庭の外で性格を使い分けているということ。というよりも家庭外でもそれぞれの集団に応じて複数性格を用意していると言ったほうがいいらしい。

*心理学者ウイリアム・ジェイムズ:性格が二つ以上あるのは異常なことではない。

正確にいえば、一人の人は、彼を認識してその印象を心に抱く個人の数だけ社会的自我を持っている。

これは言語も同じ。中国系アメリカ人の親子の会話の事例が面白かった。ハーヴァード大学生の娘が中国広東出身の親との関係について。

親との会話は広東語、大学では英語なので、彼女はそれぞれの環境に応じて言語の世界を持っている。私は親と文学や哲学について話し合ったことなど一度もない。自分たちの健康状態、天気、夕食のメニューなどについては話すが、彼らは英語ができないので、全て会話は広東語だった。ハーヴァード大学在学中、親と話したい言葉が出てこなかったことがある。どんな授業を受けているとか、専門科目について話すための広東語の語彙が足りなかったのである。

■そもそも「子育て」という行為は、現代社会特有の習慣
これも面白かった。でも考えてみればその通り。ヒト属として700万年前に地球上に人間が誕生して以降、ほとんど親は子供の面倒なんかみなかったのです。子供達だけの世界で子供は育っていく。だから「親の影響は関係ない」という行動遺伝学の知見は、進化論的にも説得力のある結論。これはチンパンジーも同じらしい。

伝統的な社会では、兄姉が弟妹を支配するのは当然のこととされている。親が干渉しない社会であれば、世界中のどの社会でもそれが自然の成り行きなのだ。

昔は子供は大人になるまでに半分以上死んでしまうので、いちいち一人一人に教育(そもそも教育という概念がなかった)するなんてことは毛頭考えていない。乳離れしたら年長の子供が年少の子供の面倒をみる。大人は狩猟採集。子供は子供同士で遊びつつ言語や社会性を身につけていく。そして8〜9歳ぐらいになったら大人と一緒に狩猟採集です。

文明化以降も近代西洋の家庭と職場が分離するまでは原始狩猟採集社会と同じ。多産多死も、あまり変わらなかったらしい。職住同一なので9歳ぐらいになればみんな親の手伝いをしていた。避妊の問題もあるとは思いますが、そもそも子供を産むのは新たな労働力確保のためで、かわいい子供を育てたいからではなかったらしい。だから現代に生きる我々とは比較しようもないぐらい、子育てはいい加減だったのです。

*ハーヴァード大学経済学者ジュリエット・ショアー

裕福な親は子供たちが成長するまでは子と関わることはほとんどなかった。乳母の手に渡れば放置されると広く知れ渡っていたし、明らかに生命が危ぶまれたが、それでも構わず乳児は乳母に育てられた。あらゆる社会階級において乳児や子供が長期間ほったらかしにされることも珍しくはなかった。面倒を起こさないようにと、赤ちゃんは窮屈な産着に包まれて足を固定された状態で、最初の数ヶ月を過ごしていた。

教育論の古典「エミール」で有名なジャン・ジャック・ルソーの逸話も面白い。自分の子供はみな孤児院送りです。

ルソーには子供はいなかった。というより、自分の子供は誰一人育てなかった。彼が連れ添った愛人に産ませた赤ちゃんは、彼が全て承知した上で、乳児院に預けられた。

そして子供同士で交流できる環境を与えないと健全な成長に悪影響が出るといいます。

旧式の孤児院で人生最初の4年間を過ごした子供は概して真っ当な人生を歩むことができない。養子先が決まれば離れていく、だからこそ子供達どうしがあまり仲良くなり過ぎないようにする方が良いのだ、と。子供に良かれと思ってのことだろうが、それは親切の意味を履き違えている。

もちろん親には「探検に踏み出すための安心基地」として子供に安心感を与える重要な役回りがありますが

「子供に健全な成長を望むのであれば、非共有環境が大事」

ということです。

*写真:2014年 ルソーの生誕地 ジュネーヴ

この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?