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防戦から反転攻勢へ「昔っからこの顔ですが、何か」

人間には承認欲求がある。
確かに褒められるのは気持ちがいいし、やる気も出る。だが、50代後半になると褒められることは皆無と言っていい。服でも買いに行けば店員から「お似合いですね」のひとことくらいはあるかもしれない。

「よくできるね」「すごいね」「いいじゃん!」ではなく、「元気?」「ダイジョブ?」「どこか調子悪い?」とは言われる。特に不都合はないのに普通にしていても、そういわれると気になるしへこんでくる。そう言われるということは、そういう表情をしているということだろう。だからと言って何もないのに笑みを浮かべているのはオカシイ。

会社員駆け出し、営業の仕事になった時に、内勤社員からは「なんでいつも怖い顔をしているの?」と言われ、得意先のご店主からは「何か文句でも言ったら自殺しちゃいそうな人が来た」と言われた。どんな顔して営業回っていたのかと思う。

中学の頃から老け顔だと言われたことはある。当時は「大人っぽい」という表現だったが、ようは老け顔だ。老け顔と怖い顔は違うと思うのだが。

小学校の卒業文集か何かで、はきはきした聡明そうな女子から「春の海のような君」と評された。ぼーっとしてハッキリしないヤツだと言われたのだ。優しい表現を知っていた彼女はどんなオバサンになったことだろう。
中学では、学校にやってきた「教育実習生」(大学生)から、「魂が抜けたような覇気がない時があるね」と酷評された。そういう人間には教師にはなってほしくないと心底思った。

ある時期を境に「顔は変えられないんですよ」という防戦から、「中学の頃からこの顔ですが、変わらないので今は若いと言われます」と反転攻勢に出ることにしている。「思い込み」は大切だ。

先日見たテレビ番組では、長年の耳鳴りを、雑音を一晩中聞きながら寝ることで克服した例が紹介されていた。苦しんでいる疾患から「注意をそらす」ことで対処できる場合があるという。別の番組では、犬を飼うことで腰痛が治ったことが紹介されていた。「そんなバカな」と思うが、疾患やコンプレックスに自分の注意力が行き過ぎてしまうことで痛みや苦しみが取れないというのだ。

だから、自分を褒める、諭す、思い込む、騙す。きっと体はそれを欲しているはずだ。そして喜ぶはずだ。それで治ったり、気持ちが良くなったりすれば安いものだ。

一理も二理もありそうだが、毎朝の腰痛は治らない。

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