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圓通寺借景を愛でる

40年ぶりの再訪をはたした。
修学旅行時の自由行動で訪れたのだが、なぜあそこまで不便な圓通寺へ足を運んだのか、班行動のメンバーは誰だったのかも覚えていない。ただ、耳の奥までしみこむほどの静寂が記憶に残っていた。他の有名な寺院に比べれば極めて地味で、比叡山を臨む枯山水の平庭は解説によると、「江戸時代初期(1639年)後水尾(ごみのお)天皇が造営された幡枝(はたえだ)離宮のあとであり、幡枝小御所、幡枝茶園とも呼ばれていた」

市バスの1日乗車券購入時にもらった路線図に印をつけ、折りたたんでポケットへ。スマホもいいが、手元で広げれば行きたいところの全てが面で確認できる路線図のほうに分がある。

朝9時前だというのに清水寺方面のバスには幾重にも人が並び、臨時便が出ていたが、乗り込んだ路線「4」は特段混雑もなかった。最寄り停留所の「深泥池」(みどろがいけ)を目指す。京都駅から30分は揺られただろうか。地下鉄烏丸線の北山駅を越してすぐが深泥池だった。そこから歩いて20分ほど、入口はきれいに建て直され、駐車場までできていたがとまっている車はほとんどない。

そのあと訪れた、上賀茂神社、鹿苑寺、知恩院、八幡神社の婚礼や和服デート(?)の若者や池の鯉やハトや出店や渋滞や行列とは無縁のたたずまいが、微動だにしない静けさをより確かなものにしている。

たったひとつの難といえば、寺や庭園の解説が録音テープで流れていたことか。このご時世、毎時お寺の方が話すのも難儀だろうし、文字解説もあまりに長ければ読み飛ばしてしまうだろう。そう考えるとこちらはひととおり寺の来歴を理解できるし、寺にとっては「働き方改革」も実現されている。

写真撮影可能なのは庭園だけで、寺社は一切撮影不可となっている。テープ解説の間も撮れない。シャッターチャンスは長くないが、来訪者はそれよりも「その場に居続けて、空間を愛でたい」と願う気持ちで一致している。

次回京都に行く機会があってもまたぜひ、と思う。

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211121 京都圓通寺入口

駐車場はできたけど、車はほどんどなし。

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