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「共通点」と「相違点」(人間を対象とした科学としての言語学から)

突然ですが「機動戦士ガンダム」の大きなテーマは「人ってお互いに分かり合えるの?」でしょう。ニュータイプではない我々としては「可能な限り言葉を尽くして伝える」しかないと思います。

さて、その「言葉」についてが今回の記事になります。

言葉について「人間ってなんでしゃべれるの?」という問いを考える理論言語学という学問で、大学院まで行ってしまいましたから。

この理論言語学、さらには人類をみた時に「共通点」と「相違点」が重要な要素としてあらわれます。

「相違点」としての言語

これは簡単。

世界中に「言語」があります。最近グローバル化の波に飲まれて消滅する言語も多いのですが、それでもバリエーション豊かといえます。

言語間によって例えば動詞の位置が違います。日本語は基本的に文の最後に動詞を持ってきます。英語ならば主語の後ろ。それらよりは数は少ないのですが動詞が文の先頭にくる言語もあります。

それ以外に主語を省略できたり、できなかったり。語順の自由度も様々です(日本語はかなり自由度が高く、スクランブリングと言ったりします)

相違点を見ていくのは面白いものです。

「共通点」としての言語

こちらは当たり前すぎて難しいものです。こちらの問題に気付いて真剣に取り組み始めたのはN.チョムスキー氏になります。

それまで相違点を見て、分析、分類することをやってきた言語学を捉え直し、相違点ではなく、共通点に着目したのです。

人間は記号列を使って相手に何を発信していること。そしてその記号列にはある程度共通のルールがあるように見えること。

彼は、火星人が地球の人類を見たら、同じようなやり方でコミュニケーションをとっていると感じるだろう、といった話をしています。

人という種に特有な「言語」というものの「相違点」ではなく、「共通点」を探る(理論化する)ということで、実は人間自体に迫れるのではなかろうか、と。

かなりざっくりとまとめていますので、詳しくは著書などあたってみてください。

「違い」よりも「共通性」を見つけるのは難しい

お互いの「違い」は見つけやすいものですが、その裏に隠れた「共通性」というものは少し見えにくいもののようです。

人であれば同じ種であるから、言語だけではなく思考や行動といった面でも何らかの共通性があるのだと思います。ただ、種として共通であっても、育った環境(または時代)の差によって、表面的には違いが際立ってそれぞれが「人間」になっているだけなのかと思います。

では人にとって「共通な部分」ってはたしてなんでしょうか?

これをシンプルかつ明確で、万人納得の言葉にできれば人類史に名を残すことになるでしょうね 笑

こういった課題について、言語をデータとし、思いつきではなく科学的な思考で挑戦するのが理論言語学です。

いつかはまた学問の道に戻るのも憧れていたりします。


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