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とある衝動

こんにちは、明智です。
noteをお休みしてだいぶ回復してきました。
今回はお休みしていたここ二週間弱で、私のメンタルに起きたことを綴ってみました。
とあるうつ病患者のサバイブな一日について。


今ならイケる…!!!

何がと言われると文字にするのは憚られるのですが…
まあアレです、死です(ド直球)。
過去色々ありましたが、今の私には希死念慮や自殺企図というものは全くなく、むしろ生きてるだけで毎日楽しい状態なのです。
はっきりした目標はないけれど、自分を労わって、よく働いて、ゆったりとした休日を過ごせることにとても幸せを感じています。
ですので、久々の「死」の表出に私は戸惑いました。

その日も私はいつも通り車を運転して仕事へ向かっていました。
赤信号に捕まった時、ふと
「あ、今アクセル踏んだら死ねるな」
そんな考えが浮かびました。
いや、浮かんだ、という生ぬるいものではなく
「良いこと閃いた」「天の啓示」
これくらいの勢いです。
死というものが疑う余地もないくらいの真実として私を乗っ取っていきます。
目に入る光がドンドン脳の中に浸透してくるような、気味の悪い興奮がありました。
けれど、理性もまた、それ以上に私を導いてくれました。
楽しくてたまらなく、アハハ死のうと笑いそうになる心と、アクセルを踏み込みそうな体をなんとか制御して「なんか変だ!今日の私変だぞー!」と戸惑いつつ無事職場へたどり着くことができました。

平静を装って淡々と仕事をこなし(Twitterではずいぶんと騒ぎ迷惑をかけましたが)、
シパシパ痺れる手足とクルクル回る頭をなんとか動かして、どうにかその場に留まるよう耐えました。
帰宅するにもまた車に乗ることを思うと、自分を抑え込める自信がなかったのです。だって、絶対に死にたくないですからね。

結局その日一日、心の底辺というか、みぞおちの影の部分というか、その辺りからフツ…フツ…と、牛乳を上手に沸かした時くらいの静かさで「不安」「恐怖」「狂気」そんな物騒な感覚達が湧き上がってきて落ち着けませんでした。

心が抗う日

これは初めてのことではありません。
所謂急性期と言われる頃に、閃きで死に場所を決めたことがありました。
その場所を通りがかった時に、エンドロールが見えた気がしたんです。
夕日に照らされた歩道橋から、ずーっと伸びる線路が見える。
それを背景に「」というゴシック体のデカイにやつが。
その時も特に希死念慮はありませんでした。
けれど…今回同様ですね、パッと「閃いて」しまったんです。
「人生終わりにするならここがいい」
この時私が生きながらえたのは、母の運転する車の助手席に乗っていた時で身動きが取れなかったことと、上の言葉を聞いた母が「それを先生に言いなさい」と冷静に言ってくれたからでしょう。
(ひどく心配をかけた母には頭が上がりません…)
先生には強く引き止められ、その後治療を経て、今に至るというところです。

体の訴え

私は今回「コレなんか変だ!!」と気付くことができました
自分の状態を自覚して、余計な刺激を極力避けつつ、同時に「いつも通り」に過ごすよう心掛けることで、天啓(?)から目を反らしてやり過ごすことができたのだと思います。
ちなみに帰宅後服用した抗うつ剤で気持ちが落ち着いたので、困った時はなんといっても自分に合ったお薬ですね!

怪我の古傷が痛むように、心の古傷が痛むこともあるでしょう。
今回のことは一日で落ち着き、先生と話し合って見解を伺うこともできホッとしています。
この衝動が続いたりまた激しい落ち込みが出てしまったら…という不安はないわけではありません。が、それでも生きていくしかないのですよねえ。
生きている限り、肉体も脳も毎日変化するんですもの。
逸早く異変に気付けるよう、日々自分の体の訴えに耳を傾けてあげることが、衝動的な死に対する私の対処法かな~~、と思います。今のことろは。

最後に

振り返ってとんでもない一日だったと思いますが、
言えることはとあえず「生きててよかったワ~~~!!!!!」です。
生きてご飯食べて寝て起きて仕事して、ストレス溜めて愚痴吐いて月曜メンドクサ~ってなる、そんな普通の毎日が最高に愛おしくてたまらないのです。それ以上の生きる意味なんて必要ナシ。
私はこれからも、泥臭く生を選び取り続けます。


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