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モノクロの風は照れくさい過去さえ思い出させて

朝起きるとキッチンで外を眺めつつお湯を沸かす。
北の街は白く凍えて、モノクロ写真そのままのようにたたずむ。
玄関のドアを開け少しの間、風を感じる。

コーヒーが好きで沢山飲むが、休みの日の一杯目ぐらいはゆっくり飲むことにする。

想いつくまま何かを書こうと思った。
自分語りじゃない日記を自分は書けるだろうか、などとしばし考えてみたが結局、気にせずどんどん書くことにする。

十二月二十五日が誕生日の彼女がいた。
去年も書いているので今更ではあるが、それをネタに短編を書いたりもした。どうしてもクリスマスが近づくと当時のことをいろいろと思い出してしまうのだ。

東京で大学生だった時期のほぼ全部をその彼女と一緒に過ごした。
留年なんかもしたから結構長い間ずっと一緒だったことになる。

自分はといえば親からの仕送りとバイトでどうにかぎりぎり生活できる程度の経済力しか無くて、一つ年下の彼女は働いていた。
お互い一人暮らしだったが、自然の成り行きでいつしか都心に近い彼女の部屋に入り浸りになった。

それから卒業直前までそこで暮らした。
自分さえそうしたいと願ったのならば、そのまま将来をともにしてくれて……なんて、今になってこんなことを書いている自分は本当に救いようがない。

事務職の彼女は毎朝きっちりと勤めに出かけた。
学生の自分はだらだら何をしたいかさえわからない。
時間を浪費しているだけのガキだった。
それでも、ほとんど帰ることのない自分のアパートを引き払うことはしなかった。なんとなくではあるが、このままの生活が続くとは思えなかったのだ。

結局、どこか煮え切らない気持ちのままの数年を過ごした後、別れた。
それはひどい終わり方だった。

最近になって、運命とか宿命とかの言葉がよく頭の中に浮かぶ。
運命は人間の意志にかかわらず、身にめぐってくる幸、不幸のことであり、宿命とは前世の行いによって定まっている運命のことを言うのだそうだ。

前世の善い行いは報われ、悪行はしっぺ返しとなって身に降りかかるのだ。

ならば、前世では自分が彼女にずいぶん尽くしたのだろうなと思う。
そしてやっと彼女が振り向いてくれるようになった時、酷い仕打ちをしてしまったに違いない。

自分の潜在意識に、このような結末が待っていることがインプットされていたのかも知れなかった。

今思うと失恋というよりも大切な家族を失ったような経験だった。

時々、『今の妻は...…』と、書いてしまいそうになる。今も昔も妻は一人しか持ったことがないのに変だよなと苦笑しながら、別の言い方を探す。

十二月二十五日に生まれた彼女。
きっと、ずっと忘れる事などできないだろう。

その後にも素晴らしい方々と縁が持てた。おかげで『今の妻が』初めてだという感覚が薄いのだろうと思った。
いったいお前バツいくつだよと自分に突っ込んでみる。

そろそろコーヒー淹れなおそう。
妻の分も。

そして、想う事は今年も同じ。

”どこでどうしているか知らないけれど、とにかく、幸せでいることを祈っています”

自分は、まあまあ元気です。
 
 

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