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企業の社会的責任は利益を増やすこと?株主価値神話

フリードマンの第二前提


フリードマンの主張を支持する第二の理由として、企業経営者は、その企業を所有する株主の代理人であり、企業経営者は株主に対して責任を負っており、その責任は株主の利益を高めることである、という前提がありました。

まず、企業経営者は法的にはその企業を所有する株主の代理人ではなく、企業それ自体の代理人です。また、株主は企業を所有している訳ではなく、株式の保有者として法的に認められる範囲で企業に対して権利を主張することができるだけです。したがって、企業経営者が株主の代理人という想定は間違っています。とはいえ、企業経営者の責任が株主の利益を高めること、という前提が正しければ、株主の利益を高めることを阻害するような社会貢献活動を行うことは、企業経営者の責任を果たすものではないとして、フリードマンの主張は正しいと評価することができます。

フリードマンは企業を法的なフィクションを捉えた上で議論を進めるので、ここでも法的に企業経営者の責任が株主の利益を高めることと評価することができるか検討をしていくべきでしょう。

Dodge v. Ford Motor Co., 204 Mich. 459 (1919)


アメリカの議論ではありますが、株主利益最大化原則が法的な原則であることを示す代表的な判例としてDodge v. Ford Motor Co., 204 Mich. 459 (1919)が存在します。この事件では、フォード社の取締役が「さらに多くの人間を雇用し、この産業システムの恩恵を可能な限り多くの人々に広め、彼らの生活と家庭の再建を支援する」という経営方針を明らかにした発言をもとに、企業が得た利益を株主に対する配当をせずに、地域社会の利益のために投資しようとしているとして、その取締役の責任が問われた事件です。裁判所は、「会社は、主として株主の利益のために組織され、運営されるもの」であり、取締役の裁量は、その目的を達成するための手段の選択において行使されるべきものであるから、他の目的には及ばないと述べ、そこから会社法では株主利益最大化原則が採用されていると考えられるに至ったとされます。

株主価値神話

これに対して、コーネル大学で教鞭を取られていたリン・スタウト教授は、Dodge v. Fordの上記の判示は株主利益最大化原則を採用したものではなく、Dodge v. Fordをロースクールで教えることはやめるべきだ!とまで主張します。
https://scholarship.law.cornell.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1826&context=facpub

"Why We Should Stop Teaching Dodge v. Ford"と題される上記の論文では、Dodge v. Fordで示された、取締役の裁量に関する説示は、傍論に過ぎず、Dodge v. Fordの事件の解決にあたって直接関連するものではないため、そこから株主利益最大化原則を導くことはできないと論じています。

https://www.amazon.co.uk/Shareholder-Value-Myth-Shareholders-Corporations/dp/1605098132


続いて発表された、The Shareholder Value Mythと題する論文、そして、同名の書籍では、株主利益最大化原則は会社法上の原則ではないことに加えて、株主利益最大化原則の概念によって、むしろ企業や株主自身にとって有害な結果を導いたことを示します。さらに、Dodge v. Fordが株主利益最大化の原則の根拠にはならないという説明に加えて、理論的な側面からも株主利益最大化原則の否定を試みます。株主利益最大化原則を肯定する論拠として、株主の残余請求権の最大化という議論があります。株主は会社に対する残余請求権を有し、株主は、債権者、従業員などの契約上の債務が支払われた後の企業利益のすべてを法的に受け取る権利があることから、株主の残余請求権の価値を最大化することは、企業そのものの価値を最大化することと同じことであり、取締役の義務を企業価値の最大化と考えたとしても、株主利益の最大化を目指すことになる、との説明です。これに対してスタウトは、株主が残余請求権を行使できる場合というのは会社が破産又は解散清算した場合であり、ビジネスを継続する企業においては、会社こそが契約に基づく債務の支払い後の利益を保持し、取締役会が適切と考えるようにそれを使用することができるため、株主の残余請求権を根拠に、企業価値の最大化=株主利益の最大化を導くことはできないと反論します。

続いて、取締役が株主利益最大化原則のもと経営を行う義務を負っていると一般的によく説明されていますが、果たしてそのような経営を行わなかった場合に取締役には義務違反が認められ、損害賠償請求を受けるのかというと、これも実は難しいという議論が紹介されます。というのも、日本では経営判断原則、アメリカではBusiness Judgement Ruleとして説明される法理論が存在します。日本とアメリカで多少ルールの適用のされ方は異なりますが、ざっくり説明すると、取締役が会社のために行った経営判断であれば、その後会社に損害が発生したとしても、取締役の判断を尊重し、その経営ミスに基づいて発生した損害に取締役は責任を負わないという法理論です。なぜこのような法理が生み出されたかという議論については大量の研究がなされているのですが、仮に経営のミスによって取締役が損害賠償責任を負うことになってしまうと、常にリスクがつきまとう経営判断において取締役がリスクを取って経営を行うことを躊躇してしまうということや、裁判所が事後的に取締役の経営判断の良し悪しを判断することはできないだろうという考慮等が働いているとされています。なお、取締役が会社のためではなく専ら自らの利益を得るために経営を行った場合は、忠実義務違反という類型に基づき損害賠償責任を負うという議論はあるのですが、株主利益最大化原則に従わないことは、利益相反行為等の一般的な忠実義務違反のケースとは異なりますので、株主利益最大化原則に従わない経営を行ったことを理由に取締役が責任を負うことはなく、株主利益最大化原則はルール化されたものとはいえないというのが、スタウトの主張です。

スタウトの主張を前提にすると、法律上の議論においても会社法では株主利益最大化原則が採用されているとは言い難いため、フリードマンの第二の理由づけは妥当ではないという議論が導けるはずです。

しかし、これは会社法の解釈上誰もが納得する議論かというと必ずしもそうではなく、UCLAのステファン・ベインブリッジ教授は以下のエッセイでスタウトに対して反論を行っています。例えば、スタウトはDodge v. Fordの判例の読み方を間違っており、取締役の裁量に関する説示は、Dodge v. Fordの事件の解決にあたって必要不可欠な論証であることやDodge v. Fordの事件とは別にデラウェア州における会社法解釈においては株主利益最大化原則をベースに議論がなされてきたという事実があるということを論じています。

また、株主利益最大化原則の考え方を改めるために、Benefit Corporationと言われる株主利益を超えた幅広い利益を考慮する取締役の義務を想定した新しい形態の会社組織がアメリカにおいて導入されつつあるということを考えると、これまでの伝統的な会社においては、株主利益最大化原則が存在していたと考える方が自然かと思いますので、個人的にもスタウトの主張に完全に乗っかれるかというと、そう簡単な話ではないと思っています。

とはいえ株主利益最大化原則における株主とは短期保有株主なのか長期保有株主なのか、利益最大化の最大化の時期はどれくらいのスパンを想定しているのか、株主利益最大化原則が採用されていると仮定したとしても、その概念に曖昧なところがあることは確かだと思います。短期保有株主の利益を阻害するものの長期保有株主の利益の向上にはつながるという施作は考えられますし、特に会社の社会貢献活動等は短期的にはコストになるものの、長期的にはブランド構築、レピュテーションの向上等長期保有株主にとっては利益につながるともいえ、株主利益最大化原則から直ちに企業の社会貢献活動が許容されないという結論を導くことはできないと思います。

したがって、企業経営者は、その企業を所有する株主の代理人であり、企業経営者は株主に対して責任を負っており、その責任は株主の利益を高めることである、とするフリードマンの主張を支持する第二の理由は、経営者の責任は株主の利益を高めることであるという前提には議論があるところである、また、仮に経営者の責任は株主の利益を高めることであると仮定したとしても、社会貢献活動を通じて株主の利益を高めることはあり得るため、この理由に基づいて企業の社会貢献活動を禁止することは妥当ではない、という反論になるかと思います。

次回、個人的に最も反論が困難な問いだと思われる第三の理由について検討していきたいと思います。




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