コラボレーションシステム、テレワンプラスの開発者の歴史vol.1:全国初!のあの日から、テレワークに向けて…。
10月はガッツソウルカンパニーにとって、ちょっと特別な月。
ガッツソウルカンパニーの原型、家庭教師ガッツが始動し始めた月なんです。
ということで、ここ最近テレワークあるあるを連投してきましたが、今回からは、ちょくちょくガッツソウルカンパニーの歴史について紹介したいと思います。
家庭教師がなんでシステム開発?ヨガ?WEB制作?
いろんな過去があるんです。
>毎日新聞に掲載!
発達障がい児教育を専門とし、1999年10月にスタートした家庭教師ガッツ、なんと2000年1月に「全国初!」という見出しで、毎日新聞の全国版に掲載されました。
当時障がい児向けの学習塾って、なかったんですね。
そのため、障がいのある子供にどう向き合って、教えていくか、参考にできるものが何もなかったんです。
全てが手探り。
結果、当時の指導報告書は1回の指導につき、A4紙5〜7枚!
実況中継のように、一つ一つの授業の様子を会話調で細かく残していました。
教える側を育てるためにも、後継者のためにも、データベース化は大事です。
細かい指導報告書を残すことで、それが可能になります。
新聞掲載以来、たくさんの問合せをいただき、生徒がどんどん増えていきました。
生徒が増えれば指導報告書も増えます。
>山積み。
増えた指導報告書…教材、会議議事録、日報、電話コメント、顧客ファイル、契約書類、履歴書、FAXファイル…もう事務所はファイルだらけ。
しまいに、書庫用にワンルームを借りる始末。
網目のように張り巡らされたLANケーブルを横目に、コピー…ホッチキス止め…コピー…ホッチキス…コピー…ホッチキス…。
電話が鳴れば、ファイルをめくりながら対応。
顧客が増えれば、コピー、ホッチキス止め、封入、捺印、送付…書庫へ走る…などなど、本来の業務以外に時間が取られる日々…。
あーもうなんとかしないと!もったいない!
と、いうことで、業務管理システムをパール(Perl:プログラミング言語のひとつ)で開発を依頼。
なんと、生徒宅の入り時間、出時間をガラケーで入力&報告ができるように!
この方法で、スタッフから事務局への連絡業務もできるようになり、給与もシステム内で自動算出できるようにし、時間・労力・ミスの削減に成功したわけです。
当時は、やっとパソコンやインターネットが普及し始めた頃。
そんな時代にガッツの代表は、効率を求めてITに関わるようになっていったわけです。
そんなこんなの2002年末のこと…
「東京中探したけど、ガッツのような学習塾がない…だから東京に来て欲しい」
と、大阪から東京へ引っ越した親御さんから電話。
「行けまへん」と、代表。
エッ!行かないんですか?!
>一部テレワークをスタート!
いやいや、行きましたよ。
年明けには80人もの生徒さんが東京で待ってましたから。
行かないわけにいかない!
新幹線に乗って「都心のいっちゃん(一番)目立つところに事務所構えたろッ!」と銀座へ!
サクッと断られました。
断られ断られ…断られ断られ…断られ断られ…
辿り着いた日本橋浜町公園で、ヤケ麦酒してるとこへ現れたおっちゃんが「何してんの?」って。
なんとそのおっちゃん!日本橋のビル持ってはったんですね!
障がい児向け教育に賛同してくれて、当時お金のない代表に割安で事務所を貸してくれることになりました。
ということで、2003年ガッツ東京進出!
あ、今さらですが、ガッツは元々大阪拠点だったんです。
さあ、これでガッツは2拠点に。
それで、お問合せ管理、顧客への明細自動出力、メール定型文、掲示板、採用管理、WEBサイトとの連携をバージョンアップし、外部に依頼していた業務を自社で行うよう、システムの内製化を整えました。
そして、まだまだ「テレワークって何?」「リモートワーク?!何それ?」という時代に、とっとと一部在宅勤務を始めました。
とは言っても、代表を含め何人かのスタッフは大阪と東京を行ったり来たり。
代表は、上品に言うと“辛口”で有名ですが、根は真面目です。
生徒さんを迎えるにあたっては、生徒さんとご両親とみっちり1時間4者面接をします。そして毎日夜7時からは、2時間のスタッフ会議…。
>テレワーク拡大!
この毎日2時間のスタッフ会議は人気でした。
代表の血眼になって(想像です)子どもと向き合う姿勢から学ぼうと、会議室はいつもスタッフでいっぱい。
障がい児教育を広めるため、都庁へ行って当時の教育課へ出向き、熱く語った甲斐があり、新聞掲載やクチコミで生徒が増え、スタッフも増えました。
そんな流れで家庭教師や塾のコンサルティングもしました。
あぁぁ…本格的にテレワークにしないと体が持ちませんよ!
と言ってる矢先、2004年にSkypeが登場!
Skypeのおかげで、東京、大阪をしっかり分けて業務ができるようになり、スタッフの育成により力を入れられるようになりました。システム内製化もできてましたからね。
Skypeの登場は画期的でした。
インターネットさえあれば、世界中どこの人とでもいくらでも喋れるんですから。知らない人はいないんじゃないでしょうか?!
さすがにSkypeには負けますが、代表の活動域はこのあと、あれやこれやとまだまだ広がりますよ〜。
続きはまた今度。
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