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すべての人の使命


私たちは学んでいる。

自分を愛するということ。を



この地球で。

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愛ってなに。
幸せってなんだろう・・・。


このような自問自答を繰り返しては
人に愛されるために
愛されたくって
この人に認めてもらいたくて
自分は何にも価値がないからって

「そう思い込んで」

その思い込みが絶対的なことだと信じてしまった。




そのために
お金、社会的地位、仕事、車、有名人との交友など
こういった外的なものを
ひけらかして周りの人を
関心させようとしてきた。

そんなちっぽけな
外側の何かで
満たされない何かを
自分の幸せを埋めようと
してきた。

そんなちっぽけなことで
自分が重要で大切な存在だと感じようと
してきた。

外的なものを基準に
「幸せだ」
「私って愛されている」
「一人じゃない」
「役に立ってる」と。

感じていた。



多くのほとんどの人は
幸福は自分自身が置かれた
その外的な状況次第と思っているのかもしれません。



ただ、それが永遠に続くものだったのだろうか。




一時的なものに
過ぎないのにも関わらず、
その持続性のない
瞬間的で
味わえば、不安やしがみつきに変わる
そんなことが
「愛」や「幸せ」
なのだろうか。



私もこれらの質問を頭の中で繰り返している日々を長く過ごしてきました。
どこかで「愛」や「幸せ」が何なのか。

それが何なのか。


実は
私たちはどこかで知っていて
体の深くて手の届かないところで
その答えを知っているのではないでしょうか。

もし一度も知ることもなければ、
それらが「何なのか」
問うことさえもしないのかもしれません。

例えるなら
「あーーー!あの人名前なんだっけ・・・あのぅ、毎週土曜日のクイズ番組の司会していたさぁーー
ここまできてるのに、全然名前出てこんわぁ・・・」

ってゆーーこの時の状況と似ているなって思って。
どこかで知り、、すっかり忘れてしまったあのときのように



「愛」が何なのか。
私たちは知っている。

元々私たちは「愛」「幸せ」「喜び」を知っていたから、だからこの地球で思い出す必要があるのではないのだろうか。

いや「必要な時」がきたら「知ること」になる。とも言える



そんな私の小学4年生に起こった「愛」って何だっけ。をきっかけに
自分を知っていく不思議な経験をしていくことになりました。

「自分を知る」ということは、
経験の中から何を感じ、
そして何を学び、
何を得てきたのか。

その得てきたことから自分の行動がみえます。



「どれだけ自分を丁寧に扱い、丁寧に生き、丁寧に愛し、自分自身を育んできたのかを」

「自分が自分自身を観る」のです



自分の嫌いなところも含めて、自分の一つ一つを理解していく。
そして、まるごと受け入れ、癒されていきます。
この行為が、自分を無条件に愛していく行為なのでしょう。

私にはコンプレックスどころか
人前に出られない恐怖心や言葉や会話にでさえ、自分を表現しいていく。
ということに巨大な壁がいつも立ちはだかり、
乗り越えられない自分をいつも攻め、自分の感情に振り回され、何一つ自分を褒めてあげることなどできず、自分を責めては悲しくなり、結局のところ私は誰にも愛されない、誰とも繋がれない、醜くて妖怪みたいだな笑(☜結構だなww 流石に可哀想だw)

そんなふうに自分の言葉で自分を縛り上げ、まるで牢獄に閉じ込めるような・・そんな毎日を送っていたのですから。

「私変わりたいな・・」


と思っていても、
何からやればいいのか、
そんな時に鏡に映る私の姿は、目も当てられないほどの無様な格好。。。


ほんっと長い間抜け出せず
何が正しくて、何が正解か
暗くて深い暗闇の中を
今日も「ただ生きる」ってだけしかなくって
笑うこともない
喜ぶこともない

最悪だ
ついてない
なんて日だ。って

しまいに
テレビに映る人を罵ってみたり、
人を嫌ったり、
ネガティブな言動は
言ってみればキリがない・・

とにかく
自分が嫌いだった。。。。
何もかも


そんな私が今
「愛」について語っている。

ここでの表現は
誰かに向けたものではなく、
真の幸福が
自分自身を無条件に愛することによって得られた
この内的な状態なのかもしれないと
つくづく感じているのです。


振り返ってみれば
その自己鍛錬とも言える、並大抵なことではないことは確かだ・・・。
という側面と同時に
それが結局、自分自身を無条件に愛するために必要なことだと感じます。

自分を愛するということ。
自分自身の聖なる部分に触れる時、
私たちは万物万人は全てつながっている、一つであることを
体験するのでしょう。


これまでの人生で

絶対無理だと信じてしまったこと

克服してきた

自分自身を

誇りに思う。


だからあなたにもそれが可能なのです。

どこに向かえばいいのか。
何が正しいのか。
好きなことは何だろうか。

「私の真実が何なのか。」


そのようなところにいるのなら
「自分を知りたい」という衝動に駆られたのなら

それは
「全てが可能に変わる」

そのようなところに立っているのです。



信じてほしい。

自分という偉大な存在を




愛を込めて

HASHIMOTO TOMOKO








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