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溜まっている”毒素”のサイン。よりよく自分自身を扱う方法

受け入れられない。
認められない。
許せない。

こんな思いにぶち当たって、どこに向かい、どう進みさえすればいいのかわからない。
こんな時あなたはどうしてますか。

わたしは自分の人生は他の誰でもなく
わたしが創り出している。のですから
時として立ち止まるとき、見直すのは
『わたし自身』なんです。

いつも回り回って、驚くほどに
セルフラブの重要性に気付かされます。

セルフラブとはなんですか?と聞かれれば
『自分自身をどのように扱っているのか』
だと私は答えます。
それは、
「自分自身への探求」を意味してますよ。

なぜなら
意識を自分の内側へどれだけ向けていけるかに鍵があるからです。そのためにも
「自分自身にどれだけ興味(関心)があるか」ということも試されているのだと感じています。

聞いたこともあるとはおもいます。
よく言われるのは
「ありのままの自分を愛すること」
多くの人が耳にしているでしょう。

「ありのままの自分を愛すること」で
私自身が気づいたことは
「あるがままの状態のわたしを受け入れる」こと。どーんな自分自身でもさ、どんな感情が沸き起ころうともさ、それらすべては今この瞬間のわたし自身である。という事実なんだよね。

それが受け入れられなくて、
こんなのはダメだー!とか、これって良くないよね、とか。
特にパンチのある『でも、だって、どうせ』の三兄弟が出てくる。
でもそれってむずかしくなぁーい?とか
だってあいつがおかしいよー!とか
どうせ私なんか…。って具合になのよね。

 自分自身の中にあるその受け取りたくない感情や出来事は、自分自身の内側にある意識の一部なのだから、それを嫌だーってやってるということは、今の自分自身を嫌だーって、言っているだということにも気づけると思うんです。

よく聞かれる相談ごとのひとつでもあるんですが、何でこーんな嫌な体験をしているのー??って、言いますね。
それは、わたしたちというのは
自分自身の心の内にある意識(ネガティブな意識•ポジティブな意識)をすべて体験するからです。とわたしはお伝えしているんです。

 私たちが何かと聞かれれば『意識そのもの』でありますから、どんな意識であろうと、
ポジティブな意識かネガティブな意識か(あえて捉えやすいように分けてます)
 そー、そのどちらの意識も今の自分自身であることをまずは受け取る、受け入れる。
そこから始めて前に進むことができるんですよね。



わたしの内にあるどんな思いもわたしの思いです。ほったらかしにせず、あるがままに受けとることで全てが始まりますよ。

行き止まりの壁だと思っていたのが、実は先へ進む「扉」だということが理解できるようになるんです。

どういうことかというと
振り回される現実
または、夢や理想に向かい進んでいても、
時として立ち止まらなければいけない瞬間や、これ以上進めない的なものが立ちはだかった時、何が起きているかといえば
「今この瞬間に感じている自分の内側」
    =先へ進める扉

この今のわたしを見ずして、先には進めないということなんです。

Googleマップをイメージしたもらえるとわかりやすいと思います。
行き先を入力した後、「現在地」を入力するでしょう。
そうでなければ、所要時間もどれくらいの道のりかも出てこないからです。
この「現在地」という「今のあるがままの自分自身」を知らずして先には進みようがない。ということ。
また、今を知ることで見えていなかった「目的地」も見えてくる。行き先が明確でないと進みようがありません。

「今」というこの瞬間の中で、自分自身の内側で何が起こっているのか、自分自身が掴めていないと
起きる現象や現実、対人関係に
「ただ流されて生きる人」
になってしまうんです。
問題を解決するだけの人生になってみたり、その状況に陥った感情に振り回されるだけになっていたり・・・

今という現在地をしっかり把握するために、
「自己対話」がどうしても大切になってきます。
自分に集中し、「今この瞬間何を感じているのか、自分の内側で何が起きているのか」に気づけますから。

『今ここにすべてあり』

そのためにも
この目の前の「現実」というのを使っていくんです。
なぜなら、この「現実」こそ、一人一人が磨かれていくために必要なことを知らせてくれている「鏡」だからです。
言い換えれば
この現実🟰「今の等身大のあなたの姿が映っている鏡」
だからです。
映し出されるこの現実の中、人・出来事など目に映る全てが「今のあなた自身」です。

今の現実にどれだけ満足しているのか。
「自分を愛することを学ぶための」レッスンは、
当たり前だと感じているこの日常に溢れているのだから。
これだから人生って美しいじゃない。

私自身も揺れ動く日常の中で、意識的に生きる時間を持てなくなった時がありますよもちろん。
何が起きていたと言えば、
単純に「自分自身に飽きていたんです」。チーーん・・・w w w

自分という存在を軽視し、
「でもな…」「どうせわたしなんか」「だって、それは意味ないよ」などとかね。(※でも、だって、どうせ三兄弟はパンチあるよね)w
そんなネガティブな思考のパターンが染み付いてしまっていて
「自分自身の笑顔のために、今日という1日を、今というこの瞬間を自分のためだけに生きる」
そんな考えなどは皆無でしたから。


自分という存在をどのように扱っているかは、他でもない自分自身が一番よく知っていますよ。

これしちゃっていると、本当に自分の魂が萎縮してしまって、小さくなっちゃうんです。
もうね、ここはね本当に手放していく。自己否定とか無価値観とかね、ここに長く留まっていることを「やめる」。

まーーーーーず!これ

どんなことが起きても、どんな自分でも
「認める」「受け入れる」ことができることで
人生は大きくシフトしていきます。

ここに軽やかさを持って欲しいんです。
シンプルなこと、簡単なこと。というように

まずは、
「許せない」
「それは最悪だわ」
「あいつ嫌いだわー」とかいう
そんな自分に出会った時

「そんな自分も受け入れる」
「こんな自分でもいい」
そう自分自身に言葉をかけるとね、
必ず反発が起きてきますよ。

「それでいいわけないだろうが」
「こんな自分を許したら、もっとダメになる」とかね。
きっとそう聞こえると、だんだん気分もしょんぼりしているはずですよ。

「なんか寂しいな」
「辛いな」
「やっぱり許せないな」とかね
この湧いてくるそれら様々な感情がわんさかわんさか出てくるでしょう。

これが出てくるとアメージングですよね。最高です。

この時に気づいてあげることができるんです。

例えばですけど
「こんなに感情に蓋をして生きて来てしまったんだな」とか
「吐ききれない思いがこんなにあるんだな」とかね

その得た気づきを「受け入れる」ことはできると思いますよ。
「そっか、そうだったんだね」という具合に。

そういって置いてきぼりにしてきた自分に
「どれだけ愛と思いやりの言葉をかけてあげるか」ですよ。

例えばね
「今まで気づいてあげられなくてごめんね」かもしれないし
「厳しさばかりで、思いやることの大切さを教えてくれてありがとう」かもしれない。

揺れ動くこの日常の中で、何度も立ち止まって自分の内側で何が起こっているのかにフォーカスし、より良い方向へ転換することができるのは「今この瞬間の中での、自分への愛のある言葉がけ」を自分ですること。
これこそが『与える』行為ではないでしょうか。

進みたいのに進めないって人の多くの人が「自分自身を強いている」ともいうか、自分自身に厳しいんです。

何が好きかもわからない、何をしたらいいのかわからないって人は、
逆に「自分を知っていくチャンスの舞台に立っている」とも言えるでしょう。

自分自身への丁寧な扱いこそ、これをなくしてどこにも進めないのです。
それほどまでにも感じています。
セルフラブの重要性
それは
自分自身をどのように扱っているのか、を突きつけられているのかもしれませんね。

どんな自分自身でも、丁寧に扱うこと。
そうしていくことで、自分自身に何を与えているのかが深いところで理解することになります。
結果どんな現実が展開されていくのかを受けとることになります。
 自ずと豊かさや喜びはだれかにお願いすることでもないこともわかるでしょう。自然と自分自身が惜しみなく愛や喜びを受けとるに値することがより深くわかるでしょう。
どんな自分でも、これでいいんだという自尊心を育むことにもなるでしょう。
丁寧に感謝を持って生きること以上に大切なことなどないことも理解できる。

自分自身を愛することで、得られる豊かさは計り知れません。
これがわたしの経験から得たことです。


気づきを得て、自分自身に与えることができる。
それができるのはあなただけです。
あなたの身体、そしてあなたの人生なのですから。



こうした下地作りが、人生の中で挑戦や前進をしていく時に
「揺れずにブレずにたくましくも輝かしいあなたがを育てていける」のだと感じています。

自分自身の笑顔や喜び、内側から溢れる豊かさは、自分自身でしか知り得ないのですから。自分自身で引き出していく。そして発揮していけます。
人生が大きくシフトしていく流れが今あるのですから、ぜひこの流れを活用しましょっ!

愛を込めて









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