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応援団

 中学に入ると、運動会から体育祭と呼ばれるものに変わる。

 小学校は、親が見に来るような運動会も、中学からは親が見に来ない体育祭へと変わる。

 運動会は親に見せるような見世物と競争が多いが、中学となると男子の体も大きくなり、校内で肉体的な強さを本気で勝負するようなイベントへと様変わりする。

 小学校での最大の見せ場は、「組体操」と「紅白リレー」が中学の体育祭からは、「騎馬戦」「棒倒し」「応援合戦」となる。

 小学校の「応援合戦」は「敵陣にエールを送り」「自陣にエールを送る」。

 その中で応援歌を皆で歌いながら、硬派な応援団の応援バトルを繰り広げる。

 体育祭になると、「エールの交換」などは運動会と似ているものの、その後に創作した出し物が最大の見せ場となる。

 「出し物」は何でもよく、ダンスでもいいし、音楽やナレーションに合わせた演出でもいい。その年の応援団の嗜好により、全て異なる。

 記憶に残っている演出は、私が中学2年だった時、中学3年生が、音楽に合わせて決闘の演出をするというものだった。

 たまたまバスケ部の先輩が団長で、バク転ができる人だった。

 一対一の決闘で、各々ナイフを持っている想定となっている。

 実際には何も持っていない。

 演出中は、バックに音楽が流れていて、その音楽に合わせて、決して速い速度ではなく、ゆっくりめで見ている人がじっくりと見られるくらいの速さで、殴る真似、殴られて飛ばされる真似、蹴とばされたらバク転で飛ばされる表現をだすなど、細かくストーリーが練られているのが実に面白かった。

 ブラジルのカポエラのようなものだ。

 3年生の先輩の代の時は、バク転ができる人が数名居たことで、このような演出が可能だった。

 しかし、私の代には、誰一人バク転ができる人がいなかったこともある、創作ダンスが見世物となった。

 選ばれた曲は、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」である。

 応援団をやる迄、保育園児のお遊戯を除いて、ダンスから遠ざかっていたので、ダンスは簡単ではなかったが、主に女子が考えた創作内容を、毎日夜公園に集まってダンスの練習をしていた。

 今思うと、顧問とかがいるわけでもないのに、自分達だけで自主的に動き、目的の日に向けて作品を仕上げていたのが凄い。

 社会人になるにつれて自主性が薄れていく。

 生まれた時は、自主性しかない。人の言葉も分からないし、自分自身のことしか考えられない。

 これが意思疎通ができるようになると、自主性のまま突き進むと、協調性がないとなじられることから、集団の中での自分の役割の部分だけを演じるようになる。

 その時には、もう自主性を失ってきている。

 企業人になれば、自主性をもって、リーダーシップを発揮することを求められるが、上司からの叱責や理不尽な業務命令の中で、自主性を失い、ほぼ言われたものをこなす人間が形成されていくのが、今も日本に残る大きなリスクだ。

 アメリカは大人になればなるほど、オーナーシップ、リーダーシップが培われていくのに対し、日本だと上に上った頃には、自分の主体性もほぼなくなってしまう為、命令待ちのような人が増えてきてしまっている。

 そういう流れと比較すると、中学の時に進捗を顧問に都度確認されることもない中で、あれだけの自主性を発揮できるのなら、インターンシップを中学から始めるべきだと思う。

 応援団を形成するメンバーは、よくあるパターンとして、若干の悪っぽさを見せている人が集まる。

 先輩の例でいえば、成績は上位だったりするのだが、隣町の中学まで喧嘩しに行ってしまうような血の気の荒い先輩でもあった。

 そういう方々で形成された方が、学生時代は盛り上がるのである。

 特に中学は、悪が持てるという図式が如実にあった。

 私の代のダンスは、男女一組になって踊りを披露する。

 決して激しい踊りではないものの、要所にアクロバティックな動きを入れなければ注目されないので、夜、皆で集まる時は、アクロバティックな動きの練習に集中したものだ。

 案の定、本番では、このアクロバティックの所で大きな拍手や歓声が上がる。

 今思い返しても、応援団は実に楽しく青春でもあった。

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