父への手紙 15 「長渕剛(ごう)」と「WOWOW(ウォウウォウ)」
父は、読書家であり、英語の読解も良くできた。
だから、漢字の読みも英語の読みも問題はないはずだった。
しかし、一部、どうもしっくりこない読み方で食い気味に来る癖が治らなかった。
これを癖と言うのであれば、それは生まれながらに持っている行動パターンであり、それを持って生まれた才能と呼ぶ人もいることだろう。
私は、それを才能と呼ぶ人間のうちの一人である。
私は、長渕剛の高い声で歌っていた時代のファンであり、初めて聞いた「乾杯」は、若い時代にレコーディングされたものだ。
小学校5,6年の担任が「乾杯」が好きで、よく教室で賭けていた。
それを、子供ながらに記憶し、お気に入りの記憶の中にしまい込んでいた。
長渕剛を初めて知ったのは歌手としてだったが、初めて見たのは、歌番組の中の彼ではなく、テレビドラマ「家族ゲーム」の中の彼だった。
ドラマで見る彼の姿。
主題歌の曲の声のトーンと、私が初めて聞いた彼の「乾杯」をうたっている時の声のトーンは一致しなかったため、
本当に若いころのレコーディングが本人なのかと疑ったりもしたが、紛れもなく彼だった。
父が長渕剛を知ったのは、「乾杯」「とんぼ」がきっかけだった。
聞くのはこの2曲だけだったが、歌番組が多かった当時、テレビに長渕剛が出演すれば、私に部屋に来ては、「長渕がテレビ出ているぞ」と伝えに来てくれた。
「あの、長渕ごう!」
「ごうと書いてつよしと読む」と最初は教えてあげていたものの、そんな記憶はどこ吹く風のように、「つよし」という記憶が父には残っていなかった。
恐らく、父の辞書に「つよし」という文字はなかったのだろう。
父のもう一つの才能は、「英語は読めてもWOWOWは読めない」という能力である。
ちなみに、「WOWOW」は、「ワウワウ」と読む民放衛星放送局の一つだ。私の過程では、有料の衛星放送には加入していなかったので、通常視聴することはできなかったが、WOWOWで放映する番宣はたまに見かけた。
恐らくキャンペーンで、たまに無料視聴ができたかもしれない。
だからこそ、父の脳裏にその言葉が残っていたのだと思う。
WOWOWは、映画も音楽も取り扱っていたし、父は映画も好きだったから、WOWOWを覚えていたのだろう。
WOWOWの番宣では、ナレーターがしっかりと「ワウワウ」と発音しているし、我々家族も「ワウワウ」と発音して父を交えて会話をする。
にも拘わらず、私が「ワウワウ」と発音した会話の直後に「ウォウウォウ」とシラっと言って何事もなかったかのように会話を続ける。
そのシラっとに、家族はイラっとするし、時折、ムカっときながらも「ワウワウね」と言い直して父に返す。
からの、「ウォウウォウ」の再配達は何度続いた。
『「長渕剛がWOWOWでライブやっているぞ」と言った時の作者の意図を答えなさい。』という現代語の入試問題があったとすれば、その回答は、「長渕GOがウォウウォウでライブやっているぞ」というのが、模範解答例となる。
父のこの才能は、英語の発音からアクセントが抜けきらない人には大方当てはまるかもしれない。
英会話を大学以降から話し始めた人の場合、母国語のアクセントが抜けきらないことが多い。
勿論、アクセントがほぼ抜ける人もいる。
その違いは何か?
アクセントが抜けない人の特徴は、聞こえたままを、真似ることができない。
英語に限らず、外国語の発音が上手と呼ばれる方々は、往々にして、自分が倣ってきた英語の発音が、ネイティブから聞く発音と違うことに違和感を持ち、ネイティブが発音したままの音を出そうというモノマネが上手である。
モノマネのタレントが、海外アーチストの歌まねで英語の発音が美味いのは、文字通りモノマネが出来ているからに他ならない。
父の場合、ネイティブがどれだけ本物の発音を披露しようが、「ペンソl」と聞こえた英語は「ペンシル」と言い返す。
その延長上に「ながぶちごう」が存在し、「ウォウウォウ」も微動だにしない。
父への手紙
親父は、昔から我慢強く、家では仕事の不満をぶちまけることもない。
その証拠に、一体何の仕事をしているのか、長いこと知らなかった。
正直、未だに親父の会社のウェブサイトを見ても、何をやっているのか詳細はつかめない。
個人的には、未だに「もちかしたらCIAのスパイで、未だに家族を欺いている可能性もある」と思っている程だ。
「ながぶちごう」や「ウォウウォウ」のような読み方に関しては、自分の知識を信じてやまない程頑固者であったことは、経済界でも有名な話で、このこだわりや頑固さが、後の経営に活きたと、今では自分自身に言い切ることにしています。
そうでもしなければ、将来、英語ができることが普通の世の中になると息子をアメリカへ送り出した親父が、ウォウウォウと発した言葉を野党が聞いたら、「お前がまずアメリカで勉強して来い!」と攻め立てられていたことでしょう。
しかしながら、私が社会人になった頃に、英語はできて当たり前の世の中になっているという予測は、現実のものとなっており、先見の明があったことを証明されました。
頑固さゆえに経営者にもなったけれども、頑固さを持ち合わせた柔軟な姿勢を持っていれば、必ずやグローバルで活躍する社会人の一人となっていたことは言うまでもない。
そうなれば、親父の自伝が書かれても、ナポレオンの自伝と肩を並べられる存在になったものを、今では、「誰も読まない偉人伝」シリーズにノミネートされたままです。
とは言え、長渕剛からメタルを聞くようになって以降も、毎回「長渕GO」がテレビに出演する時には、欠かさず知らせてくれたことに、感謝いたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?