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飼っていた犬が部屋の前で

 中学の時にシーズ犬を飼い始めた。

 母が飼いたいと言ったのだと思う。

 兄も私も犬を飼いたいと親にせがんだことはなかった。
 
 父は、どうせ世話をしなくなるだろうと嫌がった。

 シーズ犬には、テリーという名前を付けた。

 どこから取った名前かは分からないが、別に抵抗はない名前だった。

 初めて飼った犬なので、躾け方のノウハウが全く分からず、母が「お手」「お座り」「お預け」を教え込んだ。

 食事は、ドライのドッグフードに茹でたささみを細かく裂いて混ぜ込んで与えていた。

 我が家では、散歩が唯一の「おしっこの場」とはせず、家のトイレの前にテリーのトイレを置いた。

 最初は、絨毯張りの我が家のいたるところでおしっこをしてしまい、臭いを取るのに苦労した。

 勿論、赤ん坊の時はそこらでうんぴもした。

 漸く、家でのトイレも習慣化できた頃、事件は起きた。

 私がいつものように学校へ到着、教室の自分の机の上にカバンを置く。

 その日は、妙に教室が臭った。

 私だけかと思い、最初は臭いの出所を一人で探した。

 結局見つからないので、周囲に

「何か臭くない?」

と言って回る。

 他の生徒も「確かに臭う」と言い始めた。

 薬物の臭いでもなく、言ってみれば、ゴミ捨て場に近い臭いだ。

 あるいは、文字通り「うんぴ臭」だ。

 結局誰にも原因を特定することが出来ないまま、担任が教室に入ってくる。

 ホームルームの時間で「起立」「礼」で朝の挨拶が済むと、いつも通りに机の上に置いたカバンを机横のフックに引っかける。

  その瞬間、私の机の上に茶色いペースト状のものがくっついていて、それが臭いの素だということが判明した。

 直ぐに鑑識を呼び、成分を調べてもらうと、「うんぴ」と特定できた。

 しかも、「犬のうんぴ」だ。

 家から学校まで、学校鞄は肩にかけっぱなし。

 一度も地面に置いてはいないので、道に転がっていた「うんぴ」を鞄で踏みつける可能性は消える。

 次に、私の教室の机の上に「うんぴ」が既に何者かにより事前に置かれていて、私はそれに気が付かずに鞄を置いてしまうという可能性が浮かび上がる。

 その時に「うんぴ」を鞄で「スマッシュ」パンプキンズした可能性も浮上した。
 
 しかし、これも状況としては、怨恨か嫉妬が原因で、私への腹いせで置いたと考えるのが自然だろうし、最も興味深いのは、もし仮にそうだとしたら、「うんぴ」を教室に持ち込んだことになる。

 運び入れたのならば、学校に来るまでの道中で、何らかの手段で周囲に気が付かれずにブツを運び込んだことになる。

 「犬のうんぴ」であれば、本人が家で飼っている犬か、登校途中に見つけた「うんぴ」を拾い上げ、持ち込んだと考えるのが妥当だろう。

 しかし、普通ならその時点で周囲が「うんぴ、手に持ってる!」と騒ぎ始め、被疑者の身元も割れてしまう。

 知能犯なら、自らそんな愚かな真似はしないだろう。

 次に考えられるのは、「運び屋によって持ち込まれた」という可能性だろう。

 そうであれば、周囲の人間が気がついていなくても不思議ではない。

 しかし、この線でも腑に落ちない点がある。

 運び屋が事前に運び入れて、周囲がそのことに気がついていないとすれば、私が鞄を置くまさにその直前に、素早く鞄と机の間に「うんぴ」を設置しなければならない。

 仮にそうだとすれば、置いた人物は私の目の前にいるはずだし、お気に行くまでに異臭が立ち込め、周囲だって気が付くはずだ。

 しかし、異臭に気が付いたのは、私が鞄を置いてからだ。

最後に疑われたのは、私が家で鞄を無意識に置いた時、その先は既に「うんぴ」が装填されており、まさに発射台でローンチを待っていたところ、一旦肩に担いだ鞄を何かしらの拍子に床に置いた。

 この時に、起爆装置が起動したかに思われたが、これは爆弾ではなかった。

 追跡装置のごとく鞄の底の面に付着し、到着先で「異臭」をばらまきクラス全員のモチベーションを下げるテロ攻撃と考えるのが妥当だろうというのが有力な説として、職員室を沸かせた。

 「自宅でうんぴ装填説」が諸説考えられる中で、最も有力な仮説として事実関係が調査されることになった。

 まず、私は捜査官から最も容疑者に近い被疑者として、取り調べを受けることになる。

「犬はいつから飼っているか」

「昨年から買い始めました」

「差し支えなければ、犬の名前を教えてくれますか」

「テリーです。」

「失礼ですが、テリーの名前の由来は?」

「分かりません。母がつけました。最初は、あまりにも可愛いので『ラブ』という名前に拘っていました。でも、オスなので『ラブちゃん』と呼ぶのはおかしいということでテリーに決まりました。」

「犬は、家族の中で誰が自分のご主人か、ランキングをつけていると聞きます。あなたの家族の中で、テリーが思うご主人様は誰になっていたかは、心当たりはありますか?」

「そういう意味で言えば、母をご主人様とあがめていたと思います。その次に、兄です。兄は散歩によく連れて行ったので、兄を慕っていました。次は私と父のどちらかですが、どちらを優先していたのかは分かりません。」

「犬は、一番下のランクの人間の前では、排尿排便をすると聞きますが、ご自宅には、あなたに割り当てられた部屋はありますか?」

「兄と私にそれぞれ部屋が割り当てられています」

「では、あなたのお兄様の部屋の前で、テリーがおしっこをしたり、『うんぴ』をしたのを目撃したことはありますか」

「記憶している限り、そのような光景と未知との遭遇を果たした経験はございません」

「では、過去に、あなたの部屋の前にテリーの『うんぴ』が装填されていたことはありますか?」

「そう言えば、以前、部屋から出た時に『うんぴ』を踏みつけそうになって、ギリギリのところでローンチを回避したことがあります。『うんぴ』は、オブラートに包んでトイレに流しましたが、そんなテリーの過失も水に流しました。」

「テリーがあなたの部屋の前でおしっこをした過去はありますか」

「それなら何度かあります。テリーがまだトイレに慣れていない頃、いたるところで粗相をしてしまうことがあり、その都度、臭いけしのスプレーで吹きとっていました。」

「それは、あなたの部屋の前でもありましたか」

「はい、ありました」

「最近、同じようなことはありましたか」

「はい、先月、一度か二度ほど、絨毯が石川県と徳島県のような形に濡れていたのを目撃しました。臭いがしたので、テリーのおもらしだと思いふき取りました。」

「あなたは、それを『おもらし』と捉えていますか?とれとも『意図的な行為』だと捉えていますか」

「…おもらし…だと思っていましたが…」

「もし仮にテリーのヒエラルキーの中で、あなたのお父様より、あなたの方を下に見ていたとしたら、最下位の烙印として、『おしっこ』や『うんぴ』を意図的にすることも考えられます。」

「…本当にそうなのでしょうか。テリーが私を『くず』扱いするとして、根拠はあるのでしょうか」

「考えてみましょう。一日の中でテリーは何回食事をとりますか」

「平日は、両親も働いているので、朝晩の二回は最低でも餌を与えています。あとは、私と兄が返ってきてからおなかが空いている時に与えますが、私も兄も部活をやっているので帰りが遅いことが多いので、一日朝晩の二回と考えるのが妥当です。」

「朝テリーにご飯をあげるのは、どなたですか」

「母です」

「では、テリーに晩御飯を与えるのは、どなたが多いですか」

「母です」

「早朝や晩御飯の後に、テリーを散歩に連れていくのは誰が多いですか」

「朝は母で、夜は兄が連れていくことが多いです」

「ありがとうございます。陪審員の皆様、ここまでの話の中で、テリーは、容疑者の母に見初められ、養子に迎えられました。お母さまは、責任をもって食事の支度や定期的なお散歩という日々の責任を負いました。被告人の兄も、テリーへの愛情は深かったように感じます。部活や学習塾にも通っていたようですが、帰宅すれば、テリーが散歩済でも、自分の意思で散歩に連れて行っていたようで、テリーも深く懐いている様子です。お父様の話があまり話題には上りませんが、聞き込みの結果、お父様が散歩をしている姿も目撃されているものの、被告人とテリーが散歩をしている姿を目撃した人はお世辞にも多くはありません。つまり、テリーと被告人の間には、主従関係が成立していないと言っても過言ではありません。少なくとも、テリーの中では、被告人はヒエラルキーの一番下に属し、蚊帳の外に置かれて眼中になかったと見るのが妥当な判断です」

「裁判長、検察側は被告人に対して言い過ぎです。そこまで言わなくてもいいのではないでしょうか」

「却下します。検察側は続けて下さい」

「被告人は、犬の飼い主の義務である、『餌を与える』『毛の手入れ』『散歩』『家のトイレの後始末』などの責務をないがしろにし、可愛い時だけ可愛がるという都合のいい関わり方をしていたと思われます。動物愛護の観点より、テリーが被告人の部屋の前で『うんぴ』を装填し、被告人が『臭い爆弾』を教室中にばらまいたことは、明らかな『臭いテロ』であり、全クラスメートのモチベーションを一時的に大幅に下落させた疑いがあります。状況証拠しかありませんが、動物愛護の観点から、皆様の真摯なご意見を反映させて頂きたくお願い致します。」
 
「では、判決を言い渡します。被告人は、家族全員一致でテリーを飼うことを決めたにも関わらず、著しく育児放棄並びに、最終的には『異臭テロ』を断行した罪で『有罪』とする。鞄と机についた『うんぴ』を綺麗にふき取り、トイレに流すこと。また『うんぴ』装填箇所にはスプレーを使用して除菌、トイレに流しさえすれば、今回の件は、全て『水に流す』ことにします」。

 私は、この事件でテリーに「うんぴ」を擦り付けられた男として卒業までの日々過ごすことになる。


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