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モノクロ写真とヒューマニズム

鬼海弘雄さんという写真家がいた。

近年亡くなられた方だが、その方の写真を見ると、
私はとても心動かされる。

例えばインドでのもの。
「生の只中にいる」といった写真群。
いかに我々は普段「無機的な」写真をほめそやしているかと思う。
香り立つような人間臭。生き物臭。

そして被写体との関係性が写真に滲み出る。
撮影者もまた、生き物、人間むき出しで
挑まなければいけないと強く思う。

この写真家は、
写真を続けるためにマグロ漁船に乗って
フィルム代を稼いでいた、という話がある。
自分の撮りたい写真を貫く姿勢に圧倒される。

有元伸也さんという、
比較的若い写真家さんの写真も
そういった強いパワーを感じる。

なんていうか、ドストライクで好みなんだよね。
ホームレスのイケメンがタバコ咥えてさ。
世の中全部知った感じでこっちみてる。
なんかかっこよくて涙出てくんのよ。
「かっこいいいいい」って唸っちゃう感じ。

撮影者のセンスで選んだ人物を撮影して、
好みの表現をする。仕上げる。
それが鑑賞者を唸らせる。
音楽も同じか。

芸術に打ち震えるとき

それくらい私の心を動かしたもの。芸術。
私もそれを知りたい。それがなぜなのか知りたい。
私もできればそれを生み出したい。
モノクロでしか表現できない良さは何なのか知りたい。
それ以外方法はないのか探りたい。

色がない分、情報量が少ないというのはある。
それで余計な情報を削ぎ落としている。
何か大事なものが浮き上がりやすいのかもしれない。
人物の味のようなもの。匂い。人間味。

それを追求することが私が100%の自分でいられるということだ。
ファーストインスピレーションを大事にすること。
ファーストストライクを逃さないこと。
かっこいいと思ったこと、心動かされたことを大事にすること。

泥臭い、球団

人の魅力というのは、私にとって、人間臭いことである。

例えば、広島カープが好きだ。
なぜって、泥臭いところが。

がむしゃらで、一生懸命で、時にカッコ悪くて、
でも生き様は格好いいというような。
それら全てを、彼らは持っている。
顔をくしゃくしゃにして勝利を喜ぶ彼らは、
泥臭くて、かっこいい。

何度もボールをカットして、
やっと得たフォアボールにガッツポーズする。
ホームランはあまり打てなくても、
それでも、勝つことに貪欲。
この市民球団の成り立ちが、
被爆した広島から復興する過程で、
市民による「樽募金」から始まったこと。
それもとても泥臭くていい。

老人が好きだ


それから私は老人が好きだ。
老人は何でもない顔をして、
実はとても文学的とも言える過去を背負っていたりする。

「ミリキタニの猫」というドキュメンタリー映画が好きだ。
ミリキタニ氏の芸術への熱意、
そして人間臭さ、文学的な過去に圧倒された。


ヒューマニズム

やはり芸術を鑑賞する・創り出そうとする上で、
ヒューマニズムを大切にしたい。
ヒューマニズムが物事の厚みというか、
深みを作っている気がする。
お金では買えない物語。
一朝一夕にはできない歴史。

付加価値、というのだろうか。
芸術家の人間としての生き様とか、
作品を作る上でのこだわりに高い価値が与えられる、
そんな世の中になればいいと思う。

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