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【一日一問】私の中にある『野性的な部分』は何か?

みなさん、こんばんは。

Grounding Lifeの由香です。

今日はブログを更新するタイミングを逃しました…今、少し慌てて更新しています。

慌てているのは『毎日必ず届けたい』と思っている方が本当にたくさんいらっしゃるから。自分の内省のために、ここ数年続けてきた『一日一問』今は、こうして繋がっていただいているあなたにとっての『内省の問い』になっているという実感があります。

この感覚は私の喜びです。私がこの世界に生きている意味でもあるんだな、ととても幸福に思っています。ありがとう。

さて、今日の問いはこんな問い。

問い:私の中にある『野性的な部分』は何か?

今日ふとした時に『ライチョウの子育て』についての本を読みました。

山に生きるライチョウ。子育てはほとんどメスが一羽で行うのだそうです。標高の高い山には敵が少ないと言われますが、その環境は過酷で生き残るのは至難の業。母ライチョウは、わが子を守るため、そして生き抜くため、常に意識を外に向け、目を見開いてあたりを見ているのだとか。

その目は黒く澄んでいて、そしてとても寂しげだと、書かれていました。

その内容を読んでいて、私は自分の中に同じような感覚があるのを感じました。どこかで、子供たちの命は最後は自分が守るのだ、という強い覚悟があるのです。そして、もし何か突発的な事故があり、命を投げ出す必要があったなら、躊躇なくそこに飛び込むような自分がいるのを感じます。

そしてそのことを思う時、どことなく、生きていくというのはそういう事なのだ、というような諦念が沸き起こります。

諦念なのですが、あまりネガティブな感じがなく、私の中にある野生の感覚がそれなんだろうな、と思ったのです。

とても抽象的な問いですが、皆さんはどういう感覚がありますか?

問い: 私の中にある『野性的な部分』は何か?

あなたの野性的な部分は、今、生きていますか?それとも眠っていますか?

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