【一日一問】私はどんな自分で、選択をしたいか。
皆さん、こんにちは。Grounding Lifeの長谷川です。
私には小学6年生の娘がいます。
彼女と共に過ごしてきた11年。お腹の中にいた時間も含めると12年。
本当に豊かな時間です。
最近は『自分の意見』を明確に話してくれるようになり、コーチとしてもリーダーシップマインドを持った一人の人間としても、彼女の在り方に『何か』を教えてもらうことが沢山あります。
とにかく憂鬱な彼女
11歳。多感な時期なのかもしれません。
小学校から帰るなり『あーーー、本当にもう嫌だ』と言い放ってきました。
あぁ、また何かあったのね、と思いつつ、彼女の話を黙って聴いていました。お友達との関係、帰り道の憂鬱。どうでもいいと思っているおしゃべりのネタに延々付き合う事の『無駄さ』。あれこれと言葉にしてくれました。
彼女の中には
・せっかくの時間を『無駄』にしたくない
・自分の『居場所』が欲しい(大事に扱われてない空気を感じたくない)
・自分のことに繋がる話をしたい(遠くのアイドルとかどうでもいい)
とかなり明確に『こんな風に過ごしたい』というものがありました。
そんな風に思っているなら無理しなくてもいいのに、と思わず感想を言うと
・独りぼっちだと周りに思われたくない(みんなにじろじろ見られる)
と話してくれました。
その『一人で歩いているとみんながじろじろ見てくる』というのは何だろうね、と話が進んでいったのです。
思い込みに気づく
私が母として、そしてコーチとして、ここで意識しているのは
『子供を誘導しない』
ということです。
こうしなさい、こうしたほうがいいはずよ、と言い切らない。
そうする方が楽だし、親の思う『安全なゾーン』に居られるようにも思いますが、一旦そうしてしまうと、子供は常に私に『解決策』を求めてくるようになります。
私は、娘や息子のことを『本当は、自分で絶対に解決できる人』と思っています。その力もエネルギーもある。だからそこを信じていたいのです。
解決策を言ってしまうと、その力を発揮しないまま、になるのです。
娘は『ひとりぼっちで歩いていると、みんながじろじろ見る』と自分が強く思い込んでいることに気が付いたようでした。思っているほど、みんな私を見ていないかも…だとしたら、この我慢は何のため?と思いを巡らしているようでした。
どんな自分でいたいのか
黙々と昼食のうどんをすすっていた娘。
ふと『私今週までみんなと登校して、来週からは一人で登校する』と言いました。どうして?と聞くと
・一人でさっさと登校して、早く校門についていたらいいだけ
・そこにはほかのルートからのお友達が来るから、話したいことはその人と
と自分なりに思ったようでした。
もちろん『お友達と一度話してみたらどう?』という気持ちは湧きます。向き合ったらいいんじゃない?と。
でも、娘にはスタンスがあるのです。
『自分のことは自分の心に聴いて自分で決める』
と。今日はそのことを尊重しよう、と思い、言葉を飲み込みました。
今日の問い
子供の在り方は純粋で真っ直ぐだな、と感じます。
そしてそのスタンスは時に大人に真っ直ぐに何かを伝えてくれるのです。
今日はこんな問い。
私は『慈愛』を持って選択をしたい。ふとそんな言葉が浮かびました。人生の目的と繋がっているのかもしれません。
皆さんはどうですか?
私はどんな自分で、選択をしたいか。
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