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「吉井和哉についての二、三の事柄」・1話目

 暗い部屋でひとり。

 THE YELLOW MONKEYを最初に意識した曲は、1995年、中学2年生の時だ。当時COUNT DOWN TVで放送された「太陽が燃えている」だったと思う。土曜日の夜中。その時はピンときてなかったと思う。
 「THE YELLOW MONKEY」って大胆なバンド名だな、くらいで。

 大きく変わったのは中学3年生も近づいた頃に発売された「JAM」だ。
 リアルタイムでは聞かなかったように思う。この頃の記憶は曖昧だ。機会は別に譲るが、私生活・学校生活ともに混乱の極みを迎えた思春期だったもので。
 数ヶ月遅れの真夜中。TVKでミュージックビデオが流れていて、それでフルコーラスを聴き、テレビ画面の光が暗闇にいる吉井和哉の顔に反射している映像とともに、確実に俺の中に何かを残して去っていった。
 そして高校受験の騒ぎが終わって、これまたちょっと発売日からは遅れたけれど「SICKS」を購入。

 人生を変える音楽がそこにあった。

 音楽の出会いで言うと、中学時代に大きな出会いは3つあった。

 ひとつは図書館にあったザ・ビートルズの「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」での「A Day In The Life」を聴いた時の衝撃。「ロックはこんなに格好いいんだ!」と思った。
 派手めなアルバムタイトル曲のリプライズがあった後、簡素なアコギとピアノの演奏に乗った朴訥としたジョン・レノンの歌が、徐々に熱を帯びる演奏、付随する不穏なオーケストラとともに盛り上がり、一変してポール・マッカートニーのとぼけたような歌が挟まり、また不穏なオーケストラに包まれ、バンドの演奏に戻り、オーケストラがすべてを包んだ瞬間、すべてが消える。

 (この時、ピンク・フロイドの「The Dark Side of the Moon」も聴いているが、あんまりピンとこなかった。ピンク・フロイドに関しては、大好きになった今でもこの「狂気」はピンときていない。むしろ、高校時代に出会った「THE WALL」及び「The Final Cut」の方が好きだし、今の気分は「Atom Heart Mother」や「Meddle」だし、思い出付きとしては「Wish You Were Here」の美しさがいいと思ってる)

 2つめはクイーンの「Bohemian Rhapsody」だ。
 同名映画の影響で、日本中でも老若男女が知ってる曲だけど、中学時代は、フレディー・マーキュリーの劇的な人生が終わりを迎え、数年。いったん熱が落ち着いた頃だった。
 何も知らず、音楽雑誌で知った「A Night At The Opera」という怪物アルバムを聴いた。
 痺れた。
 6分間で世界を振り回す曲。
 ロックとオペラ。
 俺の中で、そこに「演劇」というものが染みついたきっかけになるアルバムになる
 (このアルバムタイトルが大好きなコメディ映画「我が輩はカモである」を演じたマルクス兄弟の映画から取られたものであることを知ることになるのだけど、それはまた別の話)

 もうひとつは年の若い叔母に借りたサザンオールスターズの「KAMAKURA」のカセットテープ。
 その中に入っていた、「古戦場で濡れん坊は昭和のHero」の不思議な曲調と間に挟まるイコライズされたピアノとドラムの即興風の掛け合い、美しいバラード「メロディ」、徐々に盛り上がっていき最後にカタルシスを覚えるような「Bye Bye My Love (U Are The One)」などの曲が、俺を刺激してやまなかった。
 特にお気に入りだったのは「顔」という曲。凝ったリズムとドラムの音、「顔」のコンプレックスに満ちた歌詞、特に「この顔でモテたら面白い」というフレーズが、思春期特有のセンチメンタリズムに響いたようだ。

 そのとどめに出て来たのが「JAM」であり、「SICKS」だった。
 高校入学時に、また別の,人生に残るTHE YELLOW MONKEYの曲があるのだけれど、それもまた稿を改める。

 話を「JAM」に戻す。
 歌詞の引用はなるべく控えるが、間奏もほぼない、5分の曲の中にあらゆる感情が詰まっている。

 自分とは何者なのか。
 これから人生をはじめるということ。
 愛する人への想い。
 「時間」の無情さ。
 愛する人の存在。
 感情が熱くなるばかりの今。
 真夜中に想う感情。
 自分のレゾンテール。
 「愛」そのものを奪われるかもしれない世界。
 幼い子供に託した男女の関係。
 歴史の上に自分が立っているということ。
 日常に流れる、社会への憤り。
 自分は何が出来るのかという問い。
 そして「君に逢いたくて」しかたない夜。

 元のネタのひとつになった、デヴィッド・ボウイの「All The Young Duse」を後年聴いたけれど(モット・ザ・フープルのオリジナルテイクも、ボウイ本人がセルフカバーしたバージョンも)、下敷きがあったとしても、それを超える感動があった。
 「すべての若き野郎ども」も大好きだけど、オマージュを超えた曲に、俺には聴こえる。
 誰が何と言おうと、そういう曲なんだ、そういう。

 今。
 39歳に、もうじき成る。
 15歳の時に聴いた曲に20ン年、背中を押してもらってきた。
 もういい加減「何者」かになっていたいと想っている。
 まだ真っさらで、真っ白で、何もない状況だ。
 いや、これもただの甘えかもしれない。
 自分の人生には空白期間がある、ありすぎる、それに甘えている。
 吉井和哉という男が「日本のロック・アンセムを作りたい」として作った曲を未だにことあるごとに聴き、自分の中の何かを燃やしている。
 燃えているうちがハナだと思う。

 「年齢なんてただの数字ですよ」といって励ましてくれた女性がいる。
 その言葉には心から感謝している。

 それでも。
 38歳と11ヶ月は、悩んでしまう。
 「年齢」という名の「時間」に振り回されている生活を送っているせいもあるだろう。
 昨今の、急に「人生の終わり」が溢れ出る世の中になった今現在に、自分の死を考えながら、そう思ってしまう。

 それでも「君に逢いたくて」生きる。
 その「君」が何を指しているのか。
 愛する人物としての「君」なのか。
 人生を通して作り続ける作品が「君」なのか。
 生きていく人生そのものの本質が「君」なのか。
 まだ俺は「君」には出会えていない。

 だからこそ、吉井和哉が書いた歌詞に、曲に、拳を握りしめながら聴き入るのだ。

 暗い部屋でひとり。

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