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からっぽ男の憂鬱・2021/01/30

思ったことをつれづれと書いてみる。

今日は満月だ「ウルフ・ムーン」というらしい。調べてないからわからないけど。

「四重人格」

思春期に買って聞いていたTHE WHOの「四重人格」を聴きながら、この文章を書いている。
英国のモッズ少年の青春を描いたコンセプトアルバムだ。
「ロック・オペラ」という概念を作った「TOMMY」より、こっちの方が好きだ。
思春期の少年にはしっくりきたのだろう。
久し振りに全編聴いてみる。

「変な」ガキ

俺の思春期の頃は、ヴィジュアル系大流行だった。
俺はそっち方面には全く興味がなかった。
むしろ、嫌悪感さえあった。
未だに変わらない。
カラオケに行けていた頃は、この歳になってまで音楽の傾向が「V系」寄りの友人と行っていたので、何が何やらわからない音楽、としか映らない。
俺は、というと、サザンオールスターズ及び1994年頃の桑田佳祐、それにTHE YELLOW MONKEYだ。
それに洋楽、それも偏った選曲のオールドロックだ。
高校時代は「炎」と「THE WALL」にやられていた(高校時代の俺には「原子心母」と「おせっかい」はよくわからず、「狂気」はこの歳になってもいまいち好きじゃない)。
それに、別格でDAVID BOWIE。「Ziggy Stardust」と「HEROES」と「Scary Monsters」を愛聴していた。
だから、話が合うはずはない。
サザンだって、王道よりアルバム収録曲やB面の方が好きだ。
友人たちの「V系」にも、バンプ・オブ・チキンにも乗れず、かえって四人囃子の文学的な詞と荒れ狂う演奏や「はっぴぃえんど」の方が好きだった。かといってダンスやクラブ系にも乗れず、YMOは好きだけど、電気グルーヴは乗れない、変なガキだった。
だから青春時代に「四重人格」なんか選んじゃう耳を持つことになる。
そういう人です。
今はトム・ウェイツの初期を聴いている。

「本を読む」という行為について、いくつか

読書が下手くそである。
統合失調症を患って、少なくとも病名がついて、何年経つのだろう、おかげで本の読み方がわからない。
持っている本を、すべて頭にたたき込んでいれば、立派な読書家なのだが……積ん読にもほどがある量を抱えている。
もちろん全く読めないわけじゃない。
でも、本の読み方が思い出せないのだ。
本は書きたい、戯曲も小説もエッセイも、題材は山とあるので文章にしたい。
だけども。
そもそも読めないんじゃ話にならん。
原因はいくつかある。
ひとつはスマホ依存が激しかった、というのがある。
もうひとつは中学時代から患っている「ドストエフスキー・コンプレックス」と自分で呼んでいる、謎の現象だ。
一時期、なぜかドストエフスキーを好きになろうとしていた。
そして、読めていない。
「世界文学の最高峰」というのは聞いていた。
たぶん、その「金看板」に、自分自身が持っている卑屈さと今よりひどい鬱症状が重なったのだろう。
読めなくて何回泣いたか。
読めない、というより、読もうとしていなかったのだと思う。
だから、本が読むのが苦手になってしまったのだと思う。
2018年くらいから2020年にかけて、ノイローゼ気味だった。
「ああ、俺はこの山のような本を読むことなく死ぬのだろう」と、本気で思っていた。
でも、少しずつ、それを切り崩している。
それは自分の中の鬱憤がいい加減、噴火して来ているのだ。
「吉井和哉についての二、三の事柄」の「聖なる海とサンシャイン」の回に登場を願った、K女史の影響も大きい。
自分自身の「何もなさ」を改めて突きつけてもらい、必死にその穴を埋めようとしている。
「良いカッコしい」じゃないが、何もないことを話したくない。

KERAさん

ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏が好きだ。
高校時代に「カラフルメリィでオハヨ」をNHK-BSで見て、そこからズブズブと。
見逃したり、読み返しをあまりしてない作品も多いから、純粋に「好きです」「ファンです」と自分から名乗るのは違うと、自分では思っているが。
KERAさんと松尾スズキさん、井上ひさしの戯曲はすべて持っている。
ね、積ん読にもほどがあるでしょ?
でも、だ。
俺はKERAさんには大きい影響を受けている、と思っている。
劇作家協会の戯曲セミナーの、KERAさんが講師の回に質問し、答えてもらった言葉がある。
「この間計算したら、1作平均300時間かかってますね」
この言葉は大きい。
この時の、授業が終わった後の飲みの席で、K女史のすすめもあって、KERAさんの隣に座らせてもらった。
その時に開口一番「モンティ・パイソンの第4シリーズをどう思いますか?」と、名乗りもせずに言った。
KERAさんは大変困惑していた、まあ、当たり前だが。
でも、真摯に「好きですよ」と答えてもらい、その後もジョン・クリーズ」が「フォルティ・タワーズ」で30分番組1作に執筆6週間か桁はなしで「いくらなんでもね」とか、「リッピング・ヤーン」が好きとか、「ZAZ」も「裸の銃を持つ男」は前身の「フライング・コップ」の方が面白いとか、周りでKERAさんと話したがっていた人たちを置いてけぼりにしたのを、未だに覚えている、恥ずかしいけど。
KERAさんは多作だが、遅筆で有名だ。
もう何年も貫いている劇作方法だから変える気も変わる気もないのだろうけど、稽古初日に前半30ページあれば良い方、という人だ。
KERAさんを長年支えているスタッフの方に聞いたことのある話だが、あまりに筆が遅くて、莫大な予算をかけて先にセットを作って、そのセットに合わせて本番までに間に合わせた、ということも割にあるらしい。
(とはいえ、もちろん美術打ち合わせを重ねていって、の話だけれど)
俺は諸侯を上げて叩かないと完成しないので、絶対真似出来ないが。
(プロデューサーが許してくれないよ。KERAさんが別格なだけ)

世迷い言つれづれ

こんな文章を4年前にFacebookに書き散らした。
…………
真夜中に、考える。
TwitterにてKERAさんがつぶやいていたことなんだけど……。
もう5年前にもなる2012年7月6日のツイートなんだけど、その当時制作発表がされた『祈りと怪物 ~ウィルヴィルの三姉妹~』について……。
「『祈りと怪物 ~ウィルヴィルの三姉妹~』の発想は、ガルシア・マルケスが『カラマーゾフの兄弟』みたいなものを書いたらどんなものになるか、というのが発端」
これに、すっごい雷鳴を受けたように感じて、自分の中でいろいろなものが広がっていった。
どーゆーことかというと。
「作家は何をやっても良いんだ!」ということが、頭の中にくっきりと浮かんだのだ。
あんまり読んでないけど、世界最高峰の文学作家:ドストエフスキーと、ノーベル賞を受けたマジック・リアリズムの作家:ガルシア=マルケスをつなげた作品を「書く」という決意表明をしたことに驚いた。
俺の中では、別々においていて、そして自分自身には書くことがないだろう作品を世に発表し、モノにした世界最高峰の作家ふたり。
その二人をくっつけたものを書き上げて上演してやるんだ、ということを、心の中ではなく、世界中の誰もが見ることが出来るTwitterというメディアで宣言したケラリーノ・サンドロヴィチという劇作家の決意。
そのことに俺は感動し、ひとつ学んだ。
それが「作家は何をやっても良いんだ!」ということ。
もちろん。
誰しもがそこに行けるわけではない。
誰もがその才があるわけでもない。
それにKERAさんが書き上げた実際の『祈りと怪物』がどこまでその宣言に肉薄していたのか……。
(上演当時観に行ったし、戯曲は繰り返し読んでいるし、DVDも何度となく観ている)
それはまた別の話で。
まず、「作家はどんなことを考えて良く、どんなことを書いても良い」という気付きが生まれた、そのことが俺の中では大きくて。
もちろん、そこに行くまでの道は単純ではなく、様々なものの上に立つ境地であることもわかっている、と思うのだけれど。
俺には俺なりに書きたいと思っている題材があって。
それは今すぐには書くことは出来ないとも思っていて。
そのために、何作も何作も書いていかなくちゃ、と思っている。
他人の何十倍の努力。
尋常じゃない量の血肉としたいものとの闘い。
「自分の実力をつける」という行為。
その上に立つ、その時点での自分の持てる力のすべてを注いだ「結果」を残すということ。
それがやりたいんだ
…………
それがやりたいんだ。

「コンプレックス」

俺は桜美林大学の、演劇系学科の設立時の一期生だ。
途中でなんだかんだあって、挫折し、勝手に屈折して、まあ、今現在に至るのだけれど。何というか、コンプレックスというか引け目というか、自分の中でねじれきった感情がある。
だから、同期の集まりには行けないし行く資格はないと思っていた。
事実、卒業ではなく、中退だし。
でも、おととし。
あることがきっかけで、現青年団所属の村井まどかさんに連絡を取り、それでも上記のようなことを話したら「何言ってんの、気にするなって」と言ってもらい、長年の憑き物が落ちた。
落第生ではあったけど、それがなんだというのだろう。
やっと吹っ切れた、12年かかったけど。

「恩義」

断片的ではあるけれど、当時の演劇科目担当だった、平田オリザさんと坂口芳貞さんには恩を感じている。
ろくすっぽ授業に出ず、鬱もこじらせていたので、あまり鮮明には覚えていないのだが、オリザさんが授業の開口一番に「教授・先生呼びはやめて下さい。同じ立場で演劇を作る人間を育てるので」(概要)と言った。
俺の中の「年齢はただの数字」を裏打ちしている言葉だ。
坂口さんには「演劇の道を選んだのなら、安定は望めない。だけど、その事は、そうやって生きていくのはとても素敵な事じゃないか。自分が信じた道なら、周りがなんと言おうと進んでいくべき。やりたいと思っている事、それが大事なのだ。」と言ってもらった。
他にもあるのだけど、今書き残したいのはこれだ。

現在

タイピングが未だに遅い。
「商売道具」が使い物にならないんじゃ話にならん。
磨かなきゃ。
そのために、このnoteを最大限に使わせてもらおうっと。
とにかく文章を書きたい。
とにかく本を読みたい。
映画を見たい。
俺が逃げてきた「メンドクサイ」と闘う。
人生もぎ取ってやる。

つらつらと

長くなったけど、自分が今吐き出したかったことを吐き出した。
数時間後には、Zoomで芝居の稽古だ。
寝なきゃ。
お付き合い頂き、ありがとうございます。
おやすみなさい。


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