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からっぽ男の憂鬱・2021/03/06

ひっさびさに芝居を打った。
緊急事態宣言下、あえて中止にも無観客公演にもしなかった。
安全面に最大限の注意を払い、やれることをやり倒した上で、今しかできない公演を打った。

公演名は「After CORONA Children」とした。
2本立て興業で、無料公演。
無料にしたのにはワケがある。それは後ほど書く。

1本目は公演名と同じタイトルの作品。
全体的にほぼアラサーの大人のキャスト9人全員が全力で幼稚園に通う「コロナ後の子どもたち」を演じる。
このアイデアは、もともと演出をお願いした「演劇集団LGBTI東京」の代表・小住優利子さんから依頼された、「劇団員が、劇団所有のアトリエで上演できるような小品を書いてほしい」と言われた時に思いついたモノを膨らませた。
コロナ収束後の子どもたちのドタバタを書いた台本を、アドリブを入れて、自由に演出してもらって作った。

あいだ10分の換気休憩を挟んで、2本目は「コロナとともに去りぬ」と題した、コロナ収束後の、それでも解散せざるを得なかった劇団への「最後の差し入れ」を巡るドタバタとした芝居。
10分のインプロ芝居を混ぜた、脚本としては、かなり意地悪な台本だった。
「コロナ収束後の劇団に、解散直前でインプロ芝居をやらせる」という多重構造の役作りを強いる作品。
役者も演出家も、企画した俺も、ヘットヘトになる25分。

どんな公演だったか、どんな着地を見せたか、は、「無料配信公演」でお楽しいただけると思う

役者・演出家へのインタビューと、本編の映像、それにおまけを足した100分以上ある作品になった。
YouTubeにチャプター機能がついたおかげで、本編のみ、またはドキュメンタリーのみを取りだしてみることもできるので、お好きな観覧方法でお楽しみいただければ、と思います。

今回は、この「無料配信公演」というのにこだわった。
自分の技術習得と、役者・演出家への「舞台に立つ思いへの声」をドキュメンタリーにしたかった、という大命題があった上での企画だったのいうのがひとつ。
もうひとつは、「無料配信」ということへのアンチテーゼ的な、俺の思いが入っている。

このコロナの時代、「オンライン配信」がだいぶ浸透してきている。
今はちょっと違うが、企画の構想段階で「無料配信」というのに引っかかっていた時期がある。
もちろん断腸の思いがあってのことと思うが、割と「過去の公演を無料配信する」というのがあった時期がある。
それはそれでいいと思うし、団体さんの意向があってのことと思うから、全否定はしない。
だけど俺の中にはモヤモヤが残った。
「お金を払ってもらい時間を割いてもらったモノを、無料で配信していいのか?」という問いだ。

だから、自分で公演をやろうと、思った今回、「無料公演ですが、撮影も致します。追って無料公開も致します」というのを前提にしたかったのだ。
公演のお金は文化庁の助成金から出し、キャストにもスタッフにも、チケットノルマもキャッシュバックもなしで、出演料を支払う形で参加してもらった。

今回の公演で得たモノは大きい。
ひとつひとつは書かないけど、やっぱり思ったのは、「やるなら演劇はお客様の前でやるが一番」ということにつきる。

今回、脚本家としては、計算外のことがいろいろあった。
(特に上演時間)
稽古をZoomで重ねる、というのも今回の趣旨だったのだが、実際劇場で稽古した時に、Zoomでやった時より、明らかに尺が短いことがわかった。
Zoomを使った稽古の利便性とデメリットを感じた。
Zoomだと、役者・スタッフ間の空気感が読めないし、時間の使い方がまちまちなので、稽古後の団らんがなかなかできない。
Zoomでは散々やりとりをしたのに、生では初めまして……というキャストも多く、その分実際の生稽古が集中したものになった、という側面もあったりした。

役者の生の声を切り取る。
そのために、インプロを多用した。
どこまでそれが肉薄できたかは、もう少したたないと実感できない、というのが、上演後1週間パソコンに付きっきりで編集した者の感想だ。
編集終了から1週間たつが、この目がどれだけ冷静なものか、まだ判断が付かない。
それじゃいけないんだけどね。

今回は自分のアイデアを、役者と演出家に任せて、広げてもらった。
次にやるなら、もっとみっちりとした、作家性の強いものを書きたい。
そのためにはもっと自己研鑽が必要だ。

それがわかっただけでも、大きいのだ。

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