2022/02/01(火)
主人公の「私」はおそらく遠藤周作自身の姿であるだろうと思ったので、主人公が見失ったイエスへの信仰がどのような結末を迎えるのかと思いながら読み、結論は「同伴者としてのイエス」。
解説にて「父性原理としてのキリスト教」、「母性原理としてのキリスト教」といったことが書いてあったけれど、たまたま録画していた遠藤周作関連のETV特集にて、遠藤周作が幼くして両親が離婚したため母とは離れて暮らしていたと言うエピソードを知り、なるほど、それで「同伴者としてのイエス」観に繋がったのか?というの