歴史的見地からの改憲論(1)事実誤認から始まった平和主義

 戦後日本の平和主義は、先の大戦に対する反省から出発したはずだった。
 ところが日本は、少なくとも「素晴らしい憲法第九条」なそれは、そこで事実誤認してしまい、誤った方向へ進んでしまった。

 つまり憲法第九条は誤りであり、だから改められるべきだ。
 というのが、ただしこれまた七面倒くさい話になっていくのだが、とにかく筆者の主張。

 そして、それにはちゃんと根拠がある。歴史上の事実と、そこからの教訓。
 と言うわけで、まず日本が戦争した経緯を改めて説明してみる。こんな長文、たぶん誰も読まないだろうけど。


1・日本がアメリカと戦争するまでの経緯

 そもそも太平洋戦争は、以前も説明したように、ものすごく複雑な経緯から勃発している。それを簡単に説明するなど、とても無理。なのだが、それは一応、こういうことではある↓

(1)1940年7月以降、日本の目論見は大東亜共栄圏建設だった。
(2)ただし日本は当初、アメリカとの戦争は回避した上で、それを成し遂げたいと考えていた。だから日本は、そのためにドイツと同盟もした。(3)ところがその後、事態は日本の期待通りには進まなかった。
(4)そのため最終的には、日本が大東亜共栄圏建設を成し遂げるためには、アメリカとも戦争して勝つしかなくなる。当初の目論見に反してね。
(5)ただしそれで戦争決定ではなく、日本は最後に「日中戦争だけは日本の勝利で終わらせる。日本はそれ以上の侵攻はしない」という線での日米交渉妥結を試みる。
(6)しかしアメリカは、政治的および戦略的な理由から、それは受諾しなかった。結局、日米交渉は決裂する。
(7)そして日本は、「日本はアメリカに勝てる」という判断(ないし、その捏造)から、アメリカとの戦争に踏み切る。

 非常に簡単だが、概要としては以上。
 ここで重要なのは、日本はアメリカに勝てると判断して戦争に踏み切った、という点だ。


2・「日本はアメリカに勝てる」という判断

 では、「日本はアメリカに勝てる」という判断はどのようなものだったのか?というと、大体こう↓

(1)東南アジア各地の守備兵力は弱体。だから日本軍は、それを確実に撃破し、東南アジア全域を占領できる。
(2)アメリカの戦争準備は遅れており、本格的反攻は1943年後半以降と予想される。日本の東南アジア占領から約1年後で、その時間的余裕から日本は長期持久体制を整えられる。
(3)東南アジア~南洋を占領した日本軍は地の利を得ているので、アメリカの反撃は撃退できる。
(4)アメリカにも海上輸送の不足など欠点があり、その実力の全ては発揮できない。
(5)同盟国のドイツは必ず戦争に勝つ。
(6)アメリカ人は贅沢な暮らしに慣れた弱虫なので、苦しい長期戦には耐えられない。
(7)だから日本は、いつまでも長期戦を戦い抜いていれば、そのうち何か機会を掴んで有利な講和が出来るだろう。

 と、これまた簡単だが、大要は以上。

 そしてまず指摘しなければならないのは、当時の日本人の優秀さだ。
 つまり日本は、愚かだったからアメリカとの戦争に踏み切ったわけでは無い。事実はその逆で、非常に優秀ではあった。だから、アメリカに勝利できる可能性を、そこに見いだしてしまった。

 ただしそれは、中途半端に賢いだけという、一番ダメな部類の優秀さでもあった。

 まず第一に、よく知られたことだが、それは不都合な事実は無かったことにした、結論の捏造だった。
 第二に、前記のうち確算があるのは(1)の東南アジア~南洋の占領だけ。他は全て皮算用で、目論見通り進むとは限らない。そういうことならば、上手くいかなかった場合も考えておく必要がある。しかし、そういう用心深さは当時の日本には無かった。
 そして第三。仮に全てが思惑通りに進んでも、アメリカの国力と工業力は圧倒的なため、最終的な勝利は覚束無い。どころか、客観的には日本が負けて当然。

 常識的には、ここまで勝利の見込みが薄い戦争はすべきでない。

 なのだが、当時の日本には、そのような分別は失われていた。そして、「負けて当然の危険な戦争をするのだ」という理性も覚悟も無いまま、日本は「必ずアメリカに勝ってやる」という気分で戦争に突入していく。

 そもそもの話、単に無能なだけなら、(ただしここでのそれは、非常に優秀だが根本的な分別や常識を欠いていた、だが)、たぶん、それほど害は無かった。
 ところがそこに、本来なら美徳であるはずの「口を動かすな、手を動かせ」式の日本人的な真面目さや勤勉さが、しかも常軌を逸したレベルで上乗せされた。
 それが大戦末期には、もはや何のために戦争しているのかすら忘れはて、全国民特攻で勝とうというキチ○イ沙汰になっていく。


3・では、どうすれば太平洋戦争勃発を防止できたか?

 太平洋戦争は、もちろん現実に実行できたかは別の話になるが、その勃発を防ぐ手段は幾つもあった。
 ここでは、これまでの話に関連して、そのうち二点だけ記してみる。

 まず第一。アメリカの軍事力がもっと強力であれば、せめてアメリカの戦争準備があと一年早くスタートしていれば、それで日本は戦争できなかった。理由は簡単。それで、日本の東南アジアの占領が困難になる。占領できたとしても、時間的余裕が得られないので、アメリカの本格反攻が始まる前に長期持久体制を整えることは不可能。

 事実として、独ソ戦勃発後に日本はソ連攻撃を構想する。が、結局は見送る。その理由は幾つもあるが、最大の理由はソ連極東軍の強大さだった。

 つまりソ連は、時期によってその数は変わるが、第二次世界大戦中の全期間、日本を警戒して、およそ100万人のソ連極東軍を維持し続けた。独ソ戦勃発後、ソ連軍が大敗を重ねている頃ですら。

 そして、それに対して関東軍はあまりに劣勢。だから日本は、ソ連を攻撃したくても出来なかった。うかつに手出ししたら返り討ちに遭うし、そうなれば満洲どころか日本本土も危機的状況に陥る。

(一応付け加えておくが、独ソ戦勃発後の日本の決定は「北進と南進の両方の準備を進め、状況を見て実行する」であり、すなわち「好機が来た場合にはソ連を攻撃する」であり、それはゾルゲの諜報活動でソ連に筒抜けだった)。

 そして第二。これはこれまでの説明から明らかなはずだが、日本が十分に高度な頭脳を持っていれば、「日本はアメリカに勝てる」という判断(ないし、その捏造)がなされることは無く、故に戦争は起きなかった。ただしそれは、知性や知識ではなく、もっとも根本的な分別と常識を持っていれば、という事になる。先の大戦頃の日本に関する限り、本当に悪いのは軍国主義ではない。分別と常識の欠如だ。


4・では、憲法第九条はどうあるべきか?

 これまでの説明からして、まずこのように言える。

(1)軍備の放棄は、平和には繋がらない。どころか、戦争への導火線となると考えられる。だから、平和主義の観点からしても、きちんと軍備は保持しなければならない。
(2)ただし、それには高度な頭脳が備わっていなければならない。特に、分別や常識を欠いたそれでは、先の大戦頃の日本の二の舞で、有害なだけだ。

 平和主義および安全保障の観点から、少なくとも以上の二点が憲法にも反映されるべきであり、それこそが歴史の教訓だ。
 というのが筆者の根本的な主張。

 しかし、現行憲法はそうなっていない。だからそれは誤りであり、誤りは正されるべきだ。というのが、憲法第九条についての筆者の意見。


5・歴史の教訓

 以上、はなはだ簡単で不十分だが、説明してみた。

 改めて言うと、「『軍備を放棄して平和を実現しよう』という考えは間違っている。それでは平和にはならず、逆に戦争を招く結果となる。それが歴史の教訓だ」と言うこと。

 そして筆者的には、重要なのは『歴史の教訓』という点だと思っている。本当は歴史のみならず、もっと幅広い事実であり考察なんだけど、さしあたりは。

 つまり、きちんと事実を認識した上で、筋道立てた主張が行われるのなら、それがなんであれ、それはそれでひとつの意見だ。人それぞれ見解が相違するのは当たり前。民主主義の理念からして、自分と異なる他者の意見も尊重しなければならない。

 問題なのは、誤った認識から誤った主張がなされることであり、しかもそれを絶対正義のごとく振り回すことだ。こちらは単なる迷妄であり、民主主義の否定でもある。認めるわけにはいかない。

 そして戦後日本の平和主義は、少なくとも軍備の完全放棄を主張するそれは、まさしくその後者だった。だから否定されるべきだ。

 というのが筆者の意見であり、それは基本、平和主義云々以前の事実認識の問題だ。
 そして、だからまず歴史の事実を勉強し直そう、というのが筆者の本当に言いたいことだ。


6・とりあえず戦史叢書から読んでみると良いんじゃ無かろうか?

 それで、もし本気で歴史を学ぼうとするならば、まず戦史叢書を読みましょう。もしまだなら。

 ただし、そこにも誤りや歪曲はあるし、それで全てが分かるわけでは無い。が、何しろ無料。余計なお金を使う前に、まずここから始めるべきだ。http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/CrossSearch

 ただし、歴史を学ぶことは、ものすごく難しい。これも以前説明した通り、歴史学者や歴史作家の言説は、まったく信用できないからだ。
 だから、自分で資料に当たり、自分で研究していくしか無く、非常な労力が必要になる。また、日常生活の片手間にやらなければならないので、たぶん三十年くらい時間も掛かる。


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