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本日の読書 #077 「段落とスマートフォン」

参考書籍:『段落論』石黒圭

第七章 絶対段落と相対段落 より

作成した読書記録より引用。


段落とスマートフォン。

段落とは元々、「改行一字下げで表される複数の文の集まり」のことだ。
広い意味では、単に「意味のまとまり」のことを指す場合もある。

著者によれば、スマートデバイスの普及によって段落業界は一変したらしい。


紙の本であれば、段落の冒頭には「その段落に書かれていることは何か」を表す文、すなわち「小主題文」があることが望ましいとされた。

例を挙げてみる。
プチトマトを嫌いな理由」を解説するための段落を考える。

紙の本であれば、段落の中身は以下のような具合になる。

 私はプチトマトが嫌いだ。噛んだときに出てくる「あの汁」がどうにも苦手で、弾力のある皮を噛み下していくうちに、あるとき唐突に口の中に液体が広がる瞬間がくる。それが耐えがたいのだ。

冒頭の「私はプチトマトが嫌いだ。」が小主題文にあたり、その後は「小主題文で述べたことの説明」が続く。


この、紙の本が長年培ってきた「段落の常識」は、スマホとインターネットの普及によって、大きく変化した。

文章は「スワイプで一発退場するもの」となってしまったのだ。
指先をたった1センチ動かせば、一瞬で、何もなかったことになる。

読み手の判断で、簡単に「読まない選択」をすることが可能になったのである。


「私はプチトマトが嫌いだ。」なんて段落の冒頭に書いていたら、もうそれ以降の文を読む必要はない。即スワイプして、読み手は次の段落に向かう。


つまり、紙の本では文を牽引していた優秀な小主題文は、スマホの中では「ただのネタバレ」なのだ。


スマホの世界で好まれる「段落」とは、例えばこうだ。

「ブニッ、プチュッ、ドローッ」。噛んだ瞬間、プチトマトから「あの汁」が流れ出る。皮の弾力と、液体とのミスマッチ。これが、私がプチトマトを嫌う理由である。

先ほどの小主題文が、今度は最後に来ている。
その代わりに冒頭にあるのは、「結論は隠しつつ、続きが気になる文章表現」だ。


noteに記事を書いていると、この辺りの塩梅あんばいは難しい。
私の文章も段落はもはや形骸化していて、改行を適当にばらまいている有様だ。

ただ段落の歴史を知ると、このnoteにも、ちょうど良い段落の形があるような気がする。

現代における「段落」を模索していくのは、noteクリエイターなのかもしれない。

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