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ハンドメイド活動と、今考えている「これからの生き方」

おはようございます。
こんにちは&こんばんは。

タロット鑑定師&ハンドメイド作家(現在、活動休止中)の「輝凛(きりん)」です。

今回は、主に、現在活動休止をしているハンドメイド活動のこと。
そして、今後の私自身の生き方について考えていることを書きました。

「ハンドメイド活動を一旦、休止しよう」。
そう思った背景から、いろいろなことが頭の中をめぐっていました。
そしてそれらは私のこれからの生き方についての基本的な指針になりそうだとも感じています。

長くなりますので、お時間のあるときに無理のないお付き合いを頂ければ幸いですm(__)m

現在の一番の指針

2020年に起きてしまった、新型コロナウイルスの発生。
これが様々なきっかけになっています。

一番に私が考えていること、決めていること。
現在の一番の指針とも言えることです。

とにかく、感染しないで生活すること。
また、自分の行動で他者に感染させてしまう機会を作らないこと。

これに尽きます。

では、なぜ、それがハンドメイド活動の休止に繋がったのか。

私は主に、ビーズアクセサリーを制作・販売していました。
でも、そのようなアクセサリーって「外出時に身に着けるもの」ですよね。

作品を買ってくださる方々に、外出を促すようなことをしたくない。

このような気持ちが、活動休止の判断に繋がりました。

この判断の詳細は後述していますので、ご興味のある方はそちらもご覧いただければ幸いです。

ではなぜ、「外出を促すようなことをしなくない」という判断をしているのか。
この判断の根拠はあくまでも私の考えではありますが…。
それでも、多くの人に一度ご自身を振り返るきっかけにしていただければとも思って書いています。
ぜひ、お目通しいただければ幸いです。

感染症下では「個人の判断の尊重」こそが問題を生む

「ハンドメイド作品を購入することが外出に繋がるとは限らないよ。それは購入した人の判断で決めることで、そこまで輝凛さんが責任を持つことではないと思うけど…」

このように考えてくださる方々もいらっしゃるかもしれません。

いいえ、違います。
感染症は「個人の判断」を認めてしまうことで、あっという間に感染拡大していきます。
それは新型コロナウイルスに限らず、全ての感染症に言えることです。
事実、感染拡大が起きているばかりか、多くの「変異株」の発生まで起こしてしまい、感染収束のめどは一切立っていない状況になってしまいました。

しかし、その数値を見せない、知らせない方向で世界は動いています。
その理由は不透明には感じていますが「匙を投げた」という状況ということに間違いはないと受け取っています。
ですので、「新型コロナウイルスの蔓延は終わったように見える」だけで、実際には感染症は今でも世界中で続いています。

「自由」≒「責任と制限」

仮に、感染症下で個人の判断を尊重したとしましょう。

その判断、行動を起こした結果、感染したくない人たちに感染の機会を与えてしまった。最悪の場合、その方が亡くなってしまった。
これに対して、どのような責任を持てますか…?

「自由であること」が認められるのは「自分の起こした行動結果にも責任を持つこと」があることが前提です。
つまり「自由」とは「責任」であり「制限」でもあるのです。

またあらゆる行動には「メリット」も「デメリット」も存在します。
そのデメリットを全て受け入れるからこそ、自由に行動ができてメリットを享受できるはずです。

背負いきれないデメリットだと感じるのであれば、その行動は慎むことが「責任」を果たすことだと私は思っています。
また、それができてこそ「大人」であり、社会を構成する「社会人」だろうとも考えています。

「そんなこと言ったら、何もできない!」
このような自分の行動を正当化する言葉に対しては「子どもの我儘と何が違うのか。むしろ子供の方が理解して行動を諦めるのに」としか思えません。
また、そのような稚拙な判断が、感染拡大、状況悪化の一番の原因だとも感じています。
私の感覚では、現在の新型コロナウイルスの感染状況、変異株の発生は「天災」ではなく「人災」。
ハッキリ言って迷惑でしかなく、不信感が募る一方です。

なぜ新型コロナウイルスに強く警戒心を持っているのか

  • 新型コロナウイルスは「肺炎の一種」ではなく、全身疾患であるとの研究結果がある。無症状感染が起きるのは、痛みが出ない部分への感染があるためだろうと考えられる。

  • 感染しても、免疫獲得は最長でも半年程度とのこと。そして個体差があるので、数週間で抗体が消える人もいる。つまり、集団免疫獲得は不可能。これは2020年には判明していたこと。

  • 感染時の症状以上に、感染後の後遺症が起きることが別の感染症とは異なる大きな特徴。この後遺症の治療法も確立されていない。感染者の3割程度が後遺症を発症する可能性が高いよう。これは今後未来の労働人口の減少につながることを意味しています。

  • 度重なる感染で免疫不全を起こす可能性が高いという論文もある。つまり、新型コロナウイルスが死因にならくても、既往歴があることで別の疾患に繋がり、そこから命を落とす可能性がある。

  • 免疫不全などが起きている影響からか、本来であれば発症する確率が低かった、あらゆる感染症の発症が世界中で確認されつつある。また、人間が感染すると致死率が高い「鳥インフルエンザ」も世界中で蔓延中。さらなる警戒が必要とされている。

  • 新型コロナウイルスはかなり厄介で、感染後の人生(QOL)を奪う可能性が高い。

  • 感染することで得られるメリットが一切ない。

  • 日本では世界が常識とするPCR検査を採用しなかったり、有効であるとされている感染予防対策を取り入れた取り組みがマスクの着用以外、ほぼされていない。さらに、マスク着用までしなくていいという流れに強い疑問と抵抗を感じる

  • マスク着用については、インフルエンザ予防、先述の鳥インフルエンザ予防にも効果があるため、続けるべきだと強く感じる。また、たかがマスク1枚で「自由が奪われる」のだと考えるのであれば、マスクに支配されてしまうような自分の生き方や物事の捉え方、思考をしっかりと精査した方がいいように思う。

  • 自分自身の様々な活動、行動には慎重になるべきで、同時に他者を感染させてしまう可能性があることは1%でも消したい。

上記のようなことを、今まで見てきた情報から感じているためです。

私自身、主にツイッターで科学者、統計解析をされている方、海外の論文が読めたり、海外のニュースが理解できる方(つまり学術的な観点を含む外国語が理解できる方)、新型コロナウイルスの治療をされている医療関係者の方々の発信を見るようにしています。

私たちが体調面で問題があり、病院に行くときはお医者様に判断を仰ぎますよね。でも、そのお医者様も元々は科学論文をご覧になって判断をしたり、独自に研究をされたりなどで情報収集をされているはずです。

人類が初めて経験する未知のウイルスです。
それであれば、お医者様もご覧になるであろう情報を見ている方々、出てくるデータから背景にある動きを読み解ける力が強い方々の発信を見ていくことが、一番客観的に感染状況を理解できるだろうという「直感」がありました。

また、2011年の原発事故の際に感じたことではありますが…。
「政府にとって都合が悪い、対応すべき課題が山積する大きな社会問題は正しい情報が伝えられるとは限らない」と感じています。

政府…、2011年当時は民主党政権でしたが、日本の政治は「官僚政治」、つまり実質的な権力は官僚が握っており、特に民主党政権では特にそれが強かったとの話を聞いたことがあります。
民主党の前の政権も、自民党ですよね…。
つまり、自民党政権でも民主党政権でも、本来政府が対応すべき課題が山積する大きな社会問題に対する判断はそんなに変わらないだろうと感じています(政権が変わっても官僚は変わらないため)。
そのため、政府の介入が強い、政府との関係が深いような立場の方々の発信こそ「丸ごと信用すべきではない。別の観点からの情報収集を行って総合的に見ていくことが大事」と判断しています。

また、現在の自民党政権下では、マスコミへの介入も強い状態です(特にテレビや全国紙にはその影響が大きく出ている印象があります)。
そのため、そのような組織からもやや離れている立場にある方々からの発信の方が、大きく政府に負担がかかるような社会問題には真実味があり、信用があると感じています。

「君子危うきに近寄らず」

私自身は「君子」ではないですが、私が情報を拝見している皆様は正に「君子」だと感じます。
ですから、この言葉を忘れてはいけない。
惜しみなく、受け入れがたい真実であっても発信する選択をしてくださり、問題提起をしてくださっている方々の誠意を踏みにじるようなことはしたくない。
また、皆様は私の人生において「命の恩人」のような存在だとも思える。
私は、そのように感じています。

今考えている「これから」のこと

とはいえ、一切の外出をしないことは現実的ではないですよね。
出来うる限りの感染対策を講じながら、日常生活を送ることも大切です。

ではその「日常生活」ってどこまでを指すの?ということですが…。

  • 家族の介護

  • 日常の家事

  • 仕事

私の場合は、この3つかな、と考えています。

同居家族の介護が影響して、フルタイム勤務の仕事が得られなくなってしまったこと。
新型コロナウイルスの影響で、在宅の時間が増えたこと。
家族の介護に割く時間、体力も増えてきたこと。

これらをきっかけに…

  • ミシンが使えるようになった

  • 料理がかなり上達した

  • 掃除のスキルが上がった

  • 占いの勉強ができて、仕事に繋げることができた

  • 行政サービスを頼ることで生活が少しは整う、安心感を得られることを知った

このような状態です。
そして、ここから得たこと、気づいたこととして…。

  • 消費活動よりも、創作活動の方が楽しい

  • 経済的に困窮しても法的な整備は充実しているため、不安は抑えられる。困ったときに助けてくれる仕組みは意外と多い。

  • ネットを活用することで、仕事も含め、外出せずともできることはしっかりあると感じる

  • 家事や仕事に「趣味」「楽しみ」を加えれば、日常生活は十分に潤う

このようなことがありました。

ここを今後の生き方にどのように繋げていくのか、ということを考えればOKかな、と感じています。

その前に、ハンドメイド活動を休止している理由を詳しくお伝えします。

ハンドメイド活動休止の理由について

主にビーズアクセサリーを制作してきましたが、やはりアクセサリーは「外出の機会を促すことにも繋がる」と考えると…。
手が思うように動かず、不安が出てきてしまう状態です。

それでも、室内でも使えるものなら。
また、特別なおでかけではなくても、近所の買い物のときでも、その人にとっての気分転換でアクセサリーを着けてもいいのかも?

このように思うこともあるのですが…。

以前、私がネットで販売したピアスをご購入いただいたお客様から言われて、とても嬉しかったことがあります。

実際にピアスを見て、思っていた以上に可愛くて気に入りました。
そして、このピアスに合いそうな服も買っちゃいました!
これからのおでかけ、外出が楽しみです!

このようなメッセージでした。
自分が作ったアクセサリーが、別の商品の購入きっかけになったこと。
その人の人生に少しでも潤いや未来の楽しみを与えられたことがとても嬉しかったのですが…。

今、新型コロナウイルスの蔓延の状況で同じことを言われたら、とても複雑な気持ちになると思います。

私が販売したアクセサリーを買ったことがきっかけとなって、その方がもし感染してしまったら…。
それを考えるだけで、自分のことが嫌いになりそうです。
どこまでも自分を責めると思います。
そして、ハンドメイドそのものも嫌いになっていくようにも感じました。

「私のハンドメイド活動がきっかけで、誰かが感染してしまったら…」
そう思うと、不安にしかならない状態でした。
与えたはずの笑顔が泣き顔になっていく。
苦しむ表情になっていく…。
そのようなきっかけを与える可能性があることって、積極的に行っていいことなの?
そう思えてならない状態でした。

購入してくださる方々、その可能性がある方々は(つまり、どのような人であっても)、私が絶対に大事にしなければならない方々だと感じます。
そのような方々、つまり社会全体に負荷を与えてしまう可能性がある行動を取ることに、私は責任を負えない。
背負えないくらいの大きなデメリットがある。

どのようにハンドメイド活動に向き合っていいのか分からない。

そのような中「まだ、ある程度まともな対策が取られている海外に向けて販売をしてみてもいいかも…!」という一縷の望みを持った矢先、ロシアとウクライナでの戦争が勃発…。

物価上昇も発生しましたし、物流の不安定さなどなど、海外発送についてもデメリットが強くなってきてしまい、ついに「活動を一旦休止しよう…」という結論につながりました😢

これが、ハンドメイド活動を休止した理由です。

でも「もうハンドメイドは辞めよう!」とは一度も思ったことはないんですよね。
ただ「どのように向き合い、どのように発信していけばいいのか、分からない。だから、じっくり考えたい」という気持ちでいました。

今後のハンドメイド活動について

現在の一番の指針でもあること。

とにかく、感染しないで生活すること。
また、自分の行動で他者に感染させてしまう機会を作らないこと。

これをハンドメイド活動にも投影していく必要があると思っています。
私自身の生き方ではなく、皆様にも「とにかく感染しない/感染させない」を実現していただけるようなアプローチは必要だと考えています。

とはいえ、感染予防グッズを作るわけではありません(笑)。

  • 室内で利用することが多いようなもの

  • 日常生活を維持するための外出(お買い物など)に使えそうなもの

  • 同業者の占い師さんに使っていただけそうなアイテム

これらを、ビーズを使って、さらには使えるようになったミシン、つまりは布小物などで製作していこうかな、と思っています😊

実際に作るかどうかは別として(笑)。
考えているものの一例です。

  • ボールペン

  • テーブルクロス

  • マスクケース

  • マスクチェーン

  • 各種モチーフ

  • ノートカバー

  • ブックカバー

  • ペンシルケース

  • キッチングッズ

  • ポーチ

  • 巾着袋

  • 防寒グッズ

今はまだ、家族の介護(認知症でもある同居の母親と、高次機能障害の影響で問題行動が多く起きている近所の住む叔父の2名の介護)の対応が大変な状況で、私のメンタルバランスや体調も崩れてしまうことがあります。

また、いろいろな突発的な対応が入ってしまい、予定していたように自分の行動がとれないこともあります。

占い師としてのお仕事も好きですし、これからも続けて対応していきたい
気持ちも強いです。

ですので、「いつになったらハンドメイド活動を本格的に再開するのか」は今の時点ではお約束できませんm(__)m

それでも、ハンドメイド作業はかなりの気分転換にはなります。
だからこそ、作品は気が向いたとき、時間が取れそうなときに、いろいろ試作をしていきながら、心のオアシスにしていきたい。
そこを再スタートの起点として、ハンドメイド活動と改めて向き合いたいとは思っています😊

また、私自身とご購入者様の外出の機会を極力減らしたい気持ちが強いため、今後の活動はインターネット販売のみを予定しています。

これからの「生き方」について

感染予防対策と両輪で、家族の介護についても考慮していきたいと考えています。

そのため、今の住まいの地域から(首都圏ですが、田舎なので感染リスクも低い)離れることは避けようと考えています。

詳細は省きますが…。
同居の母の認知症の症状、近所に住む高次機能障害の数々の問題行動。
これらを踏まえると、二人とも対応可能な施設様に入居させることが妥当だと、介護サービスの方々とも話をしています。

同居の母とも別居となったら、感染リスクを今のように過度に意識しなくてもいいのでは?と思うような方もいらっしゃるかもしれませんが、大間違いです。

たとえ別居だとしても。
二人にとって私は「緊急連絡先」の家族です。
二人が存命している以上、私には母親・叔父の命を守る立場にあります。

施設に預けているとしても、たとえば何かの疾患、ケガで手術が必要になった場合は、私が手術に了承することが必須となるはずです。
また、何か別の問題が起きた場合にも、対応する必要があります。

何かの呼び出しがあったら、移動時間は短い方がいいですからね。

つまり、私はどのような状況であっても感染リスクは避けます。
元気でいなければ。
最低限の健康状態と維持していかねば。
これは仕事をする上でも大事なので、絶対条件だとも思っています。

今までの趣味について(生き方の変化)

ここからは、(さらに?)不快に感じる表現も含まれてしまう可能性がありますので、ご興味がある方だけ、ご覧くださいm(__)m

加えて、文章もまだまだ長く続きますm(__)m

以前、私は趣味として、音楽、特にライブに行くことが本当に大好きで生きがいでした。

地方のライブにも旅行を兼ねていくことも多かったです。
また、いろいろなミュージシャンのライブを見てきました。
その音楽の趣味を通じて繋がっていた友人もとても多かったです。

が、新型コロナウイルスの特性を知れば知るほど…。
人を移動させる、集める行為は例外なくNGだとしか思えません。
それは今も変わらないです。

そしてエンタメ業界の動きを見れば見るほど。
世間の動きを見れば見るほど…。

エンタメ業界全体に対して、また、それを求めるファンに対して、一切の信用をなくしました。
特にライブ、イベントを行う組織、参加する方々については「子ども以下。あなたたちが変異株の発生を許して、状況をどんどん悪化させている。非常に迷惑な存在。」だとも感じるくらいです。

多分、2021年のことだと思うのですが…。
当時、一番応援していたバンドで入会していたファンクラブも有効期限を待たずに早期退会。
とにかく関わりを持っていたくなかった、自分の個人情報を一刻も早く削除したいという気持ちにしかなりませんでした。
また、今でも彼らがライブやイベントなど、人を集めるような活動をしている以上、顔も名前も見たくない。自分の傷を深めたくない。
同じ世界に存在していること自体が苦痛に感じてしまい、SNSアカウントでは彼らや関連するアカウントのブロックとワードのミュートをしています。
不意に彼らの情報が入ってこない状態にしておきたいと思っています。

なぜそこまで、強く苦痛を感じているかというと…。

一番大好きだったメンバーが新型コロナウイルスの発生を受けて、以下のようなことを言っていました。

ライブ開催の是非については、自分たちだけの問題ではないし、自分たちの意思でどのようにしたいかということを考えて答えを出せるレベルを超えている。どうしようもない。

私はこの言葉に強い安心感を覚えていました。
また、「現実を受け止められる、信用できる人だな」とも強く感じていました。

それなのに…。
まだまだ感染状況が収まっていないどころか、新型コロナウイルスの危険性が思っていた以上のものだと見えてきた時期に、ライブ活動を再開したことに対して「自分たちメンバーで決めたこと」だとの言葉がありました…。

「これは強い裏切りだな…。今まで生きてきた中で与えられた、最大の裏切り行為だ…。あの言葉は何だったの?嘘だった?欲や周囲の気持ちに負けた?いずれにしても最低、最悪だよ😢」と感じて深く傷ついてしまい、今でもその傷が癒えることはありません…。
傷の大きさって、信用の大きさに比例しますからね…。
それだけ、そのメンバーのことを私は信用していたのだろうとは思いますが、だからこそ、本当に辛くて悲しくて…。

さらには。
ファン友達、彼らのファン仲間に限らず、あらゆる音楽友達との交流も断ちました。

「感染なんて気にしていられない」と言わんばかりの行動には不信感しかないためです。

そのような人たちと行動を1秒でも共にすることは「危険行為」に繋がるとも感じていますし、その判断能力には疑問と不信しかありません。
したがって、行動に限らず、どのような内容の話であっても全く信用できませんし、一緒に時間を過ごす価値もないと感じています。

プライベート利用のツイッターアカウントでは、新型コロナウイルスの情報などもたくさんRTしています。
とにかく危険性を知ってもらいたい、現実を受け止めて、行動を見直して欲しい、自分たちの健康を守って欲しい一心でした。
ですが、それも見事にスルーされていたんだな、という強いショックもあります。
今まで大切に思ってきた友達たちにも裏切られた気持ちが強いです。
そのため、ファン友達には内容を見られたくない。
これ以上「伝わらない辛さ」を実感して傷つきたくないため、鍵をかけています。

恐らく、鍵を開けるとしたら…。

一番大好きだったバンドがライブ活動など、人を実際に集めての活動の一切を止める(音源リリースと無観客のインターネットライブのみに特化するなど)か、活動休止または解散するか。

バンドへの信頼は完全になくなっています。
過去の作品も含めて、信用をなくしましたし価値もないと思っています。
(これはファンクラブ早期退会の問い合わせ時に先方にも伝えています)
でも。
人としては当然生きていて欲しいですし、元気でいて欲しいです。

とにかく、自分自身感染しないこと、スタッフやファンを感染させないことを徹底して行って欲しい。
そのために、活動を制限するか、そこに周囲が理解をしてくれないのであれば、活動そのものを止めて欲しい。
とにかく「命と健康」をしっかり守って、それぞれのミュージシャンとしてではなく「まずは個人として」の肉体、命、人生をしっかり守って欲しい。

命があり、健康であれば。
新型コロナウイルスの対策が万全となり「恐れるものではない」という状態になれば、いくらでも活動できるのですから。
その状態を早く作るため、動きを止める。
彼らが逆風を受けてでも、業界の動きを活動を止めるなど、大きなインパクトを与えて問題提起してくれたら、どれだけ嬉しいか…。
この気持ちは、今でもずっと持っているんですよね、実は。
可能性が1%でもあるなら、バカみたいに信じていたいと、ずっと思っているんですけどね…😢

あとは…。
社会の人々が行動を改めてくれ、流れが大きく変わって感染の収束にやっとまともな光が見えてきて、それが広がっていくことに確信が持てるか。
または新型コロナウイルスの治療法が確立されて、早期治療が可能になり、恐れる病気ではなくなるか。

このようなことがあれば開錠かな、と現時点では思っています。

状況が変わった場合、どう考えるか

仮に、感染対策がまともなものになったとして…。
現在私が感じている不安がある程度解消された場合、私はどのように考えるのかな、と、自分に問いかけてみました。

それでも「ライブに行きたい」とは思えません。

なぜなら…。

彼らにもお金、生きがい、実績を崩したくない、活動スタイルを変えたくないなどなど…。
いろいろな事情や想いがあることは理解できます。

ですが、お金も生きがいも、何もかも…。
人が生きることそのものは「命と健康」が基盤になって成立するものです。

その「命と健康の基盤を揺るがす」ことをしてしまうのは、本末転倒です。
また、心にも余裕がなく、行動動機が「今の状況が変わることが不安だから」なのでしょう。

新型コロナウイルスの登場を受けても「変わりたくない」ということが、非現実的な判断だと私は感じます。
さらには、現実を直視できない「弱さ」を感じるだけです。

厳しい現実の中で生きる選択ができない、心にも余裕がない…。
そのような背景で下した判断は、たいていの場合「間違いが起きる」可能性が高いと感じています。

そのような人たちをどのようにして「信じろ」というのでしょうか…?

ビジネスは「お金のつながり」ではなく「信頼関係」がベースです。
信頼しているからこそ、お金を出せる。
自分の時間を工面して、応援できる。
ただ、それだけです。

現状、ファンの命、健康を守ることもしない。
当然、集めたファンと同じ空間にいる演者を守ることをしない業界の態度にも疑問です。
さらに、演者自身も自分たちのことを本当の意味で大事にしていない。
そのようにしか感じません。

さらに…。
自分の不安を解消するために、別の不安を他者に与えてしまう。
感染症は「全く関係のない他者」にも影響をするものです。

集まるファンは喜ぶかもしれません。
収入も確保できて安心できるかもしれません。

が、その影響で、そこに全く関係のない人たちの健康や最悪の場合、命を奪ってしまうリスクがある。
公共交通機関を使いますよね?
集まる施設の近隣には会社や住居、店舗もありますよね?
「関係ない人への影響」の方が、強いのではないでしょうか?

喜びを与えているのではなく、実は見えないところで誰かに悲しみを与えているのかもしれない。

無自覚に、誰かから大切なものを奪うことを厭わない姿勢に疑問を持たない、疑問を持ったとしても、それを止めることができない。

また、感染リスクや重症化リスクが高い人たちは「身体的弱者」です。
つまり「弱い者いじめ」をしていることに等しい。
自分たちの行動は「いじめ」であり「弱者差別」であることに、なぜ気づけないのでしょうか…。

そのような「心の弱さ」「卑怯者である自覚がない」選択、判断、行動のどこに信頼性と魅力がありますか…?
大切なお金や取り戻すことはできない時間を提供する、他になすべきことがある中、さらなる労力を費やす価値があるのでしょうか…。

このように考えるからこそ…。
でも、バカみたいに信じていたいような行動を彼らが起こしてくれれば別なのですが、それが起きない限りは「ライブには行かない」と決めています。

「好き」「生きがい」とは…?

とはいえ。

今まで、現在は介護をしている母親に、長年呆れられながらも「あなたが楽しいのならそれでいい」と、半分諦められ、半分は応援と理解をしてもらいながら、多くのライブに行けたこと。

「これから先、何があるか分からないのだから、行きたいライブには行っておこう」と決めて、人生の最優先をライブ鑑賞に費やしてきたこと。

これをしてきたからこそ。
現在のエンタメ業界、大好きだったバンドに強い不信感と裏切りを感じ、ライブには今後行かない決断をしたときにも…。

「今まで後悔がないようにしてきたからそれでいい。
 もうライブには行かない。
 感染の不安があるというよりも、
 彼らへの信頼がないのだから、行っても楽しくない。
 これから私は私の日常を楽しんで生きていこう」

このように、我ながら不思議なくらいに、割り切れています。

音源を再生しないでも、全く問題ない。
寂しい気持ちもないです。

あるとき、入ったお店や通りかかったお店から、大好きなボーカリストの方がよくカバーで歌っていた楽曲が流れてきました。

「あー、懐かしいな。
 あの時、ちょっと無理してでもライブに行っておいてよかった」

素直にこのように思えました。
その方も現在、絶賛活動中だと思います。
ですが、もう還暦も超えていますしね…。
そのような年代の方々に「今から生き方を変えろ!」というのは、身体機能的に無理なんだろうな、と思っています…。

また、一番大好きだったバンドのように、強い信頼があったわけではないので、心も痛まないのでしょうね(苦笑)。

それと…。
ライブや音楽に「依存」していたら「ないと困る」「ないと不安」になると思うんです。

でも、それが単に「好き」なだけだったら…。
「あってもなくてもどちらでもいい」という前提を受け入れられる。
「なくても大丈夫。楽しめるときに楽しめばいいんだけ」と思えるんだな、と感じています。
そのため、Apple Musicのサブスクリプション契約は継続しているんですよね。
好きだったジャンル以外にも非常に多くの音源がありますからね😊

アルコール依存症、薬物依存症と同じで…。
「ないと不安」になるものが、本当の意味での「生きがい」になるとは思えないんですよね。

素直に「あってもなくてもOK。でもあれば嬉しいし楽しい。その瞬間が増えていくことが嬉しい」と思えるから、生きがいになるのだと思います。

仕事についても同じだと思うんですよね。
「この仕事がないと不安」は、仕事に依存しているのだろうと思います。

「この仕事じゃなくてもいいんだけど、できればこの仕事がしたい。」
このように思えて、責任とリスクを負える範囲で行うからこそ、仕事が生きがいになるのだろうと思います。

何となく感じていることですが…。

恐らく私のこれからの生きがいこそ、ハンドメイドや占いの活動になっていくのだろうと思います。

「あってもなくてもOK。
 でもあれば嬉しいし楽しい。
 その瞬間が増えていくことが嬉しい」

これを感じられることが、ハンドメイドと占いの活動だからです。

が、今のような「まずは気持ち」だけでは本当の意味で生活できない(苦笑)。
今は家族の介護対応に苦慮していますが、ずっと続くことではないとも思っています。
今は、いろいろなところに助けてもらいながら、生活を再構築するしかない状況ですが…。
それでも介護の合間に、「自分自身の人生、生活」を再構築していく方法を見つめなおしていきたい。

今はそのように思っていて、心理学の講座をネットで受講したりなどなど、自分の内面を整えている状態です。

とても長い文章にお付き合いいただいて、ありがとうございました。
一部(?)感情的になっている部分もあり、読みにくい部分もあったかと思いますm(__)m
文章の勉強も改めてしておかねば💦ですね(笑)。
このような文章を最後までご覧いただき、ありがとうございました🍀




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