見出し画像

白百合

 深い森の近くで、語り伝えられた話です。
 
 村境のゆるやかな丘に、それは青々とした野原が広がっておりました。その一角には、姫君の冠のように清らかで、凛とした白百合が咲き揃っています。
 いつ、誰が植えたかも分からない、けれどもこの季節には必ず咲くのでした。その芳しい香りは、柔らかく吹く風に乗り、道の端に、森に、川に、村の家々の窓辺に届くのです。長い間続いたからでしょうか。いつしか誰もが、その香りを当たり前の様に思っていたのでした。

 この頃、街との商いに精を出していた村長は、農地を広げることに決めました。
 白羽の矢が立ったのが、村境の野原です。
 村長は小作人たちを連れ、それぞれの畑にする区画に縄を張りました。その中に、あの白百合の咲く一角も含まれてしまったのです。それなのに、誰も反対はしません。そう、村の人々にとって、清らかな白い花々も、あの芳しい香りも、当たり前になりすぎていたのでした。

 開墾の責任者には、村長の長男・オズが選ばれました。彼は正直なところ、あまり働き者とは言えません。出来ることなら家でのんびりしながら、小作人たちに何もかも任せたいとすら思っていたのです。
 しかし、この仕事をしっかりとやり遂げねば、次の村長の候補として、誰も認めないでしょう。そんな理由もあって、彼は渋々と開墾予定地の視察に出かけました。
 とは言え、既に縄を張り、区画も決まっています。細かな作業などはまたにすればよい。そう考えた彼は、お付きの下男に小遣いを与えて追い払うと、縄を越えて野原に入り、ゴロリと寝転がりました。
 草の青い匂いと、高い空からこぼれ落ちる鳥の声、暖かな日差しが心地よく、彼の瞼はゆっくりと閉じてゆきました。

「もし、若様。お起きになってくださいませ」 
 細く高い声に、眠りの淵から引き上げられ、彼はいささか不機嫌でした。
「何事だ。ここは今、断りもなく入ってはならん」
 強く言いながら身を起こすと、彼の目の前にたいそう可憐な乙女が座っておりました。
 淡い金色の髪は陽の光を受けて鮮やかに輝き、緑の瞳は谷間の湖のように澄んでいます。繊細なレースをあしらった真っ白なワンピースを纏い、細い手首には黄色の宝石を編みこんだ腕輪が飾られていました。
 言葉を失い、思わずその姿に見惚れていると、乙女は微かに笑みを浮かべました。
「若様、どうかこの白百合の花を刈り取るのはおやめくださいまし。この白百合は、曽祖母のそのまた曽祖母の代から、わたくしたちが守ってまいりましたものでございます」
 若様、と呼ばれて気をよくしたものの、その身なりや仕草、言葉遣いはどうも己より身分が高いように思えます。何よりも乙女の清廉な美しさは、瞬く間にオズを虜にしていました。
「どこのどなたかは存じませんが、ここは我らが村の土地です。ここをどうするかは、村長、ひいては村の人々の意思なのです。ましてや今まで世話をした様子もない方に、あれこれと言われましても……」
 確かに、ここを世話する者がいたとは、聞いたことはありません。しかし、乙女のひたむきな瞳に見つめられ、言葉の最後は消え入りそうになりました。
 オズは視線を彷徨わせ、指で頬を掻きながら、何かもっともらしいことを言わねばと、しきりに考えを巡らせます。
「いいえ、大地は誰のものでもありませんわ。太古より雨を含み、風に耕され、陽の光を浴びて命を育む。わたくしどもは、そこを少しお借りしているだけなのです」
 乙女は鈴のように美しい声で、諭すように語りかけます。その甘やかな響きに、オズの心はふわふわとなり、ただただ乙女を見つめるばかり。
「けっして、畑を広げるなと申しているのではありません。ただ、この白百合だけは残していただきたいのですわ。わたくしどもの願いはそれだけなのです」
 
 乙女はすっと立ち上がると白百合に近づき、その白いかいなでそっと抱きしめました。その愛おしげな仕草に、オズはそれが白百合ではなく、己であったなら、そう思わずにはいられませんでした。
「何か大切な事情がおありとお見受けしました。しかし、俺……あ、いや、わたしの一存で決めることは出来ません。そこで、どうでしょう」
 この時、オズの心に邪な思いが生まれたのです。
「あなたが、お……わたしの妻になれば良い。村長の息子の妻の願いならば、無碍にはされまい。いかがです?」
 あらまぁ、と乙女は面白そうに小さく笑います。
「若様ともあろうお方が、どこの馬の骨とも知れぬ女を嫁になど、ご冗談を」
「冗談などではない!あんたがどこの誰かなど関係ない!その美しさが何よりの財産だ!どうか俺の妻になってくれ。そうすればなんとしてでも親父を説得する!」
 先程までの取り繕った態度はどこへやら、オズは激しく言い放つと、乙女の腕をつかもうと荒々しく手を伸ばしました。捕まえたと思った瞬間、乙女はクルリ、と踊るように身を翻し、彼の手から逃れます。
「美しさなど、あっという間に枯れるものですわ。若様は十年後、同じことはおっしゃいますまい」
 ふわりと流れ輝く髪の間から、憐れむような眼差しが向けられます。馬鹿にされた、そう感じたオズはますます声を張り上げました。
「言えるとも!二十年後だろうと、五十年後だろうと!」
 乙女はもはや耐えられないと言った風情で笑い出し、白百合の側でクルリクルリと舞い踊りました。
「美しさなどすぐに飽きましょう。わたくしとて、若様のお人柄も存じません」
 そう言うと乙女は、白百合を一輪手折り、髪に飾りました。その姿はまさに百合の女神の如く、午後の光の中で一際輝いているのです。
「ならばこうしましょう。明日から七日の間、この場、この刻限にてお会いしましょう。七日の間、若様のまことをわたくしにお示しくださいませ」
「誠を……とは、いかにして」
 たじろぐオズに、乙女は微笑みかけます。ですがその瞳は、冷たい光をたたえていました。
「まぁ、そのようなこともお分かりになりませんの?それでは父君ちちぎみを説得なさるなど、とても……」
 オズは今更ながら、試されていると知りました。それでも彼は、一度燃え立った想いを諦めようとはしませんでした。
「いや、分かった。七日、この場でこの刻限で。俺は必ず守る。あんたも必ず来てくれ。一日でも守られなかったら、すぐさま全て刈り取るからな!」
「もちろんですわ。わたくしがお願いしたのですもの、約束は守ります。若様もどうか、ご自身の想いでもって誠を示してくださいませね」
 乙女は髪から白百合を取ると、彼に差し出します。
「それでは明日、お待ちしておりますわ」
 まるで夢でも見ていたかのようでした。
 オズは手にした白百合の花をぼんやりと眺めながら、ゆっくりと丘を降ります。そのまま、村への入り口で下男と落ち合うと、無言で屋敷へと戻ったのでした。
 
 翌日、オズは自ら丘に赴きました。村長は始め、喜びました。ようやく息子が自覚を持ったと思ったからです。しかし、毎日ぼうっと帰ってくるばかりで、一向に開墾を始める様子がありません。
 四日が経ち、苛立ちを募らせた村長に、あの下男が申し出ました。下男はあの日、遊びに行ったふりをして、一部始終を見ていたのです。
「馬鹿息子だと思っていたが、誰とも知れん女にたぶらかされたか。我が村を邪魔に思う、近くの村の差し金に違いない!」
 そうして五日目の昼時、村長の屋敷で昼食会が開かれました。
 村でも評判の美しい娘たちが着飾って、オズの周りに座っています。彼は酔いも手伝って、すっかり気を良くしていました。以前はオズを見向きもしなかった娘たちが、次期村長となる彼に愛想を振り撒いているのです。
 それに比べて、白百合の乙女のなんとつれないことか。高価な装飾品を贈ろうとしても、軽く笑いながら受け取りませんでした。朝一番で街に走り、買い求めた珍しく美しい花束も、きれいね、と言ったきり手に取ろうとすらしません。詩集を差し出せば、子供の頃に読んだとあしらわれます。そうして必ず言うのです。
「若様の誠とは、このようなものですか」
 乙女の心をつかめないばかりか、あのように呆れられて、オズのプライドはズタズタでした。そんな時でしたから、美しい娘たちにチヤホヤされて有頂天になっていたあまり、村長が席を外したことに気がつきませんでした。
 村長はそっと裏口に回り、待機していた小作人たちに、ただちに野原の草を刈り、土を掘り起こしてくるよう命令したのです。彼らは手に手に鎌や鋤を持って、丘を登って行きました。

 ふと気がつくと、窓の外は陽が傾きつつあります。
 オズは跳ね上がるように立つと、娘たちを押しのけ、周りの止める声にも振り向かず、大慌てで屋敷を飛び出しました。
 なんと言うことでしょう。乙女との約束の刻限を過ぎてしまったのです。このままでは約束を破ってしまう、彼は必死に走りました。
 その先から、なにやら悲鳴を上げながら向かってくる男たちがいます。そう、あの小作人たちでした。
「あぁ、行っちゃなりませんだ。あの野原には亡霊がいるんだ!」
「草を刈ったそばから風が吹き上がって、白い影が四つ、いや五つフラフラと!」
「刈るな、荒らすなと不気味な声が……」
 彼らは口々に喚き立て、一目散に村を目指して逃げて行きました。
「亡霊などと……!」
 オズは唇を噛むと、慌てて走り出しました。もし乙女が約束通り待っていたら、亡霊に攫われるかも知れない。そう思うと居ても立っても居られないのでした。

 息が止まりそうになりながら、オズは丘の上の野原に着きました。
「刻限はとうに過ぎておりますわ」
 美しく、けれど冷たい声が待っていました。
 白百合を抱いた乙女は、夕刻の光に照らされ、鈍く光っているように見えます。
「すまない、違える気はなかったんだ。今日は会合があって……」
 乙女はクルリと背を向けます。
「あら、そうかしら。素敵なお嬢様方とご一緒だったのではなくて?」
 その声は、オズの背後から響きました。乙女は目の前に背を向けたまま佇んでいるのに、です。
 えっ、と振り向けば、やはり白百合を抱いた乙女が立っていました。
「若様に誠を示してください、なとどお願いしなければよかったわ」
 次は右から。そちらを向けば、やはり同じく乙女が立っています。
「もし、わたくしが嫁いでも、結局はこの白百合は刈られてしまうのでしょうね」
 左から。もう見なくても分かります。
「あぁ、信じようとしたわたくしが愚かでした」
 それは足元から、本当に悲しげな声が響きました。
 ギョッとしてオズが足元を見ると、白百合に包まれた乙女が横たわっていました。
「「「「「あぁ、信じなければよかった……」」」」」
 冷たい風のような声が重なり響き、乙女たちがゆっくりと近づいて来ます。まるで草の上を滑るように、ユラユラと、ゆっくりと。
「ひいぃぃぃぃ!」

『白い影が四つ、いや五つフラフラと!』

 先程の小作人の叫びが、耳にこだまします。
 オズは尻餅をついたままズルズルと後ずさると、後は丘を転がるように落ちて行きました。
 丘の上には、五つの白い影が揺れていた、と伝わっております。

*********************

「わたくしたち、五つ子で良かったわね」
「あら、でも残りの二日はどうなさるおつもりだったの?」
「くじでもカードでも、負けた者が行くことになったでしょうけれど」
「どちらでも良いわ。村長が痺れを切らしてくれて」
「ええ、これでこの子たちが刈られることはないわね」
「そうかしら、またすぐやってくるのではなくて?」
「少なくとも、あの息子が生きている間は無いでしょう」
「じゃあ……後、三、四十年ってところかしら」
「なるべく長生きしてもらいたいものね」
 
 きらきらとした笑い声が風に乗り、そっと白百合を揺らして行きました。
 

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?