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金の髪 金の波


 今よりずいぶん昔のことです。
 
 とある森の近くに、幸せな家族が住んでいました。
 父親は毎日、畑の世話をしています。母親は毎日、乳牛の世話をしています。その恵みで、一家は裕福ではないけれど、貧しくもなく、穏やかに暮らしていました。
 二人の間には、もうすぐ四歳になる、それは愛らしい娘がおりました。
 豊かに実った麦の穂のように輝く金の髪、夏の晴れた空を映したように透き通った青い瞳、冬の雪のように白い肌、その笑い声は小川のせせらぎのように、きらきらと響くのでした。
 二人は娘をそれはそれは大切に、愛しんでおりました。

 この年、いつもと違う天気が続きました。
 ぐずぐずと冬が足踏みをしたように、いつまで経っても暖かくなりません。ようやく雪が溶けても雨が続き、中々お日様が現れません。そのため、畑はその実りを結べませんでした。
 一番の収穫物である麦の芽は弱々しく、父親が一生懸命に世話をすれど、それは伸びるどころか、枯れてゆくのです。
 とうとう収穫の時期になっても、広い畑の一部分に弱々しい麦がぽつり、ぽつりとあるばかり。
 父親は頭を抱えて嘆きました。
「なんてこった!これじゃあ年貢を納められないぞ。それどころか食べるにも困るじゃないか」
 母親も肩を落として途方に暮れました。
「どうしようね、あんた。牛を売るにしても、まともな餌をやれなかったから、痩せっぽっちになっちまってるよ」
 そう言う二人も、そして娘も、ゆがいた山菜くらいしか食べられず、ずいぶんと痩せこけていました。
 娘の柔らかく、りんごのように赤かった頬が、痩けて暗い影になっています。お腹を空かせたまま眠る娘を見下ろし、父親はため息をつきました。
「あぁ、この子の髪のように、金色の穂をたわわに実らせた麦畑をもう一度見たいもんだ」
 そう言って、眠る娘の豊かな髪をゆっくり、ゆっくりとなでておりました。

 翌朝、森に山菜を取りに行こうと、父親は家を出ました。そして、畑が見えた時、あっ!と息を飲んだのです。
 なんと言うことでしょう。
 そこには豊かに実った麦が、金色の波のように風に吹かれて揺れているではありませんか。
 父親は何度も何度も目をこすり、麦の一本一本を触って確かめました。
 間違いありません。昨日まで枯れて見る影もなかった麦が、生き生きと、力強く実っているのです。
「あぁ、神さま、ありがとうございます!」
 父親は跪いて神に祈りました。そしてせっせと麦を刈り、母親と挽いてゆきます。夕方には納屋の半分くらい収穫が出来ました。
 そうしてこの日は、家族揃ってお腹いっぱいに麦粥を食べられたのです。あぁ、幸せだ、これは神さまのお恵みに違いないと、一家で感謝の祈りを捧げました。
 この家に、本当に久しぶりに、明るい笑い声が響いたのでした。

 翌日、残りの麦を刈ろうと畑に向かった父親は、腰を抜かしました。
 なんと、昨日収穫したはずの麦が、再び実っていたのです。畑一帯に隙間なく揺れる麦の穂を、父親はぽかんと眺めていました。
「これが奇跡じゃないなら、おれは夢を見ているんだ。あぁ、だけどこの麦は本物だ。夢なんかじゃない!」
 父親は大喜びで麦を刈り、それを挽いて母親がパンを焼き、一家は毎日お腹いっぱいに食べられるようになったのです。
 
 そんな生活が続いたある日のこと。
 朝になっても、娘がなかなか起きてこないのです。
 母親が朝ごはんだと呼びに行くと、苦しげに寝返りを打ちながら、頭が痛いと泣いていました。
 愛しい娘が苦しむ様子に両親は心を痛め、付ききりで看病をしました。
 けれど熱があるわけでもなく、薬草を煎じて飲ませてもいっこうに良くなりません。
 どうしたものかと、父親が額にかかった髪をそっと漉いた時です。
 ズルリ。
 湿った感触と共に、その指に金色の髪が巻き付いて抜け落ちたのでした。
「な……なんだ、これは!」
 払い落としたそれは、紛れもなく娘の髪です。
 慌てて娘の頬に手をやると、やはり指に巻き付くように髪が抜け落ちてゆきました。
 ズルッ、ズルッ、ズルリ。
 一房、また一房と髪が抜け落ちる毎に、娘の息が細くなってゆきます。
「なんてこった!」
 父親は叫びました。
 思い出したのです、あの日、呟いた言葉を。
 
『あぁ、この子の髪のように、金色の穂をたわわに実らせた麦畑をもう一度見たいもんだ』
 
 その願いは叶いました。けれど、その代償は。
「あれは、あれはこの子の髪だったんだ!この子の命をおれ達は喰らっていたんだ!あの時、性悪な精霊でもがおれの言葉を聞いていたのか?なぜなんだ、おれ達が、この子が何をしたって言うんだ!」
 泣こうが叫ぼうが、答えは返ってきません。
 息も絶え絶えな娘を見て、父親は釜戸から火のついた薪をつかむと、畑に走りました。
 そこには、昨日と同じように刈り取ってもよみがえる、金の波のように揺れる麦が溢れています。
「あの子を返してくれ!連れて行かないでくれ!」
 叫びながら、父親は狂ったように畑に火を放ちました。火はあっという間に広がり、金色に輝く麦を飲み込んでゆきます。その煙は真っ黒で、まるで天を衝く柱のように立ち上ってゆきました。

 その後、一家がどうなったのかは伝わっていません。
 ただ、その地で麦が育つことは、決してありませんでした。

 2024/05/21脱稿

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