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「本心を言えよ!」ってその本心がわかれない、 私たちの迷路の先にある光。

カウンセリングに通っていて最近、自分の今まで培って来たコミュニケーション能力なんて、ほんの赤子レベルだったんだなと痛感することがある。
カウンセリングに通うということは、ただカウンセラーに日頃、周囲の人には言いづらいような悩みや愚痴を聞いてもらう、というのとはちょっと違う。
自分の歪んだ、他者との境界線、自分軸を、少しずつ取り戻して行くこと。
その道程には、今まで縛られていた思い込みや観念から解き放たれる瞬間があったり、新しく内側から立ち現れた自分で、外側の現実とどうやって新たに関係性を結んでいくのか、具体的なコミュニケーションについて訓練したりする工程が含まれる。

結局は、機能不全家族に育った人間はその親も、良好な境界線を保つような、相手を尊重するコミュニケーションを体験したことがないまま親になり子育てしているわけなんだから、その子供が突然変異でまともなコミュニケーションを身につけられるはずがない。
親から自分は本当は何をされていたのか、その事実と向き合うこと。現実にある苦しい関係性に具体的に境界線を引くこと。自分を癒すこと。そして、教わったことのない正常なコミュニケーション法を、学び直すこと。
やるべきことはたくさんある。
最初の難関は、自分の安全なバウンダリーを確保するということ。
これがないと、自分と向き合おうとするその最低限の空間すらも汚されてしまう。
暴力や性加害のような、外側からもハッキリ分かる虐待の場合は第三者に介入してもらってその行為を本人に自覚させ、線引きをしてやめさせることが可能なケースもあるだろうが、世によく言われる毒親のような場合は、親と子は互いにどちらが間違っているかで争い、話はいつまでも平行線のまま。
親にそれを自覚させることは本当に難しいのではないかと感じる。

私も以前、毒親からどう逃れるのか、親と縁を切って戸籍に閲覧制限をかけるなどの方法について調べたことがある。
しかし閲覧制限をされ二度と会えなくなっても親は結局、
子供が僻んでいるだけだとか、子供が自分のことを誤解している、
などと言って、「自分こそが子供を苦しめている元凶である」と言う事実と向き合うことは、難しいように思う。
さらに厳しいことを言えば、自分が愛情を注いでいると思ってきたその行為の多くが、自己満足のためであったりただのストレス発散であったり、嫉妬や承認欲求であったりするのだが、それを認めるのはさらに難易度が上がる。
自分が本気で怖がられ嫌悪されていることにも気づかずにいつまでも、
「どうしてこんなに愛してるのに自分の愛がわからないんだ!」
とかえって怒気を強めて迫って来るメンヘラストーカーと同じだ。
絶縁し、戸籍に閲覧制限をかけて逃れた子供も、その後の人生においてずっと、
親に居場所を知られてはまずい、
という縛りから逃れることはできないのだから、せっかく自由になったとしても例えば好きな仕事で活躍して有名になることなど出来ないし、逆に追い詰められて名の知れた犯罪者になって警察のお世話になることも出来ない。
それでは本当に自由になったことにはならない。
私の母のようなクセ強めの人間が相手の場合を言えば、
どんなに年老いようともどんなに苦しかろうとも、娘をどこまでも追い詰め追いかけ、自分の考えが正しかったことを認めさせ、娘を正しい道に更生させる、
その諦めない執念深さこそが崇高な愛、と陶酔状態に入ってしまっているため、何度でも自分を奮い立たせ、ゾンビのように蘇って来るから止められない。

昨年末、親から「絶縁する!」と言われて絶縁状態になった。
どうせいつものメンヘラだろうということは分かっていたけど、それでも絶縁だというのだから、私はほっと束の間の休息を満喫していた。
しかしそれから半年も持たずに先日、「やっぱりもっと話し合うべきです!」「絶縁と言ったことはこのメールを持って撤回する!」と連絡が来た。
私には話し合うべきことなど何もないからもう会うつもりはないと伝えると、
この半年弱、絶縁などと言って母親としての責任を放棄しようとしたことに、懺悔と後悔の日々を送っていました、とお涙頂戴の長いメールが届いた。

絶縁した自分にはこれほどの正当な理由がある、お前はおかしい、とつい今しがたあんなに高圧的に書いてきたばかりなのに、数ヶ月間、懺悔と後悔の日々を送っていたとは?
台本が変わったように、コロッとストーリーが変わる。
それを指摘しても、どうせいつものように、自分の一つ前の発言は覚えていないだろう。
だからいつも、いくら話しても話が噛み合わない。積みあがっていかない。
記憶障害の人を相手にしているようだ。
しかも本人は今でも自分は世界で一番まともだと思っていて、私を自分のようなまともな人間に矯正してやろう、どうだ、有難いだろうと迫ってくるのだからタチが悪い。

子供の頃は、一体自分が何に巻き込まれているのか分からなかった。
でもこの数年真剣にカウンセリングを継続することで、これがトラウマの回避行動というものなのだということがようやく腑に落ちてきた。
トラウマに触られそうになると人は、整合性も相手の気持ちも状況も何もかも吹き飛ばして、とにかく無自覚のままそれを避けようと条件反射で右に左にハンドルを切ってしまう。しかもやっている最中も、やってしまった後も、自分の力でそれを感知することが出来ない。
以前はあなたはこう言っていましたよ、と説明しても、本人は、「自分はそんなこと言ったことはない!」と怒り出すだけだ。

ああ、やっぱり永遠に伝わらない。
子供を信頼し解放することが愛、なのではなく、自分の愛を受け取らせるべく追いかけることが彼女の愛なのだ。それをありがたく感謝して受け取らない私は、どこまでいっても、反省し、悔い改めるべき存在のまま。


私たちはいつも、こんなことを言ったら相手がどう思うか、瞬時にそれを想定しながらコミュニケーションを取っている。
だから、私のようなHSP気味の人間は、相手の今、望んでいる言葉がかえって分かりすぎてしまって、とりあえず良好なコミュニケーションを維持し相手を怒らせないようにしなければ、という恐怖心から、ついついそれを相手に与えすぎてしまう。
共依存の傷を持つ人にとって、それは極上の喜び。
しかし本当は、相手の気持ちを察して求めているものを差し出すというコミュニケーションは、
「自分に感謝をしてくれるべき」「自分に好意を持ってくれてしかるべき」
という感情を相手に押し付け、コントロールしようとしている。
それは、この数年カウンセリングに通ってようやく私が学んだことの一つだ。
私という人間がいて、それを好きになってくれる人と好きになれないと感じる人がいるのは当たり前のことであり、ごく自然なこと。
それを捻じ曲げて、その場にいる全ての人から好かれようと奮闘すること、過剰に気を使うその緊張感は、心が健康な人にはなんとも居心地の悪い、ねっとりとした疲労感を与える。
そのことが、だんだん分かって来た。

だから今まで私の周りでは、共依存の傷を持つ人はその匂いを嗅ぎつけ、もっと私から毟り取ろうと欲望をギラつかせて近づいてくるし、
傷を持たない人は、その気持ち悪さを察知して静かに去って行く。
結果、悲しいかな私の周囲にはいつも共依存の人しかいない、今にもトラブルが起きそうな綱渡りの緊張状態にお互い疲弊していく、という現象が起きていたのだ。

おそらく、この先も親にわかってもらえることはないだろう。
私はもうそれを諦めた。
本当は、もっと明確に、自分がもっとうまく理路整然と、論理に破綻なく説明することが出来たなら、スパンと気持ちよく気持ちが通じ会うのではないか、分かってもらえるのではないか、とずっと思っていた。
でもそうじゃないのだ。
人間は誰しも、自分のことは本当に、分かれない。
何度、自分の殻を破って洗脳をといてみても、「分かった自分」なんて、「悟った自分」なんてものは出てこない。
深く分かった人ほど、清々しいほど潔く、
「この程度までしか私には分からない、分かるはずがない、分からないことだらけだ!」と声高に言う。
そして、そこが腹落ちしているからこそ、人様のことをジャッジするようなことは言わないし、だからこそ人間は面白いんだよ、と笑ってみせる。

分からないもの同士で額を突き合わせて本音で議論することが解決になるなんて、なんと意味のないものに自分は拘り、捕らわれていたんだろう。
自分が楽になるためには、ひたすら一歩一歩、
ゴールのないその道を歩いていくしかない。
誰にも褒められないし、誰からも承認されることもない。
褒めてくれるのは、確かにそれは美しいと認めてくれるのは、自分なりに精一杯、どう誠実に生きたのかを知っているのは、他ならぬ自分だけだ。
自分たちは気持ちよく子供を虐待し、それこそが愛だと正当化し、謝ることも悔い改めることもない親たち。
しかし、私たちはそれを自分の力で乗り越え、彼らを許さなければいけない。
何とも、不公平な話だ。
しかし、その苦しさを超えても、私には見たい世界がある。

この数年、様々な人間関係の中で私は、自分が今までどう人とコミュニケーションを取っていたのかを観察し、人のそれを観察してきた。
そして、素晴らしい個性を持ち、積み上げた知性を携え、それぞれの経験を持った人たちが、いくつかのトラウマの種類に大別され、個性を埋没させ、トラウマの形によって同じ行動を選択させられてしまうのを見た。
簡単に、コントロールされてしまう。
そのコントロールされた人たちが、自身がコントロールされていることにも気がつかないまま、必死にお互いをわかり合おうと議論する。
答えなど、出るはずがない。
それぞれの選択なのだ。
それでも私は、それぞれの人生を必死に生きる人たちが、あんな風に自分を失ってしまう姿を、悔しいと思う。どんなに苦労して自分と向き合おうと格闘してきた人たちですら、トラウマの傷の形によってその個性を簡単に奪われ、同じような傷を持った誰かと全く同じトランスヒューマンのような洗脳状態に、はまりこんでしまう。
しかしかく言う私自身も、それと全く同じくコントロールされているのだと自覚できると、やる気が湧く。
失われた時間に対して、悔しさが湧く。
本来の私とは、一体どんな姿だったのか。
奪われたそれを取り戻すことは、私たち一人一人に与えられた当然の権利だ。

どうすれば、自分の力で自分の人生を切り開いていくことができるのか。
自分には、なんの仕事なら出来るのか。
何にならなれるのか。
なにをやっても、どうせあのプライドの高い母のお眼鏡に叶う仕事や人間と付き合っていないことがバレた途端、またブルドーザーのように入り込んで来てすべてを破壊されてしまう。
そう思うと、やりたくもない、生きたくもない、かろうじて体裁だけ整えた人生しか自分には生きることは許されないんだと、全身の力が抜けていく。
親のお好みに合うような、世間体の良い棺桶に静かに寝そべって、最高級でなくともなんとか高級寝台車と呼ばれる部類に入りそうな切符を手に入れて、命が尽きるまでレールの上を無事故無違反で安全に走り続ける。
そんな生きながらにして死んでいるような人生を与えられることを、
私は今まで感謝すべきものだと思っていた。
自分は恵まれていると思っていた。
だけど今ならはっきりわかる。
せっかく生まれたのにそんな屍のような人生を生きることに、
一体何の意味があるのか。

私たちはみんな、例外なく奴隷だ。
隣の監獄にいる奴隷仲間よりも、少しでも多く食べ物がもらえること、少しでもいい待遇を受けることが、「幸せ」だと思わされてきた。
でも、あるとき私たちは見てしまうのだ。
監獄の檻の外には自由な世界があって、その日の当たる芝生を、自ら奴隷をやめて普通に歩いている人がいることを。看守に媚を売らずとも、気に触ることをしないよう細心の注意を払わずとも、自分で働き自分の食べ物は自分の力で手に入れて、そうやって生きている人がいることを。
それを知ったとき、自分はどうするのか。
それは個人の選択だ。
さらに看守がびっくりするほど従順な奴隷になって、安全で保証書つきの、より良い待遇の奴隷を目指すのか。
それとも勇気を出して、その鎖を断ち切って、檻を出ていくのか。

カウンセリングに通い始めたばかりの頃、カウンセラーによく言われた。
いつでもやめていいんですよ。カウンセラーの立場から見て、まだ心の傷が治りきっていないと思っていても、ご本人が「楽になった」と思えた時がゴールですから、と。
でも最近は、カウンセラーにこう言われる。
もう後戻りすることがないからこそ、ご両親にとってあなたがこの共依存の協力者でなくなることは死活問題、必死で最後の抵抗をするんですよ、と。
その、「もう後戻りすることはない」という言葉は、私を強くする。
私はもう、道を選んだ。
選びきった。
とは本当は何なのか、今も何も分からない。
それでもここまで歩いてくる中で以前よりは分かったこと、というのがあって、それを知ってしまった私はもう、棺桶生活に戻ることなど出来る筈がない。

我慢するのが当たり前だと思っていたことが、本当は我慢ならなかった、と気がつく。それが、あり得ない!おかしいだろ!って怒りの感情に変わっていく。
どうして今までこんなことが我慢できたのか、もう思い出せなくなってくる。
そしてその怒りも消費し切ってしまうと、次に誰かに同じことを強制されても、どんなに脅されてもどんなに恐怖を与えられてももう、以前のように怯えなくなる。
むしろ、「はあ?なんで?なんでそんな馬鹿げたことに、従わなきゃならないの?」って笑いが込み上げて止まらなくなる。
その時、また一つ強くなって、以前よりも自由になった自分を発見するのだ。
そこにはもう、争いも抵抗も存在しない。
そして呪縛を解き切った先には、楽になったと思えた先には、
きっともっと自由で大好きな人たちや、自分が本当に夢中になれるものが、子供の頃から本当はずっと夢見ていたものが待っている筈だ。
だって寝台列車が滑っていくレールがどこまでも縫って走るその大地の上には、
小さな花々も、美しい渓流も、緑の丘も湖も、遠くの山も森も空も、
もう手の届くすぐそこに見えているのだから。

私はこの数ヶ月、さまざまな人たちとの交流を通して、たとえ相手が共依存の傷を持つ人であっても、相手の求めるものを与えようとするのを注意深くやめて、自分の素直で率直な言葉だけでコミュニケーションを取ることを心がけてきた。
すると、例え共依存の傷だらけの人たちがいても、そこにはストレスのない、良好な関係性しか生まれない、ということを体験した。
小さなトライアンドエラーは経験したが、それでもこんな風に出来る自分を生まれて初めて見たし、それは新鮮な驚きだった。少しだけ、自信がついた。

私たちの日常には、本音と建前というのがあって、お世辞と分かっていてもそれを言ったり言われたりすることがある。だから私は本音とは、相手がそれを言われたら気を悪くするかもしれない、お世辞に表裏一体くっついた、罪悪感をひょいと乗り越えた先にある、「ちょっと伝えづらいネガティブな言葉」のことだとずっと勘違いしていた。
親にもいつも言われてきた。
自分はここまで本音で話してるんだ、だからちゃんと議論をしよう、と。
そのくせ何時間にも及ぶその「議論」の中身はいつも、
私の好きなもの、今夢中になっているそれが如何に価値のないもので、今すぐそこを立ち去るべきであるという母の言説にどんなに正当性があるか。
今すぐ従うべきものであるか。
そして私の態度や性格の、次はどこをどう直すべきなのか。
そんな話ばかりだった。

先日、会社のランチタイムに夫にカフェに来てもらって話す機会を作った。
ずっと怖かった夫との会話も、外でならもう少し冷静に、上手く話せるような気がしたのだ。
その話を、カウンセラーに報告した時のことだ。
「それで私は夫に、“あのとき自分はあなたに500万で売られたような気がした”って言ったんです」
私の話をニコニコと聞いていたカウンセラーが、突然私のその言葉に、
「それが本音ですよ!」
と、手を叩いた。
瞬間、頭の中が???ハテナ???でいっぱいになる。
これが本音?
だんだん、本音が相手に伝えられるようになって来ましたね」って嬉しそうに何かをノートに書き込むカウンセラーを、私はぽかんとして見つめる。
そんなに褒められるような、わざわざ記録にとってもらうようなことを、自分は何か言ったんだろうか?
私には、普段、自分が本音だと思っているものとそれの、違いがイマイチ分からない。
本音が何か、分からない。
だが確かにそれを言ったとき、私は自分の中の何かが溢れ出しそうな、不思議な感覚を覚えた。今まで伝わらなかったなにかが、面白いほどつるんと伝わる。

きっと私はそもそも本音とはなんなのかを、生まれてこのかた、経験したことがないのだ、と思った。知らないのだ。
私たちは、本音と建て前、という言葉のトリックに騙されて、建前の裏側に自分の本心があると思っている。しかし建前の後ろに表裏一体へばりついてる、相手を傷つけかねないペラペラのホンネは、本当は本音じゃない。
その言葉は、発すればいつも相手を怒らせる。でも、不愉快にさせたのならそれは、まだ私の中のヌラヌラした、「相手に分からせたい」「こう思ってもらいたい」という怨念、不純物が乗っかっていたということ。
そしてそのさらに奥にある本音というのは多分、それよりももっと小さな子どものように、それを話した瞬間、涙があふれてくるような、素朴純粋な感情そのものなのだ。
正しいか正しくないか、いい人かいい人でないか、そんなものを超越した、
私だけが感じた、誰にも否定しようのないたった一つの、気持ち
それを言われた相手をも、心の深い底から救うような、力強く、広大なゴミ溜めにたった一つ光る、失くした宝ものような、絶大な力を持つもの。
相手の心に、ズドンと届く、起死回生の一撃

議論の中身なんて、相手が言ってることは正しいのか否か、真実か、この前言っていたことと整合性がとれてるかなんて、本当は究極どうでもいいのだ。
大切なのは、目の前にいるその人と今作っているこの空間が、私と会話しているこの内容が、その人の話が、その人の書く文章が、今私にとって心地よいのか否か。
それだけだ。
もしも私がこの、お互いに美しい鐘を鳴らしあうような本心という言葉を獲得し、いつもこの言葉とつながって自分を表現出来るようになったなら。
私はきっと、もう共依存の傷に苦しめられることは、2度とないような気がする。


どこまで私たちは、自分のことを分かっていないのだろう。
自分というのは、どこまで深く続いているのだろう。
最近、娘と時々カラオケに行く。
歌が下手くそで、自分の歌声が嫌いで、学生時代のあのノリが終わってしまったら、とんとカラオケなんて行こうとも思わなくなってしまった。
でも、本当に私は歌が下手くそなのか?
下手くそだ、変な声だ、と誰かに「本音」で言われてそう思い込んだだけでは?
ちゃんと練習したことがなかっただけなのでは?
ふと、そんな疑問が浮かんだのだ。

子供の学校のPTAで広報委員に選出されたことがあった。
一緒に従事してくれたお母さんたちの多くが一眼レフを持っていて、なんだかかっこいい写真を撮ってくる。
私もかつて写真が好きで、そんな写真を自分も撮ってみたくて、おもちゃのカメラで練習していたことがあった。自分も一眼レフさえ持っていれば、あんな風に写真が撮れるのだろうか。
思わず中古で、一眼レフを購入してみた。
ところが練習しても自分にはいい写真どころかロクな写真が撮れない。
チームに一人、書いてくる文章も集めて来る素材も、そして写真の技術もずば抜けている方がいる。本人はまだ余力があって本気出してる様子がないのに、明らかに他の人より頭一個抜けている。
彼女と二人になったとき、その疑問をそっとぶつけてみたら、なんと本業の新聞記者さんだった。
ああ、だからか。鼻から自分とはレベルが違うのだ。自分なんかに出来るはずがなかった。
それでまた、カメラに触らなくなってしまった。

でも、あれは正しい諦めだったのだろうか?
まだちゃんと勉強してやり方をちゃんと教わって、真剣に練習したことがないからだけなのでは?
本当に自分に出来るはずがないのか、突き詰めて調べてみたことは?


私は最近、自分には誰にも負けないものすごい長所があることに気がついてしまった。
それは、人の良いところを見つけるのが他の人より圧倒的にうまいということ。
これ、なにか仕事につながりませんかね?
と冗談でカウンセラーに訊ねたら笑っていたけれど、
分かりませんよー、お子さんの隠れた能力を見つけてあげます、とか、と言われた。
そう、分からない。まだ、未来のことは分からない。
今は名前も存在も定かでない仕事が、私を待っているかも知れない。
どうしてもそれを、やりたくて堪らなくなるかもしれない。
そんなの、誰にも分からない。
本当の私は、人間が大好きで、楽しいことが大好きで、
もっともっと人間について知りたくて、もっともっと誰かと笑いたくて
誰かを幸せにしてみたくてたまらなかっただけなのに、
いつの間に、どうしてこんな辺鄙なところに来てしまったんだろう。
誰も寄せつけず、周りにいつでも敵が現れてもいいように怯え、警戒して、いつも仮想の敵に備えていた。

今まで出会った人たちと、そこから学ばせてもらったことに、今は心から感謝している。だってその出会いがなかったら、私は自分の中にまだ見ぬ本当の自分がいることに気がつけなかったから。
そしてこれからは、きっと本当の本心で、相手にそれを届けることが出来るようになれる。だんだん自分の本心というものを、分かれるようになっていける。

たくさんの知らなかった可能性が、まだまだ自分の中に詰まっている。
助けを必要としているような人に、その人がビックリするようなその人の良いところ、その人だけの素晴らしい生きていく力があることを、見せてあげることが出来たら。
その空間に生まれる幸せは、どんなパワフルな力を持つのだろう。
ただ苦しいのを抜け出したいだけで精一杯だった。
でも私は今やっと、自分の未来に、笑い出しそうな明るい可能性を感じ始めている。


大好きな公園に行って、初夏の日差しの下、お弁当を広げる。
お気に入りのおかずと小さなおにぎりと、タッパーいっぱいの、フルーツ盛り盛り。

芝生や花や木々に芽吹いた、まだ本気を出す前の爽やかな新緑が、
真夏の甘美で蒸せるような熟れた緑を内にたたえて、空いっぱいに葉を伸ばしている。
だけど、「もうちょっとで出来そうなのに…」なんて悲壮感はそこには全くない。成長できて、そこに到達できて当たり前、という泰然とした姿しかない。
笑い出しそうな肯定感。

人間はなにか、難しく思考しすぎているのではないか。
私のこの小さな思考など、新しく芽吹いたその葉先で、余すところなく咲き切った花びらの揺れで、さらさらと笑われているようだ。
自然からも人間からも、学ぶことがたくさんある。

この数ヶ月、大好きなコミュニティに入り浸っていた。
でも、私はそこを卒業する決心をした。
二度とといかない、とかではなくて、依存をやめる。
ここからは、自分の力で自分と向き合う。
子どもの頃から、自分の心の中にある、現実とは違う別の世界に一度入ってからでないと眠れなかった。私はそれをずっと、現実逃避だと思っていた。
それが自分の弱さの象徴のような気がして、でもそれなしでは生きられないから、しぶしぶとそれを自分に許して来た。
でも、あれは本当は、シカトされ、否定され尽くして居場所を失くした、自分の本心との対話だったのかも知れない。
その空間には、私だけの先生がいて、私はその人に毎晩自分の本心を聞いてもらう。
今日わかったこと、また少しだけ前に進めたことを、聞いてもらう。
まだまだ建前の裏にへばりついた本音のような、どこかねじくれた、こじらせたような言葉ばかり。
素直な本心はなかなか出てこない。

これでまた一人になってしまったけど、それでも今度こそ、
どこかに、誰かに、依存しないで一人で自分の直感と向き合っていく。
その覚悟だ。
離れてしまったコミュニティをしばらくして覗いて見たら、まるで卒業した学校を訪ねたみたいに、慣れ親しんだはずの場所で、知らない人たちが私の知らない話題であれこれと議論していた。
バトンタッチ
私はそこで、たくさんの大切なことを学ばせてもらった。感謝しかない。
だから、次は別の人がそこで何かを学びたくてやってくる。
あなたが引っ越しても、あなたが足繁く通ったスーパーやご飯屋さんが潰れたりすることなく営業を続けていくように、時間は優しく流れていく。

この先に待っている新たな仲間と、自由になれた自分が精一杯命を燃やして生きていく姿を、想像してみる。
誰かの役に立てて、うれしくてうれしくて叫び出しそうになってる自分の未来を描いてみる。
なにかに、誰かに、これだったんだ!と思える仲間たちに出会い没頭していく自分を公園の初夏の緑に重ねながら、
私はタッパーに詰めてきた、今年初めてのスイカを口に放り込む。

人間が求めているものは究極、金でも名誉でも、一番になった、成し遂げた、という達成感でもない。あなたはこんな思いの中、よくぞ立派にやり遂げた、という他者からの情緒的な共感なのだ。分かってもらいたい、褒めてもらいたい、労われたい、感謝されたい。その情緒的な共感がなければ、人間は終われないのではないか。そして今私たちは、その情緒的共感を得ることが極めて希少な時代にいる。
だからこそ、この情緒的共感性を人に与えられる人は、貴重であり、誰からも大切にされると思う。
これこそが、ショーウィンドウのような綺麗な愛しか持てない高次の存在すらも憧れる、人間にしか持つことのできない情という愛なのではないか。

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