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筋トレで絶対的な自信は身につかない

みなさんこんにちは。西日本全国東日本協会です。

昨今、自分磨きとして筋トレが大流行しています。
たくさんのユーチューバーやインフルエンサーが“垢抜け”“自分磨き”の方法として、筋トレを勧めていますね!

そんな中でこんな言葉を耳にしたことはないでしょうか

「筋トレをして体型が変われば絶対的な自信が身につきます!」


これ、ちょっと語弊があると思うんですよね
確かに「筋トレをしていれば筋肉がついて体つきも変わり、その変化が自信につながる」という理論は納得できます。

しかしそれは果たして絶対的なものと言えるのでしょうか?

そもそも絶対的な自信をつけることがそんなに大切なことなんでしょうか?

筆者は絶対的な自信を持っていることがそんなに大切なことだとは思いません
年収や学歴などに自信を持っている人も非常に立派だと思います
また筋トレが続けられなくたって「自分はこれから絶対的な自信をつけることはできないんだ‥‥」と落ち込む必要はありません

ということで今回は筋トレを例に挙げて、自信についての筆者の考えを述べていきたいと思います。
みなさんがこの記事を読んで少しでも「自信を持つこと」に対して気が楽になってくれれば良いなと思っています😊

絶対と相対について

まず絶対的な自信とはどんなモノでしょうか。
多くの人がいう絶対的な自信は「年収や学歴など他者からの評価によって得られる自信ではなく、自分自身をしっかりと評価し認めてあげること」という定義に当てはまると思います。
では絶対的自信の反対とは何か?
年収や学歴などは、他者のそれと評価した時に自分の方が勝っていると自信につながると思われます。

・年収1000万円の人は日本では5%もいないから自分は高収入だ!

・慶應義塾大学に在籍している自分は同世代の上位5%以上の存在だ!

しかしお金や学歴などは人間が勝手に定めたシステムであり、極端な話、縄文時代に戻ったら全く評価されないものですよね。このように社会の評価によって得られる自信を相対的自信と呼びたいと思います。


筋トレによって得られる自信

では筋トレによって得られるのは絶対的自信なのかについて考えていきましょう。
筋トレをすることで自信が得られるポイントとして考えられるの大きく以下の2つだと思います

・筋トレによる体の変化

・継続した自分を評価

どちらも素晴らしいことですね
一見すると自分自信を認めることで自信が生じているように見えます

しかし、私は違うと思っています。
それぞれ分解して考えていきましょう。


・筋トレによる体の変化

筋トレによって望みの体を手に入れたことで自分に自信がつくというのはよく言われる言説ですが、ここでいう“望みの体”とはどういったモノでしょうか。
例えば
・シックスパック
・細くてくびれのあるお腹
・スラっとした足
などが多いんじゃないですかね
いや!俺はごっつい肩幅で筋肉ムキムキの太い腕が理想だ!と言う方はそれでも良いです。今は関係ありません。

ここで一つの疑問が生じます。
これって普遍的に良いとされている体なんでしょうか?

例えば平安時代であればふくよかで丸顔の女性が美しいとされていた、など望ましい体というのは時代ごとに異なっており、普遍なモノではないはずです。

じゃあ上記のような体を皆が望むのはなぜか?
簡単です

そういった体が今現代においては美しいとされており、評価されているからです

これって学歴や年収となんら変わらないですよね?
・望みの体を手に入れるために筋トレをした
・望みの学歴を手に入れるために勉強を頑張った
この二つは構造的には変わらないモノなんです


・継続した自分を評価

ではこちらはどうでしょうか
努力はいつの時代においても素晴らしいものと考えても良いと思いますね
じゃあこれは絶対的な自信?と言われるとそうではありません
なぜなら努力に対する評価はほとんどの場合、努力の結果に対する評価だからです。

あなたはどちらを評価しますか?

①毎日9時間勉強をして東京大学に合格した人
②毎日3時間しか勉強していないが東京大学に合格した人

努力の量で言えば①の人が圧倒的に多いですが、中には②の人を高く評価する人もいると思います。
また①の人は努力する習慣がついているから今後の困難にも立ち向かっていける!と主張する人もいるかもしれません
しかし、②の人が今後の困難に立ち向かっていけないか、と言われるとそうとは限りません。
もしかしたら②の人は今後の困難全てを①の人の3分の1の努力で乗り切ってしまうかもしれません。
“いやいやそんな②みたいな人なんてそうそういないだろ!”と思った方
その通りです
大抵の物事は達成するために”努力“が必要です
そのため、努力→成果 につながるという考え方が一般的になるため

(本来) 高評価       (今) 高評価 = 高評価
     ↓     →                          ↓            ↓
努力 → 成果             努力 →   成果

という構造が生まれるわけです
つまり努力の行為自体は評価されることではなく、成果を生み出せるから努力は評価されるのです
そして「世間一般的に評価されている“努力”を自分は続けることができた!」
といった認知が自信につながるわけです

最後に

いかがだったでしょうか
今回は筋トレを例にあげて考えましたが、私は結論

“絶対的な自信なんて存在しない!!”

と考えています
これは自信を持っている人を批判しているのではなく、どんな自信も素晴らしいモノであると考えて欲しいのです
年収が高いのは素晴らしいことです。高い学歴を持っている人も素晴らしいです。
ダメな自信の持ち方なんて存在しません

絶対、相対に囚われず、自分を認めてあげること
それが日々を幸せに生きる上で大切なことだと思います😊

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