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地球主義 緑地帯

幅の広い石の階段を上っていた私の目の前にイモリかヤモリ(私には違いさえ分からないが)が突然現れ、私の前で止まった。お互いに目を合わせた所で私は泣いた。私の祖母の家は目の前だったのだ。大声を出して泣けば家に居る誰かが出てくるだろうと、泣きながらそんなことを考えていた。

当時の私は5歳前後であったと思う。目の前に現れた生物はとても大きく感じたが、多分手に乗るほどのサイズであったのだろうが、とにかく怖かったのだ。長いこと泣いていた覚えがある。祖母の家の人が外で泣いている私に気が付かなかったからだ。2人いる内の1人の兄が家から出てきてーもうそこには何も居なかったがー私を助けてくれた。

伊豆諸島にあるこの島は人口も何百人しかいない、自然の豊かな非常に平和な場所である。ここは母親の生まれ育った場所で、東京生まれ東京育ち(正確には伊豆諸島は東京都であるが)である私は夏休みになると毎年その島へ連れて行ってもらっていた。

先ほどの話から私が虫や爬虫類などが苦手であるのは明白であるが、それでも自然に囲まれた空間に居ることは非常に好きだった。水平線を見たり、波のさざなみや木々のせせらぎが聞こえたり、石の階段の上を歩く感触、採れたての野菜の甘み、縁側で食べるスイカ、木々の匂い、大量のトンボが行き場をなくし顔に当たってくる事もあった。そこの島で取れる海産物も忘れてはいけない。ゾウリ海老と呼ばれる平らで、本当にゾウリのような形をした海老や鰹の味は忘れられない。

虫はともかく、私は自然が好きである。何故、自然が好きなのかと聞かれれば理由はあるし、また無いとも言える。私の楽しかった記憶を探っていくと、そこには自然が多くあった。キャンプであれ釣りであれ、自然の中での記憶が鮮明に残っている。人の記憶は一度バラバラになり、また合成されることで私たちは何かを「覚えている」と知覚するらしいので、これらの記憶が全部正しいとは限らないが、それでも自然が多く私の周りにあったことは間違いないだろう。いや、もしかすると私が自然が好きだから、記憶として上手に保存してあるのかもしれない。

自然が周りにあるからだろうか、田舎だからだろうか。人が丸い。決して外見の事を話しているのではない。だが確かに柔らかくて丸いのだ。そこの人達にはやさしいパステル調の色があり、それは私の目にも心にも優しい色である。なにかのお祭りの時に私の叔父の家に多くの人が集まっていた事を覚えている。叔父の家を島の人々のために開け、みんながみんなその家出でくつろぐように楽しそうにしていた。私は人が楽しそうにしているのを見ているのが好きだった。これは今でも変わらない。みんなが楽しそうにしている場所で私は一歩下がった位置に立ち、人の笑顔を見たり笑い声を聞いたりする事に幸せを感じる。

幼少期にはそのありがたさに気が付かなかったが、私が高校を卒業してカナダに留学した一年後、親にへの報告がてら一度日本に戻ることにした時のことだ。日本に滞在したのは二週間ほどであったが、衝撃だった。私の目が初めて開いたのではないか、と思わされた二週間であった事は間違いない。改めて道の狭さに驚きもしたが、それ以上に車は自分の真横をそれなりのスピードで走るってるし、家の天井は潰される感覚に襲われるほど低い。一番酷かったのは電車に乗った時だった。まだスマホが流行る前だったので、今のように動画を見ている人やゲームをしている人は居なかった。しかし今でも変わらないのは人の目が死んだ魚のような目をしていたことだ。みな目線が下に向かっていて、まるで人がゾンビのように感じたことを今でもはっきりと覚えている。

電車を降りて人々が行き交う渋谷の駅内で足を止めた。そこで見た多くのスーツを着た人々は機械の様に早足でどこかに向かっている。少しの間その場に立ち止まり観察していると、変な感覚に襲われた。あたりまえだが、人々の流れが一向に止まらない。次から次へと人が溢れてくる。もしかするとこの人たちは何も考えず、ここをぐるぐる回っているだけなんじゃ?まるで映画マトリックスのシーンで、灰色調の背景には多くのスーツ姿の人が歩いていて、その中にセクシーな赤いドレスを着た女性が1人歩いているあのシーンだ。なにか現実ではないモノを見せ付けられているそんな感覚になった。

このような場所で人とすれ違ったり、観察していると、尖ったナイフを突きつけられているかの様な感覚におちいる。多くの人は鉄でできた立方体のようであり、それは重たく暗めの灰色をしていて、角に当たれば他を傷つけるようである。

ところが一旦、俗に都会と呼ばれる場所を離れると、自然の多い場所が増えてくる。それと同時に人の温かみも増えてくる。全員が全員そうだとは言ってない。都会でも心から優しい人もいるし、田舎でも悪い奴はいる。私が個人的に感じた事だが、そんなに的は外れては居ないと思っている。

カナダに留学した最初の年に、全く知らない人の家で食事をする機会があった。英語をちゃんと理解できていなかった私は意味も分からず、知り合いについて行ったのだ。キリスト教が背景の文化での冬のクリスマスだ。勿論?出された料理は七面鳥だった。初の七面鳥はとても美味しかった。味はともかく私は知らない人の家で、食べたことのない七面鳥を頂いたのだ。そこの家の主に片言の英語で挨拶し、何食わぬ顔で美食を楽しんでいた。

会食を終え、お礼を言った後その家を後にした。食事をしながらも考えてはいたが、初の七面鳥で私の頭は一杯だったらしい。帰り道になんとか意識が戻ってきたらしく、どういう事なのかを考えた。キリスト教の知識や文化的な理解が出来ていなかったので、当時欲していた答えは出なかったが。

東京に育った私には、家に見知らぬ学生(その他、大人も大勢いたが)を自分の家に招き、無償で食事を与えるという意味がわからなかった。ただ招待するだけでなく、気持ちよく接待してくれるのだ。幼少期に毎年行っていた母の故郷では人口は少なかったにしろ、同じような事が起こっていた。どんな時に行ってもやさしく受け入れてくれるのだ。

この違いは何だろうかと考える。母の故郷には仏壇があったので、仏教の系列だろう。比べてカナダはキリスト教(お邪魔した人の家はプロテスタントの系列)であった。という事は宗教はこの場合関係ないだろう。ちなみに私がカナダで住んでいた場所は東京に比べればだいぶ田舎と言えるだろう。

ロッキー山脈の近くで高い建物は大きな街の中心部くらいしかない。それはスカイラインと呼ばれ、限られた場所のみに存在する。スカイラインがある場所以外は背の低い建物が多くあり、空が広く感じれる。自然もそこそこあり、少し車で走れば地平線を嫌というほど味わえる。

何の話をしていたのか忘れそうになるほど前置きが長かったが、自然と人間には切っても切れない関係があるのではないか。自然と触れ合うと人は優しい色になり、角の少ない、もしくは丸みを帯びた形になっていくのでは無いかと思っている。

それが良い事か悪いことかの議論は人それぞれなのでしようとは思わないが、少なくても私はそういう丸みを帯び、優しい色をした人が好きだ。そういう人が増えて欲しいし、一緒に居たいとも思う。自然に触れれば人が変わるのか?と聞かれれば、その答えを私は持ってはいない。ただ自然に近づけば近づくほど、私が好きな空間になっていく。ただそれだけだ。虫は苦手であるが。

これこそが私が地球を一周する緑地帯を作りたいと思ったきっかけである。緑を増やす事に弊害はないと思っているし、他にも理由を付け加える事も出来るがまたの機会にする。とにかくここが私の根本であり、原動力である。この気持ちを忘れない為にここにスタートを書き込んでおこうと思った次第である。


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