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【noteを始めたきっかけ】新たな「人格」の誕生。

はじめまして。

この度インターネットの世界に生を受けました、
ぱぴるす という者です。
おぎゃあ。

まず、簡単に僕の経歴を述べるとこんな感じです。


  • 1年間の自宅浪人を経て、国立大の理系学部 に進学

  • 学生時代は演劇やったりオタクとコスプレして踊ったり、なんやかんや楽しく過ごす

  • 3年の途中から専攻に興味を失い、加えて進路を悲観し始める

  • 3年の終わりに、謎の体調不良もあり1年間休学

  • 復学後、なんとか卒論を書くも、まともに就活もできずに卒業

  • 数ヶ月後、ビビッときたWebマーケティング企業を受け、入社

  • プログラミングを独学し、マーケティングよりもプログラミングの方が向いていると思い、ITエンジニアの道を目指すことに ←イマココ



マジョリティでもないけれど、さして特別な何者でもない。
そんな僕がなぜネットに文章を投稿しようと思ったのか。
初投稿のこの記事では、そんな話をしていこうかなと思います。

新たな「キャラクターづくり」

「家で家族といるときの自分と学校での自分、性格が全然違うのはなんでだろう?」

「あの人といると、なんか調子よくて色々喋っちゃうんだよな」

「中学のやつらといると惨めな気持ちになるから地元帰りたくない」
……

このようなことを思った経験は、あなたにもきっとあるはず。
いわゆる「本当の自分とは?」っていう典型問題ですね。


そこで、この「本当の自分とは?」問題 について、
僕の(現時点での)回答は以下のようなところです。


「本当の自分」が存在するか否か、っていう問いそのものがあまり意味がない。

ひとりでいるときの自分も、親しい友達といるときの自分も家族といるときの自分も、Twitterで有名人の粗探しをしている自分も、
言ってしまえば全部「本当の自分」だと思う。

「自分」という存在は、つねにそのときの状況や他者との関係性の影響を受けるものだから。



少し回り道をしましたが、
そもそも『新たな「キャラクターづくり」』って見出しでしたね。
本題に入りましょう。

つまるところ、僕は知りたくなったわけです。

誰も自分の顔や過去を知らない、何のしがらみもないコミュニティの中で、
自分の本音やなかなか言えない意見を発信すると、
そこではどんな「自分」が生まれるのだろう?
 
ということが。


「本気で語れる環境」を求めていた

また、他人に忖度することなく自分の本音を好き勝手に言える環境って、
社会にはなかなかないと思うんですよね。

利害関係や上下関係があるコミュニティ
例えば「客と店員」や「雇用側と被雇用側」、
あるいは「上司と部下」「親と子」 などでは、

相手が不利になるような発言や相手を不快にさせる発言は、
自分の立場を悪くするリスクを孕んでいる
からです。

いかにそれが正論であろうとも、受け取る相手が腹を立てれば、
極端な話、仕事を失ったり面倒を見てくれる人を失ったりして、
一気に人生ハードモードに転落し得ますし。


「沈黙は金」
これ、数多の人々の血と涙で書かれた言葉なんだろうなあ。

 

自分の本音に共感してくれる「同志」に出会えるかも

本音やわざわざ語りたい持論というものは、
大抵どこか尖っているもの
だと思います。

だからこそ、周囲と摩擦を起こしたり刺激したりしないために、
普段はそのトゲを引っ込めて丸まっているわけで……。

ところが、インターネットはそんなリアルとは打って変わって、
「いかに尖れるか」みたいなところあるじゃないですか。
良くも悪くも。

だから、言うなれば鍼治療のように、
「上手い具合に僕のトゲが刺さる人もきっといるんじゃないかな??」
という希望的観測を持って、
これまでずっと隠してきたトゲを思い切って出して行こうかな、
という所存です。

欲を言えば、僕のトゲに触れたことがきっかけで、
何かしら(プラスの)影響を受ける人がいたり、
共感の声とかもらえたりしたら、
それほど嬉しいことはないと思います……!


そんなわけで、思いつくままに書いてきましたが、
これから少しずつトゲを小出しに、少しずつ適度に尖っていけたらな、
って感じです!

よろしくお願いします!!

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