見出し画像

1日目に続くインプットの嵐の中で【2日目オフサイト研修@香川県三豊市】

2日目に突入しました。
2日目も街のフィールドに出てインプットが続きますが、3日目には私たち自身も地域プロジェクトアイデアの発表を控えています。事前課題で作成したプロジェクトシートをもとに、各々が改編したり新規で作り直したりしながら学びを得る2日間です。

2日目の午前中は、建設途中のサイエンスラボ「CAPE」や、株式会社喜田建材と木材加工専門の株式会社モクラスがコラボして生まれた海辺の一棟貸しの宿「積凪」、株式会社モクラスが運営するBean to Barのチョコレート専門店「RACATI」を視察。

建設途中のサイエンスラボ CAPE

お昼を挟み、グループ別行動で地域のお店「DEMI1/2」、「宗一郎豆腐」や、シェアハウス「GATE」、父母ケ浜PORTを巡ります。

空き家を価値に変える建材屋が営む不動産 DEMI1/2

喜田建材の不動産部門(暮らしの不動産)を担当する島田真吾さんより、建材屋が不動産をする理由をお話していただきました。

週刊みとよ ほんまモンRadio!1より

「僕たち建材屋のお客さんは工務店です。工務店はお客さんから家を建ててくださいと受注をもらわないといけない。そもそも工務店に受注がないと僕らも建材を売れないので、どのように工務店の受注を上げるかが、僕らの中ではテーマでした。
工務店さえ受注が取れれば、僕らも建材を買ってもらえ、家を建てたい人も家を建てることができます。
なぜ工務店さんが受注が止まっているのか、ボトルネックが何なのかを聞いてみたら、土地が決まらなかったからなんです。僕らが不動産屋を始めたら、土地を決めたら、受注も取れ、建材を買ってもらえるいい循環ができると考えました。」

そうして不動産屋を始めたところ、ぶつかった壁が地方で顕在化する空き家問題でした。そこで喜多建材では、空き家を負の遺産として捉えるのではなく、地域にある価値として空き家に息吹を吹き込むことにします。

当初、島田さんはネット検索しても紹介できる物件が出てこないと感じ、ご自身で市内中を回りまくる地道な空き家探しの”旅”に出ました。しまいには「空き家王子」と呼ばれるまでに空き家マッピングを極めることに。

海辺の一棟貸しの宿 積凪

辿り着いた先で、喜田建材はリノベーション済みの空き家販売を始めます。

「空き家を減らせるという効果もあるんですが、建材屋だからできる、地域の不動産屋にとっても仲介手数料を上げられるという効果があります。
例えば、そのままの空き家物件だと100万円と仲介手数料が5万円なんですね。正直、5万円の稼ぎのためにやる気は出ないですが、リノベーションして最終的に1800万円で売り出したら2日で売れたんです。1800万円だと仲介手数料は100万円を余裕で超えます。
となると、不動産屋も収入上げられやる気がでる。やる気が出るということはどんどん空き家を売ろうとなります。
もちろん工事が入る時には工務店が入るので、工務店の仕事を作れる。今、新築着工棟数がどんどん減っているのですが、こういう事業があると、大工にも安定的に仕事が入るのがメリットです。」

もちろん、工務店や大工だけでなくエンドユーザーにもメリットがある仕組みを計画中で、「ただ単純に箱をきれいにして直すのではなくて、その人のライフスタイルに沿って仕事まで提案できたらいいなと思っています」と、顧客の人生も引っくるめて空き家販売に勤しんでいます。

「例えば、海辺の空き家をリノベーションをしたサップ付きの住宅を提供する場合には、購入者がインストラクターの資格を取り、海沿いでインストラクターの仕事ができるようにします。休みの日には自宅でサップを楽しめるようなライフスタイル付き住宅の提案をしていく予定です。」

空き家販売のアイデアには際限がなく、ゲストハウス事業一つを取ってもそれぞれのゲストハウスが魅せる色が全く違います。

「粟島という離島にあるゲストハウスは、空き家自体をキャンバスと見立てて、アーティストにアートを描いてもらっています。
泊まれる美術館のような空き家をアートとして活用する取り組みです。」

Art Canvas Awashima (出典:三豊市観光交流局

「またゲストハウスで泊まった人にいりこの出汁を使った讃岐ラーメンを食べてもらいたいということで、空き家を飲食店に活用しています。」

伊吹いりこセンター(出典:Facebook公式アカウント

「元々うどん屋のスペースをラーメン屋に変えています。よくあるパターンとしてガラッと内装も外装も変えて、新規オープンですというのがあるんですが、僕らはあんまり大幅な工事はしなかったんですね。
始めるにあたってご近所に挨拶をしたら、『あそこのうどん屋美味しかったんよ』『いい店やったんやけどな』という話があって。惜しまれながら潰れる店は多くあるとよく聞いたので、地域に愛されたお店だったことを大事にしようとなりました。」

もともと喜田建材は、建材屋を始めてから100年以上続く会社ですが、戦後間もない頃に住民たちとの助け合いで築かれた信用があったからこそ、現在もバトンが続いていると島田さんは続けます。

「僕らは家族という言葉をよく使うんですね。正直寒い言葉で口が痒くなるんですが、社長は本当に家族と思えるくらい大事にしています。
お客さんも事業者さんも地元の人も、外から来てくれる人たちを家族と定義して、共にやってくことで、『喜田建材がないと困る』といってもらえる会社になろうと。
そうなれれば、この先ずっと続けていけると思いますし地域自体もずっと繁栄できると考えています。」

空き家という問題を価値に変えてきた喜田建材。三豊の空き家に今日もまた一つ新しい明かりが灯ります。

信頼で成り立つ”家族”と共に町を作る今川宗一郎さん

次は、地域のやりたい心に火をつける「株式会社ウルトラ今川」を担う今川宗一郎さんです。

三豊市仁尾町で生まれ育った今川さんは、祖父から続くスーパー「ショッピングストア今川」の3代目。7年前よりスーパーのご縁で、後継者不足を理由に廃業しかけた事業、移動販売「サンサンマーケット」と「蒲鉾 さるしや」を継承します。さらには経営難だったかき氷カフェ「KAKIGORI CAFE ひむろ」も引き継ぐことに。

「人それぞれコンプレックスはあると思うんですね。僕の場合は、自分で何かを生み出したことがない後継者コンプレックスでした。なので、次は自分で生み出そうと家業がスーパーということで、(スーパーを超える価値を作る)”ウルトラ”今川というのを作りました。」

事業継承の次に、自身のコンプレックスを克服するために新規事業に乗り出します。

まず2018年に父母ヶ浜は大人気の写真撮影スポットとして世に広まったのですが、「観光客は地元のことを全く知らないまま写真だけ撮って帰ることがとても勿体無いな」と感じたことをきっかけに、地域外から来た人と地域内の人がコミュニケーションが取れる、「宗一郎珈琲」をオープン。

出典:Instagram公式アカウント

「カップは全部で5色。意味合いが全てにあります。(意味を理解した上で買ってもらうことで)アンケート形式の取り組みになっているんですね。ただ買って飲むだけじゃなくて、その瞬間に父母ヶ浜を考えるきっかけになってほしいと仕掛けています。」

<宗一郎珈琲カップの色がもつ意味>
赤 ーもっとキレイな浜になってほしい
白 ーもっと三豊を知りたい
黒 ー夜を楽しむ場所がほしい
緑 ーもっと寛げる場所がほしい
青 ーもっと水回りが良くなってほしい

「僕らがいつも言っていることがあります。45万人が一回来ることよりも、1万人が45回来ることも45万人じゃないか。観光地というよりかは関係地を目指せたらいいなと思っています。」

父母ヶ浜に脚光が浴びていたわけですが、「街全体が僕らの街なので別に父母ヶ浜だけじゃないな」と次は全然人が通らない仁尾町エリアで宗一郎豆腐(宗は大豆のSOYとかけてソイチロウトウフと呼ぶ)を始めます。

「元々八百屋さんだったところをリノベーションして始めました。後ろは宿になっています。元々小さな商店街だったのですが空き家になってきてしまって、だったらここで世代超えて集まれる場所を作ろう思い、老若男女愛されているもの=豆腐を作ることにしました。」

最近では歌って歩いて帰れる日常がほしいと、仲間と特別給付金を集め会社を作り、リノベーションも一緒に行い、カラオケパブ「New新橋」を作りました。

「自分らの欲しい日常は自分らで作る」をテーマに仲間と語り合って生まれた事業たち。仲間で作り上げることの楽しさはお金では買えない経験であると続けます。

「それぞれ自立しながら、依存せずにぶつかっていくことを超えていくからこそ本当の仲間だなと思います。
僕は血ではなくて信頼で繋がれたファミリーだなと。
絶対やり続ける姿勢をみんなに見て知ってもらうことでより素晴らしい新しい仲間が増えるんじゃないかなと思います。」

同世代の仲間に恵まれてここまでやってきた宗一郎さんは、次世代の地域の担い手である今の若手育成にも注力。

「何度でも挑戦して何度でも砕けて何度でも立ち上がる。それを見ろと。格好良くできないこともたくさんありますが、丸裸の状態の宗一郎を見て育ってくれと思います。」

「(例えば)今日のこのプレゼンテーションは一日で言うと1%くらいの割合なんですが、この1%のプレゼンの裏側の99%の地道な作業があるんです。
地域で綺麗なことはないし、むしろ泥臭いことの方が圧倒的に多いからこそ、次の世代に伝えていくというのが僕の役割かなと思っています。」

「最後にいつも言うんですけど、地域と共に生き、共に栄え共に滅びる。良いときだけじゃなくて悪い時も含めてこのまちの責任は僕が取るぜと、僕の人生をbet(賭ける)していきたいなと思っております。」

仲間と街のことを語り合い作り上げ、大変なことも多い中でも、過程を楽しめる仲間がいるからこそ、宗一郎珈琲や宗一郎豆腐、New新橋が誕生しました。GBP生の多くが仲間の存在を強く意識したり、重要性を感じたプレゼンでした。

GATE運営をするしんごさん


屋上にて

地域の声を汲み取り持続可能な街づくりを 父母ケ浜PORT

地域商社の瀬戸内うどんカンパニー、ウルトラ今川と合同で、三豊市より7年間の指定管理業務を受託する「株式会社 東邦レオ」。これまで3年半、父母ヶ浜の一帯管理を市に家賃を支払うことで民間企業が行っています。現場責任者の田中尚吾さんより、地域コミュニケーションのお話をしていただきました。

「もともと(父母ヶ浜は)27年前に全部埋立地にして工業地化しようという話があったんですね。当時はやっぱり建てれば、ものが出る時代。ここに工業地ができれば雇用も生まれ、線路も持ってこれると良いこと尽くしじゃないかと。さっさと埋め立てようぜという国の政策がありました。」

有志7人が「父母ヶ浜を埋めるなら俺をうめろ」と座り込みから始まった反対運動。「自分達ができることはないか」と清掃活動が始まり、徐々に浜は美しさを取り戻します。清掃活動は父母の会として、埋め立て計画が破断になった後も継承し、27年経った現在、120人名のボランティアで浜を守ってきました。

管理業務は、
・父母ヶ浜が観光スポットになったことで生じた渋滞という地域課題
・浜を守ってきた父母の会のボランティアの思い
・当然ながら市に支払う家賃や渋滞緩和の運営費などを確保する稼ぎ
という3輪を実現する「難しい事業」と田中さんは言います。

「稼ぐためなら、人がたくさん来るので道の駅を作った方が早いんですよ。ホテルやコーヒーチェーンなど人が入る箱を作る方が絶対儲かります。三豊市の税収も上がるわけですね。」

「例えば道の駅で出たごみ。お客さんがごみを浜に捨てて、地元のボランティアがごみを拾うということが起こり得る。
『これ(道の駅を作り稼ぐこと)は意味あるの?』ということになります。地元の人は稼げはしますが、『ここの場所に合ってないよね』というような意見が昔も今もあります。
なので我々が作った建物は大きい宿泊施設ではなくて、平家で皆が集まる空間を作って、ちゃんと地元の皆さんに応援される場所にしたいです。

地元の人たちの思いを尊重したやり方は駐車場の運営にもあり、「自分たちがボランティアをやっている浜で楽しみに来てくれる人からお金をとりたくない」という意見を汲み取り、駐車料金は基本的に無料です。

実のところ、父母ヶ浜が観光スポットになったことで起こった地域の人々への弊害は渋滞だけではありませんでした。

「(父母ヶ浜は)人が来すぎるようになって地元の人が寄り付かなくなったんですよ。学校帰りにジャージで海で遊んでいた高校生の皆さんがいたんですが、今は恥ずかしくてできないと。」

「すごく勿体無くて、地元の方から愛されている景観のいい場所が観光地化することは楽しくない。やっぱり地元の人に愛してもらいながらもお客さんも楽しめるという両立を注力してやっています。」一例では、地元の方が浜が日常になって使ってもらえるように、低酸素ランニングブースを設置。浜に行けば行く程、健康になっていく仕掛けを作っています。

父母ヶ浜の会をはじめ地元の人たちの声に寄り添いながら事業をしていくハードルがありながらも、あえてその選択をしてきたことで、観光客も地元の人も双方が心地よく過ごせる浜が守られてきました。昔も今も、浜は変わらずに人々の営みを見守ってくれているようでした。

こうして2日目の研修は終了となりました。残す3日目は、三豊オフサイト最終プレゼンです。インプットの嵐をまだ消化し切れていない中、GBP生同士で語り合いながら、思い思いのプロジェクトシートの調整が深夜まで続いていました。

【3日目に続きます!】

【Green Business Producers第一期のマガジンはこちら】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?