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読書感想「砂の女」/安部公房

一つの断片からは抜け出せても、すぐまた別の断片に、足をさらわれてしまうのだ。
どうやら、これまで彼が見ていたものは、砂ではなくて、単なる砂の粒子だったのかもしれない。

たぶん、この作家の本好きなんだろうなあと思っていても、なかなか手に取る機会がなくて、なんとなくずるずる読まないで来てしまった。
そんな作家の一人や二人、きっと誰しもいると思う。
私の場合はそれが安部公房だった。
マジックリアリズム的な手法を用いられている小説が大好きで、日本の小説でこの手法を用いている作家、というとまず安部公房が筆頭にくるのがその主な理由だったりする。
私の大好きな作家、ガルシア=マルケスを同じく大好きらしい、という点からも気になっていた。
そして、少し前に突然、「よし!安部公房読もう!」と思い立ったので、ようやく手に取ることとなった。何から読めばいいかわからなかったから、とりあえず知名度の高い「砂の女」から。

さて、小説「砂の女」のあらすじはこんな感じである。


昆虫採集家である学校教師が、昆虫を求めて、砂に埋もれた集落へと入り込んでしまった。
集落の人間たちにより、砂の穴の中の一軒家に閉じ込められた男は、その家に住む奇妙な女との共同生活を送ることになるが─。

前半はとにかく苦しい。
閉じ込められる系、しかも人間の尊厳を奪われるような話が苦手なので、読んでいるのがとてもつらかった。
なんとか必死で砂の中の一軒家から逃げ出し、元の生活に戻ろうとする男。
それを阻止しようとする集落の人間たち。
しかし、脱出することしか頭になかった男に、やがて変化が訪れる。
彼は自由への往復切符を手に入れる。そうして、彼の中で砂の外へ出ることは、唐突に意味を失ってしまうのだ。

べつに、あわてて逃げだしたりする必要はないのだ。

男の後半の境地を、追い詰められた人間が狂気を発したと見ることも出来るだろう。
しかし、それまで女が度々口にした「砂の家から外に出ることの無意味さ」が、男がたどり着いた結論なのだろう、と私は思った。
砂の中だろうが、外だろうが、決まった仕事をこなし、生活を繰り返す。そこに一体なんの違いがあるのか。
「自由」とは一体何なのか。
今自分が手にしている自由だと思っているものは、本当に自由なのか。

とても生々しくて、直視するのに苦痛を感じる。それなのに、どうしようもなく惹かれてしまう。「砂の女」はそんな小説だった。
好きな作家が増えたことは、言うまでもない。






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