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保健大臣による歓迎|シリア

※写真は全てAIによるイメージ画像なので、ご本人とは関係ありません。

日本で私のような零細企業の一技術者が、
大臣と直接会うことなど考えられないけど、
開発途上国では時々それが起きる場合がある。
 
その中でも特にシリアの保健大臣が我々を迎え入れてくれた歓迎ぶりが
今でも思い出せるくらいに印象に残っている。
 
現地保健省関係者と初めての打ち合わせをしていたところ、
突如大臣が入ってきて驚いた。
 
最初の挨拶、我々の訪問目的や調査計画等についての説明後、
大臣の方から「それでは私がシリアの国土について簡単に紹介しよう。」
と言われてまたびっくりした。
 
突如として大臣のプレゼンが始まったが、
シリアの気候条件や地域特性は大きく分類すると、
4つの異なる地理的条件の地域があるとのことだった。

移動のための道路状況、医療状況の概要等、
初めての我々にも非常にわかりやすく紹介していただいた。
 
さらに大臣からは「何かあれば私に直接言ってくるように」とも言われて、
こちらはあっけにとられた気分だった。
 
その後調査が開始されたが、
ダマスカスにある病院で医療施設の現場状況や医療機器の状況について、
病院長の案内で調査をしていたところ、
ちょうど建物の外部に出たところで黒塗りの車が目の前で止まった。
 
何かと思えば突然の大臣の来訪だった。
またもや
「何か困ったことはないか、困ったことがあれば私の執務室に来なさい。」
とのこと。
 
私は再度驚愕と恐縮で汗たらたらといった気分だったけど、
面と向かって言われたので、黙っていることもできない。
 
私は、
「はい、病院長にも協力してもらって問題なく調査が進んでいます。」
と答えるのが精一杯だし、周辺にいた大勢に人達も直立不動状態だった。
 
大臣の歓迎ぶりはまだまだ続いた。
今度は日本人の調査団を夕食に招待していただいた。
日本でも入ったことのないような、まるで迎賓館のような建物だった。
 
見上げるくらいの天井の高いだだっ広い部屋、
テレビやドラマでしか見たことのないような長いテーブル、
テーブルいっぱいに広げられたシリア料理。
 
何ら権力ももっていないような技術者集団の我々にとっては、
びっくりすることだらけだ。
 
その後も打ち合わせのたびに大臣の執務室に呼ばれては報告をした。
調査活動には大臣の右腕とも言える医師免許を持つ人材を同行してもらったこともあった。

我々からの意見も丁寧に聞いてもらったことには、
感激するばかりだった。
 
このような大歓迎ぶりに、
あまりにも不思議に感じたので、
その後お会いした時に直接大臣に質問した。

日本国内だと大臣に直接質問するなんて、
あり得ないなと心の中で思いながらのことだった。
 

大臣、いつもご協力大変ありがとうございます。
でも我々は技術者のチームでしかなく、
政治や外交について全く何ら権力はもっていません。
そのような我々をどうしてこのように歓迎していただけるのでしょうか。
 
それに対する大臣の説明はこうだった。
 
大臣
私は日本のチームを迎え入れることができて非常に嬉しいのだよ。
 
私の執務室には、
様々な国や国際協力機関がおいていった立派な報告書がたくさんある。
 
どの報告書も立派な表紙に立派な内容が書かれていて、
理想的な医療状況の改善方法について書かれている。

でも私にとってはそれはあくまでも理想であり、
現実的にはあまり意味がない。
 
しかしながら、
日本の調査チームは実際に病院を訪問して現場の状況を詳しく調べて、
その現実の状況に基づいた調査結果や提案を報告してくれている。
 
一つ一つの機材や周辺状況についても詳しく報告されていて、
状況を正確に把握するのに大変役に立った。
だから私は非常に嬉しいのだよ。
 
とのご説明だった。
 
実際我々調査チームは、
最終的にはシリア全土22ヵ所の病院を訪問し、
約8,000kmを移動した。
既存の医療機器の状況を確認して報告することが義務付けられていた。
 
この調査結果に基づいて日本政府が予算を準備し、
その後の入札を経て、
最終的に多数の救急車を含む救急体制強化のプロジェクトが実現した。


画像はAIによるイメージであり、実物とは関係ありません


患者搬送のための救急車と、
医療施設内で受け入れるための医療機器の整備が行われたものだ。
 
以前は広い国土に対して十分な救急車両の台数も確保できなかったのが、
無線機を搭載した救急車が100台以上も供与され、
シリアの各地方に配置された。

比較的に高い建物の少ないシリアの地方では、
無線の電波を邪魔するような存在も少なく、
当初の想定範囲よりも広い範囲で電波が届いていることは、
後で知ることになった。

このような現地側政府と日本政府の協力により、
ダマスカスのような都市部だけでなく、
ある程度広範囲にわたる救急体制の改善につながった。
 
当時のシリアは治安も維持されていたので調査活動も順調に進んだが、
その後の数十年の間に戦争が起きてしまい、
いくつもの医療施設が破壊されたというニュースを知るたびに
歓迎していただいた大臣や医療現場の人達のことを思い出して、
胸が痛む気持ちになる。

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