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100円の値打ちも無かった新米英語教師

ここ2回くらいは、教師時代の中でも少しはいい思い出として残っていたような話。いえいえ、そんな話ばかりではなかったです。

一番では無いかもだけど、相当悲しくて、もうやりきれなかった話もある。

あれは中2生の担任の時。体育祭の前に全校で運動場の草抜きをしていた。皆でやればかなりの雑草が抜ける。場所場所ごとに抜いた草を固めるよう生徒は言われてて。

とにかく私は女子より男子に反抗された。きつかったんだろうな・・。中2生担任時も男の子がやりにくかった。

その草抜きの時に、クラスの言う事を聞かない男子連中が3,4人で作業をしていたので、話しかけた。

その中の一人、あの子苦手だったな~(元教師としてあるまじき発言?!)わがままに育てられた感じ丸出し。問題多いのに家庭訪問に行ったら、お母さん、延々とどんなに小さい時から可愛いかを話す・・。おかん、全然わかっとらんな・・で。学校では友達に嫌な事ばかり言うので、よく注意した。(ちゃんとした社会人になっててや!)

その子が、その草抜き中、「なんや、話しかけんなや!」と私に。まあそんなんくらいはいつも通りだが、その時その子が、割りと大きめの雑草を抜いていて、ふと思いついたんだろう、同じく草を抜くのにしゃがんでいた私目がけてその抜いた草を投げてきたのである。

土がいっぱいだったので、手でかばいながら怯んだ。最初はじゃれたつもりだったかもだが、私のその怯んだ姿が、いつも絶対負けない私を負かした感じで面白かったのだろう。抜いて一か所に集められていた土付きの草をがぶっと取って、さらに私に投げてきたのだ。注意したいが、顔が上げれないから、なされるがままになるしか無く。

「お、オモロイやんけ!」と傍にいたクラスのやんちゃ連中2,3人も加わり、一斉に土付き草の束を投げつけられた。頭から体まで土と草だらけ、でも顔が上げられない。うずくまるしかなく。

「ちょっと、あんたら何してんの!!」顧問をしていた軟式テニス部の3年生の子らが制止にはいってくれた。「~~大丈夫か?あの子らなんやな、ひどいなー」

この子たちが一生懸命土を払ってくれた。でも、私の心の中はもう泥まみれ、ずぶ濡れだった。

「こんなに嫌われてるんやな・・・。」

その日の終わりの会は、もう怒る元気も無かった。もちろんそれが誰か他の生徒に向けてされたことなら「なんであんなことしたん?」って絶対許さないところ。でもされたのは自分。もうその日は注意どころか、何もよう言えなかった。「私こんなに嫌われてるんや・・。」もうそれしか頭には無かった。

悲しかった。それでも明日の朝は笑顔で良い教育に邁進する。理想が高すぎたのかな。人間力自体が、教育者である前に低かったんだろうな・・・。

とにかく中2生を見ている時は、このような上手く行かない事の連続だった。中3生のクラスは、うまく進めたい、そんな気持ちだった。

中3生、最初は上手く行っているように思えた。どこからかな、やはり押してばっかりの担任だったのかな、徐々に男の子らに難しさを感じる。一方、女子には、教師生活でほぼ扱いに悩むことは無かった。お姉さんみたいな感じだったのかな、女子にもきついことはたくさん言ったが、何故か割と慕われた。

男子生徒で思い出深い子がいた。この子だけ3年間担任をずっと受け持った。たまたまである。この子も問題があると言えばあった。落ち着かない、小学生みたいな子だった。やんちゃというよりはとにかく落ち着きが無い。でも悪い子では無かった。友達は多かった。勉強はかなり苦手、冗談が過ぎるところがあり、何度もご家庭にまで指導に行った。お母さんは3人の母親、この子は末っ子。「すみませんー」と言いながら、「子どもってこんなもんよ」という感じで、今思うと、もう少しゆったり受け止めてくれる担任ならな~と思われていたと思う。3年間全部私で悪かったな、と今は思う。

中3でもこの子の担任、向こうも「またか~」と言うから、「こっちこそまたやわ!」と。よく他の先生らから、二人が話したら漫才みたいやなと言われた。

それでも中3のクラスとも徐々に心通わない関係になっていき、私も退職を内々では決めていたので、何だか虚無感に苛まれながら、卒業までの日々を何とか受験指導と合わせて乗り越える毎日。受験がどんどん無事に済んでいき、3月、もう卒業前だった。

そんなある日。この男子生徒がいきなり朝の会前に教卓の私のところに来て言った。

「お前のために100円なんか払わへんからな!!」と。

うん??だった。「何の100円?」と聞いたらそれは答えず、「とにかくな、絶対お前なんかのために1円も払わへんからな!!」と。

何かよく分からないまま、でもあまり気にしていなかった。

そして、卒業式が迫ってきた。前日だったか、2日前くらいか覚えていないが、女子の中でいつもリーダー的存在だったN子やその仲間が、少し悲しそうに寄ってきた。

「~~、これな、私らの気持ち。~~いつも大好きやったで。」と。見ると、何かプレゼントと色紙。

「本当はな、終わりの会終わってとか、卒業式の日に皆で渡したかってんけどな・・。」と。

「実はな、男子が絶対お金払わないって言って、これ女子の分だけやねん。ごめんな、男子説得できなくて・・・。」と。

あーー、その100円ね。その時に分かった。もちろんそんな生徒からお金を出して贈り物なんて本当はもらってはいけない。「色紙だけでいいよ~、そんなん買ったりしたらあかんよ~。」と私。N子や他の子が「そんなん~組なんか、~な物渡すらしいで、100円くらい問題ないし受け取って!」と。

色紙も女子だけが書いてくれていた。そうやな、あの子もあんなに憎たらしそうな顔で「お前に100円払うか!」って言ったもんな・・・。これが私がしてきたことの答えなんや、ダメな教師だったな・・・。何か欲しかった訳では勿論ない。ただでも、男子生徒たちの私への答えに、正直心は痛んだ。

そして遂に卒業式の日。この子たちの門出を心より祝いたかった。母の持っていた水鳥の模様の入った緑の着物、初任者の時の指導教官の先生に借りた袴。朝からセットに行って髪をアップに。最初で最後の担任としての子どもたちの旅立ちの日。ちゃんとした姿で祝ってあげたかった。

教室に行ったら、私の袴姿なんて想像してなかったようで、まだ26歳だったし(ちょっとは今よりマシ)子どもら、特に女子は「~~可愛い~!」と声を上げてくれた。(捏造していません)

3年間一緒のあの子も「似合ってるやん」と何を品評するように偉そうに、でもそう言ってくれた。

そんな賑やかな雰囲気、最初はいいが、いつもと私の感じが違い過ぎたのか、全然式までの行程とかの話を聞かない。最後の注意事項も言わないとあかんのに、で体育館に行く時間も迫るし、少しイラっとした。

「ちょっと!ちゃんと最後くらい話聞きなさいっ!!」と思わず声を荒げてしまった。

すると、リーダー格のN子が、とても、とても悲しそうな顔でこう言ったのである。

「~~、最後くらいは笑って。いつもいつも怒ってたやん。なぁ、最後くらいは笑った~~でいて。」

この時のN子の顔は今でも忘れない。本当に悲しそうな顔だった。

あー、私はどんな教師になりたかったのかな・・・。そうやんね、いつも怒ってばっかりやったかも、余裕が無くて。ほんとやな、いつもいつも・・。ごめんな、みんな、本当にごめんな・・・。

1人ずつの名前を式で丁寧に読み上げた。それは絶対ちゃんとしっかりと。この子らの大切な門出だから。

最後体育館から退場してクラスに戻って皆に一言、教室には保護者の方もおられたが、取り立てて話に来る保護者もいなかった。

靴を履き替えて運動場へ、下級生が作ってくれている花道を一周。後ろを見たら女子と、一部の男子しか付いてきていない。他の男子は他のクラスの列に交じってる。もういいか、もう終わりやしな・・・。普段なら他の先生やクラスに迷惑をかけることは絶対しなかったが、もういいか・・・。もう卒業はさせた。私はもう教師じゃなくなるからな・・・。そんな思いだった。

3月の中旬に卒業式を終えたら、後は1年生の社会の授業が少しあるだけで、本当に嘘のように最後は静かな日々だった。子どもたちのいなくなったクラスを掃除。余計にゆっくりと最後の日々を味わうことになってしまい。

辞めるんだな、私もう教師じゃなくなるんだな。いい教師になれなかったな・・。整理する時間もあまりなかった自分の机やロッカーを掃除しながら、心は虚無感でいっぱいだった。

自分で選んだことなのに。言いようのない思いを胸に、学校を去るための準備に明け暮れる、私の教師生活最後の3月の初春の日々だった。



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