見出し画像

無理?でも「通訳者になりたい!!!③」

あの日はもうどんな風に家に帰ったのか、本当に記憶が無い。

女性社員の方は、こちらがひどいのに、すまなそうに送り出してくれた。さすがにちょっといきなりだったのかな、と思ってくれたのかもしれない。

そう、確かに、少し、あの監査話、前日までどんな話かも分からず資料もなくて通訳というのは、一定の経験者でもきついかもしれない。

でもあそこまでの皆無状態には、普通は、普通の通訳者はならない。やっぱりあの仕事をやってはいけなかったんだと、今本当に思っている。

その次の日だった。あの時がいけなかった。口は災いの元、一回喋ったことはもう元に戻らない。本当にそう思う。「覆水盆に返らず」

派遣担当者から電話がかかってきた。「昨日は初めての監査で、大丈夫でしたか?」

本当に、神様でもドラえもんでもいい、タイムマシンを用意してくれるなら、戻りたいのはこの日かな・・・。

申し訳ないという思いはもちろんあった。でも、もう一つ胸に割と強くあった思いが、「せっかくあそこまでやれていたのに・・・。」って思い。

何だか泣き叫ぶ西宮市の議員を思い出した。「やっと議員になったんです!!!」あの人、一世風靡したな~。そう、あの人西宮市民じゃないのに頑張って市民から信頼得て、議員になったらしい。

全然違うよ、私はあの方みたいに、騙して城崎温泉には行っていないから。でも私も近い感情だったかも。「やっと通訳者として少し仕事ができるようになってたんです!!!」こんな感じか・・・。

だから正直、猛省の隙間から「さすがにあの仕事は無理やろ・・・。」が覗いていて。

言うべきじゃなかったな、派遣担当者に正直愚痴ってしまった。

「もう私が全部悪いんです、でもさすがにやはりこの話で資料が当日しか見れないのはあまりにもきつすぎです・・・。」

若い入社したての社員さんだった。だからよく話を聞いてくれた。最初のベテラン担当者は、案外私が弱音を吐きかけると会話を止めた。「~~さん、言うのは簡単です、まずやってみませんか。」そういうタイプだった。

若い派遣担当者に甘えてしまった。女性社員が事前に質問すら受けつけてくれなかった事も愚痴ってしまった。さすがにあの状態で、あの返しは無いって。

「すみません、要らないことを話してしまって、もう~~さんの胸に仕舞っておいてくださいね。」

ほぼ仕舞わないよね、これ。こういうケースって。
人の口に戸は立てられぬ。話した方が悪い。

同情もしてくれて。いや、それが要らんかったんやろうな~。

次の日派遣担当者から電話がかかってきた。「少し資料について聞いてみましたが、やはりそれは社外秘で仕方ない、と。それで社員さんからは特に~~さんに対して不満は出ていないようですよ。」って。

え、何しゃべったん?
そんな向こうの意向伺うような事言ったん?ほんまにそれだけ?要らん事まで伝えてないな・・・。

予感は大的中だった。

次の出勤日。いつも色々「今日は~~さん、このメール訳してくれへんか?」とか依頼もある主任おじさん、その日はすごく私に気使った顔をされている。言葉も少なめ。ちょっと気になったが、まぁ皆さんお忙しいしな・・・、だった。

しかし、会議室へ。また10時45分まで待つ。55分、まだ来られない、今日って会議あるんかな?で。

それも運命だったなー。女性社員さんだけで、あとの男性社員は出張だった。係長さんは参加も無く、その日は社員は2人、男性社員はSkype。

本当に1分前くらいに女性社員が来た。「~~さん、前回の監査は本当にすみませんでした。」と私。

「いえ、別に。」

明らかにおかしかった。眼も合わせてくれない。それに1分前って今日の事何も聞けない・・・。

「今日ってどの辺りのお話を・・・?」と聞くと、「もう何回目?大体どの辺見といたらいいか、わかるでしょ?」

あーあ、だった。
もう絶対、派遣担当者、全容話したな・・・。女性社員さんへの愚痴は仮に伝わっていなくても、あのひどい通訳ぶりの後で、私なんて何も言う権利はなかった。
「~~さん、資料が事前に欲しい、って派遣会社に言ったみたいやわ。」仮に主任から聞かれただけでも、あの女性社員さんにしたら、「はぁ、そんなレベルとまず違うやん!」だったと思う。

もう会議が始まってしまい。いつもより音量が聞こえない。いつも係長さんテレビ本体のどこかも触られてたが、女性社員さん動こうとしない。リモコンでの音量はMAX。「少しいつもより音が小さいのですが。」と私。
「これくらいでしょ、前の~~さん、そんなこと一回も言わなかったよ。」

あーもう、あかんわ、怒らせてしまった・・・。ちょっと露骨ではあった、私より少し年上か同じくらい、でもずっとずっと我慢して合わせてくださってたんやと思う。それが偽通訳者がいっちょ前に文句を言ったもんだから、そりゃもう、はぁ?だったと思う。

もう勘が完全に狂う。もうリードも難しいが、あかん、やらなあかん。でもいつもなら、少し専門的な話が出たら、社員さんから「それここね」と指してくれるのがガン無視。

通訳中、「すみません、今のところ少し分からなくて、もう一度聞きます。」「あ、もういいよ、私は分かったから、もう聞かなくていいわ、Please go ahead.」

もうあれで糸が切れた。もう自分で相手に英語話して進めてしまわれた、それは私は用無しってこと。あれが一番悲しかった。

Skypeの向こうから状況知らない男性社員が「モデルチェンジしたのは何故か聞いて」と。モデルチェンジが通じなかった。色んな言い回しで、言ってみても何だか上手く行かなった。動詞をchangeでmodelを目的語にしてでは全くダメで、多分remodelとかも言ったが、なんであんなに通じず、そして言えなかったのか。あの後用語を調べたが、今はもう忘れた。

それまで、まだこちらから英語を発するのは何とかやって来れていたのに。

じーっと女性社員が何も言わずに見ている。でも分かっている、悪いのは私。愚痴った私が、ではない、この仕事をやってしまった私が悪い。

終わった。ぐったりした。でも反省点はいっぱいで、怖い顔されてても聞くことは聞かないといけない、「あの、~~さん、次回に繋げたいので今日の事で分かっておかないといけない箇所、教えてください。」と。

私が聞きたかったのは、その日の会議の事、でも、その方、私に、私自体に分からせたかったと思う。

「うん、正直、ちょっと通訳、無理ちゃうかな・・・。用語とか、全然無理やん。」

分かっている、私が悪い。でも、やれるよう努力もしてきた。間違っていただろうが、出てしまった。

「分かります、仰りたいことよく分かります。でも、どの用語ですか、来てからの2時間でしか準備できなく、ろくに皆さんとも話せない。翻訳の作業もやっていない私が、どの用語を、どこで分かればいいんですか。」

あかんよなー、馬鹿のくせに気だけは強い。情けない、何もできなかったくせに。

「うん、まぁ、分かるよ、確かに悪いな、と思う部分もある。翻訳もされていないしな。」案外静かに返してくれた。

「でもな・・・」

この後言われたことは100%その女性社員が正しい。あそこまで彼女に言わせたのは私が悪かった。

「でもな、私らな、通訳者にビジネス説明してる程、暇とちゃうねん!!」

もう何も返せなかった・・・。

絞り出すように、「分かりました。」それしか言えなかった。

帰る時はいつも主任とハンコを交わしていた。主任が部屋に入ってきた。状況を話して、絶対最初の派遣担当者からやったらあかんよ、って言われていた掟破りをした。

「~~主任、これまで頑張ってみましたが、やっぱりもうこれ以上ご迷惑かけられません。他の通訳者を探してください。」

それは最初の担当者から口すっぱく言われていた。一回目の大炎上のあと、何回か無理だと思う、って言ったら、「~~さん、あなたはうちの会社の代表でそこの会社に行っているから、間違っても自分で辞めますとか、そんな勝手な事は言わないでね。あなたは私たちの会社の一派遣社員なんです。」と。

でももう主任に言った。主任も薄々何かを分かっている感じだったが「何も~~係長からは聞いていない、責任者はあの人やから。~~さん(女性社員)が今日そう言ってもな~。」と。「でもまたそしたら聞いとくわ。」と。

帰ってから派遣担当者に全部話した。相当引き留められた、先方からは何も連絡ないです、と。でも話している途中で、「あっ」と。

担当者の上司のところに主任からメールが来たらしい。「他の通訳者おられますか?」と。

先方が話し合って、やっぱ~~さんでは無理やわ、ってなったのは、簡単に伺える話。あっけなく、一回も更新せずに初通訳仕事は終わってしまった。

通訳学校は通っていた。6月途中、「私、何のためにここ来てるんやろ、通訳者じゃなくなったしな・・・。」そんな思いになり。

でも丁度その頃、またこの仕事を教えてくれた英語グループから、今のコミュティ通訳の話が来た。

コミュニティ通訳というのは、全国的にはボランティアでまかなわれている傾向で、それでは通訳者の質が低くなるから良くないのだが、分野としては重要な分野で、医療・教育・裁判など生活に密着した内容を扱う通訳。私の場合はその地域に住む外国人の方の相談業務という仕事である。

まだ大きな都市だから、少しはお給料を頂けるが、内容とその見返りは正直合致していない。
近所の塾講師とかで私より時給のいい子どもたちは「長い時間かけてよう行くわ、内容もムズっ!あほちゃうか。」と呆れている。

でも私は通訳、という職歴を継続させたかった。3か月だけで切れてしまったら、それは履歴書に「失敗しました」と書いているようなもの。名前はいい会社だったので、あれ以来書類はほぼ通る。ネームバリューってすごいな、と思う。

で、私はいつも先に話すことにしている、「力足らずでクビになりました、でも通訳の職歴は消したくなかったので、異業種の通訳にトライしました。」と。

通訳学校の派遣会社でも、そのように先に言ったら、「正直にお話しくださりありがとうございます。」と言われた。逆に教育分野の派遣も登録しませんか?と言われ。(それでTOEIC講師職の模擬面接も通ったが、900無いと派遣できない、TOEICを900取ってくれと言われ取れないのが私・・・。)

正直でいることしか自分にはできない、でも今回の場合はそれでいいみたい。結局英語ができても、あまり人間が腐っていたり、停滞ばかりしているよりは、明るく生きていることの方が大事なのかな、という気もする。

今で通訳業としては2年と2か月。今の仕事は前のよりは楽である、聞き返せるから、ある程度何回も。もちろん「Would you say that again?」ばっか言うてたら怒られる。あの手この手使って、全部違う表現やアクセスの仕方で辿り着くようにしている。本当は一回で全部聞き取れるリスニング力が必要。でもそんなに易しくない。どの方の英語も教科書のような英語じゃない、癖もある。

この話を書き終わって思うのは、
一番は、もう私の顔なんてどなたも見たくないだろうが、あの時の会社の社員の方々に謝りたい。
本当は謝るだけじゃなくて、もし力がついているならば、今度こそ、満足してもらえる、ありがとう、って言ってもらえる通訳者として働きたい。ビジネスのお手伝いをするために呼ばれている通訳者である。プロとしてその仕事ができたら、と思う。

じゃあもう一回、今チャンスがあったら?

行かない、絶対行かない、何故ならまだその力が私には全然無い。

初通訳仕事失敗後も、夢を持って通訳学校には通った。通ったなんてもんじゃない、命を懸けて勉強した、言い過ぎかな、でも倒れるん違うかと思うくらいあの時は勉強した。いつもそのことしか考えていなかった。でも結果は1年半、一回も、一回たりとも進級しなかった。

失意の中で通訳案内士試験を受けて、合格できた。ガイドとして始められるようにもなれた。でも今回通訳の仕事を振り返って、こんなに自分が最初の通訳の仕事に思いが残っているのか、と正直少々驚いた。

人生って何があるか分からないからな・・・。でも最後に選ぶのは私、私の人生だから。どこに向かって行くのかな。言えるのはただ一つ。まぁ英語は黙って勉強してて私の場合大きく逸れることはない。

今日も何か勉強するか~~、そう思いながら遊んだり、掃除したり・・・。通訳失敗談、読んでくださった方、ありがとうございました。(通訳学校戦闘記を、また元気が出たら書かせてください!長編になると思いますー。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?