自慢していいんだよ、君の“役”だって(『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』2024/9/28マチネ エレファントチーム大千秋楽感想&井上芳雄さんのクリスチャンについて)
大好きな『ムーラン・ルージュ!・ザ・ミュージカル』が終わってしまいました。2年間、ほんっっとうに楽しかった。「終わらせたくない!」ってこの世の終わりみたいな気持ちで通っていたのに、実際終わってみると、当時は想像していなかったほど穏やかな気持ちです。寂しくないと言ったら嘘になるし、脳内上演は今だに継続しているけど、こんなに丁寧に、しかも大好きでこの方が居てくれたからこんなにムーランルージュを好きになってしまったんだと自覚せざるを得ない井上芳雄さんの手によって、ものすごく綺麗に終わらせてもらえた事実を噛み締めている。「終わる」って、悪いことだけじゃないんだと教えていただけた。
※以下、私が最後に見た公演の感想と、芳雄さんに特化した内容です!めちゃくちゃ長い!1万字超えてます。
※ムーランルージュに特化したnoteをあと2本は書きたいと思っているので、よろしければお付き合いください。残したい思い出が多すぎる!それほどまでに、愛してやまない作品でした。
(1)「……エレファントチーム大千秋楽なんて凄いんだ!!!」 本編の感想
終演後挨拶一発目の芳雄さんの、恒例の客席煽りの大千秋楽バージョンの言葉を借りちゃうけど、エレファントチームの大楽に相応しく、とにかく濃くて、派手な時間だった。どんなラブストーリーも悲劇も「THE・エンターテイメント」にしてしまう、ムーランルージュという特別な作品が持つそんな一面を強く感じさせてくれたチームだった。今年は東京と大阪で公演があって、どちらも初日と千秋楽のキャストはチーム制だったからこそ、エレファント・ウィンドミルのメンバー構成をより意識することが多かったな!
・最後の景色は象の麓から
千秋楽は象の麓、というか足元から。エレファントチームを見届けるのに相応しいね!最後にもう一度前方席に座れたことが思い出深くて、1幕ラストのElephant Love Medleyはスモークを浴びながらサティーンとクリスチャンの夢夢しい光景を目に焼き付けられたことの没入感、特別だったな。
・「THEエンタメ」の中でも際立つ感情の機微
ムーランルージュはドセンから観劇することが正解なんだということは、センターで観劇した時の照明や舞台セットの光景が物語るので本当によくわかる。でも、色んな座席から見られたことも思い出深い。千秋楽も特別なアングルで、象の麓(上手)から舞台を鋭角に見ていたからこそ、新しい光景、特に表情が見えたことも面白かった。
印象的だったことを順番に上げていきます。
まず、象の部屋でのSympathy for the Dukeの途中で自分語りをしながらサティーンに迫ったり、シャンゼリゼ通りで黄色い柱の邸宅を君のものだとサティーンに語るK公爵の寂しさ。お金があるからサティーンを手に入れたいのではなく、心の隙間を埋める存在としてサティーンが欲しかったんだろうなとよくわかる、Kさんの「血が通った人間らしい公爵像」が大好きでした!
そして上野哲也さんのロートレック。Nature Boyでクリスチャンに歌いかける時の表情が本当によく見える席で…クリスチャンの止まらない恋心を受け入れる慈愛、自身のサティーンへの過去の恋心を懐かしみ、そして現在進行形の彼女への憧憬を受け入れ、後悔を自覚したうえでクリスチャンの背中を推すまでの過程が見事だった。今までで1番沁みた。
藤森蓮華さんのニニが、公爵を弄ぶサティーンに彼が危険だと忠告するシーン。サンティアゴとキスしちゃう自分を受け入れて良いのか、自分に素直になれずまだ葛藤を引きずっている中でもサティーンへの忠告を欠かさないというか、展開が繋がるからこそ、自分の恋と向き合う時間よりも不器用ながらにサティーンを大事に思う時間を優先するような見せ方がすごく刺さったな。
あと、Come What Mayのクリスチャンの歌い出しで手の甲に頬擦りされキスまでされる時の平原綾香さんのサティーンの葛藤。クリスチャンが自分を見ているようで見ていないからこそ、顔を見られていない一瞬の隙をついて物憂げな表情を浮かべるのが堪らなかった。夢見がちなクリスチャンのことをどうしようもなく呆れつつ、クリスチャンが描く未来に自分がいないことを実感する寂しさ、それでも込み上げる愛おしさ。あーやの表現の細かさに唸る瞬間だったな。
・投げキッスの応酬 アドリブ祭りのElephant Love Medley &カーテンコールの2人
↑致命的な誤りがあって、正しくは「歌えないさ こんなラブソング」です!!
私が観劇していない回でもやっていたかもしれないけど、ここで投げキッスの応酬アドリブを入れるのは、東京公演中のボヘミアンズ貸切と東京千秋楽以来かな!逆を言えば、今期はこんなに遊んでたんだなと感慨深くもある。あーやサティーン×芳雄クリスチャンだからこその「THE エンタメ」回を物語るような「大人の遊び」を感じさせてくれるムードを更に楽しく盛り上げてくれたなぁ。
キャストが順に登場するカーテンコールで最後にサティーンとクリスチャンが上手下手から同時に登場してセンターで合流するけど、その合流の瞬間からハグ!終演後挨拶が終わって追い出し音楽がかかってからもハグ!そして両手で手を繋いで大きなハートを作ってくれて…!私が観た大阪公演中、2人が揃う回は毎回手繋ぎハートを作ってくれて、ぴょんぴょん跳ねるあーやのテンションが落ち着くのを、ハート作るために肩幅に脚を開いて待つ芳雄さんという光景も印象的(笑)。あーやはオフマイクのお芝居とかアドリブとか、そういうことを好んで積極的にやるタイプなんだなと微笑ましく思った公演期間だったけど、芳雄さんも本当に楽しそうにしてて、溢れる多幸感がたまらない光景だった。
・El Tango De Roxanneで溢れる感情
何度も圧倒された芳雄クリスチャンのロクサーヌを聴けるのももうこれで一区切りか…と曲が始まる前は相当構えてしまったけど、いつも通り圧巻のパフォーマンスで、毒々しい緑の世界から様々な感情が渦巻く赤の世界に見事に引き込んでくれた。個人的に、特に大阪公演での後半の「なぜに泣くのか 心抗えない」で感情がスパークする瞬間がたまらく好きで、「心抗えない」で音階が釣り上げられる時にこちらの心臓も釣り針で引っ張り上げられるような緊張感、そしてこれから起こりうる悲劇でクリスチャンと共犯になるような背徳感すら感じて、本当に惹きつけられたし、座席に縛られ動けなくなる感じがたまらなかった。更に9/26ソワレでは、その少し前の「なぜに泣くのか」から感情が制御できずに溢れそうになっているのが印象的だったけど、大千秋楽でももう客席中に負の感情を沁みこませるような浸透力に畏怖すら覚えるほど。大楽にして、曲終わりで後ろを見ずに後ずさるクリスチャンが客席に向かって指を刺す演出が復活したのが印象深くて、こんな状況を黙って目撃している我々も責められているような臨場感。最後に天を仰ぐところで急に無垢な表情を浮かべる展開に、クリスチャンの中で理性の糸が切れたことを完全に理解させられた。
・集大成、ヤバクリスチャン全部載せのCrazy Rolling
もう………本当にすごかった………Crazy Rollingの芳雄クリスチャンをできることなら見逃したくなくて劇場に入り浸っていたところがあるけど、その集大成というか、全てを盛り込んできてくれた。
「ついに君は暴かれた」の「ば」の破裂音と共に身体を大きく広げて客席を脅そうとする仕草、「どうやって君を連れ出そうか」でこめかみに両手を当てて顔を伏せながらも正面見据える目、「見くびるなよ覚えておけ」で覚悟を決めるように自身の心臓を指差し、「愛し合った日々 完璧だった2人」で傷ついた心を庇うように左胸を抑え、「もう聞きたくない」で感情が溢れすぎて、メロディーから逸脱するほどの叫び。百戦錬磨のミュージカル俳優による敢えての表現だと思うけど、歌とセリフの境目がなくなる瞬間が本当に好きだ。Crazy Rollingは、クリスチャンがどんなに派手に自分の心の苦しさを訴え、サティーンを恨もうとしても、結局は自分の心の弱さと向き合う、涙ながらに救いを求める曲なんだという解釈を改めて突きつけられた。
サティーンと並んでからは、ピストルの銃口から目を逸らさない節目がちな視線が印象的で、座席の都合でほぼ真横から観ていたアングルだったことも影響しているかもしれないけど、照明の陰影も含めて「絵」としてなんて綺麗なんだろうと惚れ惚れしてしまう瞬間すらあった。自暴自棄になる曲だけど最後は涙が強くて、なのにその先にもう一つ展開が待っていて、「もうやめて これ以上」で照明が落ちる瞬間にピストルを突き上げて瞳の奥まで開いて覚醒する瞬間に客席に刻みつける狂気。これから起こる展開をよく見ておけよ、とでも言わんばかりに。全てが本当に大好きだったな…
あと、どこかで言いたいと思っていたけど、Chandelierの曲終わりでロングコートを着させられる演出がすごく良い。ラグタイムでコールハウスが途中でロングコートを纏う演出と同じように考えてしまうけど、闇堕ちの状況を暗示しているのかなと思ってた。最後までロングコートを着続けるか、途中で脱ぐか、2作品で違うのも面白い。
大楽翌日のバイマイ生放送で「Crazy Rollingの芳雄さんの心境がどうしても知りたい」と私が送った、下心丸出しのド直球のメールを読んでいただけたことが本当に嬉しくて、でも言葉が足りていなかったことを反省したので、この場で少し補足したい。
日替わりのパフォーマンスを見逃したくない、この日何をやっていたかを鮮明に残しておきたい。そういう観察日記のような気持ちでいるとしらけてしまうかなと思うし、そこだけを重要視するわけではない。でも、とにかくクリスチャンの中でどの感情が今一番強いのか、何を訴えどうしたいのかを考える時間が本当に大好きで、心象風景を語る歌詞だからこそ、状況を言葉で補足されることがないからこそ、その限られた状況の中で、とにかく魅せられ、驚かされ、感情を動かされ、惹きつけられることに夢中だった。そうさせてくれる芳雄さんの、ミュージカル俳優としての「魅せ方」に惚れ込んでいた。スーパー井上芳雄タイムとか井上芳雄劇場とか、この2年間で勝手に色んな呼び方をしていたけど、それほどの時間だったんだ。あと!どんなに感情が乱されようと!!絶対にシンコペーションを決める芳雄さんの意地、というかプロだからこそリズムを忠実に守るパフォーマンスが大好きでした!!!バスドラムが刻むリズムに合わせた歌唱がブレないからこそ、逆にブレ続ける感情に引き込まれたし、ブレるものとブレないものの対比の見せ方がたまらなく好きだったんだ。
・ラストシーンで現れた等身大のクリスチャン
芳雄クリスチャンに抱き抱えられるあーやサティーンの表情を捉えられない席だったことが少し心残りではあるけど、クリスチャンの表情を今までとは違う角度から拝めて、クリスチャンの希望が消え喪失に染まる瞬間が鮮明に脳裏に焼き付いてるし、いつもより強めな嗚咽が響き渡っていたのが忘れられない。サティーンのおでこと自分のおでこを近づけようとするのも印象的で、こういう時に唇を近づけないのが、不器用で純粋無垢な本編序盤の芳雄クリスチャンは、たとえ本編中で色んな経験をして成長しようにも、心の底にあるものは変わらないんだなと、最後の最後まで心をくすぐられた。(逆に甲斐くんとあーやの回は、サティーンが事切れる直前に2人ともキスしようと唇を近づけるけど叶わない切ないエンドなので、とにかく「みんな違ってみんないい」を実感する。キャストごとの感想は生成中なので週末に投稿します!)
「数日が数週間になり」のモノローグで、いつもの片膝立てる座り方ではなく突然あぐらをかき始めたり、「そういうわけで」で立ち上がった時に手のひらについていた紙吹雪をはにかみながら床に落としたり、そういう光景も新鮮だった。いつもよりも感情の蓋を全開にしてサティーンとのお別れのシーンを遂げたからこそ、芳雄さんとクリスチャンの狭間というか、芳雄さんの等身大のクリスチャンがそこにいるようで、だからこそ「芸名」と「役名」の狭間として歌い上げてくれる、次のCome What Mayへの助走にも感じて胸に来たなぁ。
・“命”を伝えるCome What May 究極のラブソングであり人生賛歌
それにしても、大阪公演から芳雄さんの身振り手振りがこのフィナーレのCome What Mayでも激しくなったのは、最後だからと決めてたから、やれること全部やろうと思ったからなのかな…と今になって改めて思う。
多分Xでも同じ話をし続けている自覚はあるけど、Come What Mayのクリスチャンの歌い出しで、クリスチャン自身が涙ぐんでしまう光景に出くわすことが多くて。初演の頃や東京公演では、涙を隠し切れてないクリスチャンを目撃することは稀で、そういう時は、まだサティーンとの別れのシーンから気持ちが戻ってこれてないのかな?と思っていた。でも大阪公演が始まってから、自分の中でやっと腑に落ちた。Come What Mayの前半は、天に召されたサティーンに向けたラブソングなんだ。
大阪公演が始まってからのフィナーレのCome Whay Mayは、特に前半と後半での歌い分けを顕著に感じてる。前半は、まるでサティーンにさえ聴こえれば構わないとでも言わんばかりの究極のラブソング。それでも、芳雄さんの技量と、梅芸の感度が高い音響によって、囁くような、絞り出すようなクリスチャンの声がちゃんと客席の耳に届くという状況がもう愛おしくてたまらない。
そして後半は、サティーンとの物語を客席に伝え続け、彼女が教えてくれた「真実」「美しさ」「自由」「愛」の素晴らしさを歌い上げる人生賛歌。何故Come What Mayをここで歌うか。それは唯一のオリジナル楽曲だからこそもう一度、という作り手の事情もあるかもしれないけど、本編でクリスチャンがサティーンへ歌った、まだ真実を知る前の彼が思い描いた「僕達のハッピーエンド」だからなんだと思っていて、最終的に死別してしまうラストを迎えたけれど、2人にとってはハッピーエンドで、かつサティーンの最後のセリフとなった「私達の物語を伝えて。そうすれば一緒、どんな時も」を忠実に守ろうとしているんだ。その流れがすごく腑に落ちた。
大楽の芳雄クリスチャンの後半の“人生賛歌”は、大阪公演で何度か目撃した、「唇にこのメロディー」に合わせて唇に添えた手を客席に向けて順に伸ばしてそのままかき集めて胸の前で両手を合わせるような仕草があって、これは「人生で最も大切なこと」として「真実」「美しさ」「自由」の最後にクリスチャン自身が唱えた「愛」が劇場中に充満する光景を愛しむようで、クリスチャンこそがサティーンやボヘミアンズの愛によって生かされたし、クリスチャンこそが作品と客席を愛で繋ぐ伝道師のようになっていたんだなと感じた。
そして、大楽で初めて拝見したのが、最後の「命が果てる日まで 愛してる」で、左胸を右手で2回叩き、左手を天に向かって手を伸ばしていた光景。これがもう、刺さりすぎて涙が止まらなかった。もう何回でも言いたいんだけど、私は芳雄さんの左胸(心臓)へのアプローチが大好きで、生前のサティーンと歌うCome What Mayでは「聞こえるかい この鼓動 今君に捧げよう」でサティーンの手を取り自分の胸に当てさせることで湧き上がる感情の豊かさを伝えてくれて、でもサティーンが天に召された後のフィナーレの同じ歌詞では、もう手を当ててくれるサティーンは居ないので自分で手を当て鼓動を感じるしかない切なさを、そしてもっというとCrazy Rollingでも、大楽に限って言えば先述したように心臓に直結するような表現がいくつもあって、覚悟を決めるのも、傷ついた痛みを感じるのも、全て“心”なんだなと理解させてくれる。そんな中、「命が果てる日まで」で心へのアプローチがあり、しかも強く叩いて天に手を伸ばすというのが、心臓の鼓動を感じて命を使ってちゃんと生きているよ、物語を伝え続けるよというサティーンへのメッセージにも感じ、叩いたことで心を鼓舞するパフォーマンスが、ムーランルージュを見届けて劇場を出た後それぞれの道を歩む客席1人ひとりを奮い立たせる檄のようでもあって、究極の人生賛歌としてクリスチャンは最後に「命」を歌ってくれたんだな、と本当に感無量でした。
芳雄さんの、全ての表現の引き出しが全開になったような印象の大千秋楽だったけど、それは「もうクリスチャンを演じることはない」と覚悟を持っていたから。そう思うと、ムーランルージュの作品自体と同じくらい豪華すぎた全部乗せのあの日の豪華なパフォーマンスに、すごく納得できる。客席から見えるものだけで「感情の濃度」を測れるとは思ってなくて、自身のソロパートで身振り手振りをほぼ何もしなかった9/26ソワレのCrazy Rollingも逆に忘れられなくてずっと胸に残っているけど、それでもとにかく濃く、クリスチャンとしての2年間の軌跡を私達の記憶に刻みつけるように爪痕を残してくれた。だからこその集大成のクリスチャンをこの日、この目に焼き付けられたことは、いちミュージカルファンとしても、芳雄さんのファンとしても、一生モノの財産になった。
(2)終演後のご挨拶 初演の区切り、未来へのバトン
挨拶の様子を映像に残してくれて嬉しい!でも、本当はフルバージョンで残して欲しいよ……ということで、映像には残っていないところも含め、印象的だった部分をニュアンスで残したいと思います。
・「僕が演じることはもうない」 事実上のラストクリスチャンだった井上芳雄さん
「世界最高齢のクリスチャンなので、僕がやること(演じること)はもう無い」、そう言い切った瞬間の客席のどよめきをもう少し覚えておきたかったけど、私自身が感じた衝撃でその余裕はなかった。こんなに著名なアーティストの方々が訳詩を担当されたミュージカルが2年限りの上演であるわけないので、今後も継続して日本上演があるのだろうと誰もが思うはず。でも、そう考えられる理性には、再演時にキャストが変わるという感情的な寂しさは伴わない。
とはいえ、ファンにもう一度芳雄クリスチャンを拝めるかもしれないと変に期待を持たせないことこそ優しさだと思ったのと、この大盛り上がりの大千秋楽の挨拶の1人目(クリスチャン→公爵→ジドラー→サティーン、の順だったんだよね)の立場として、これを言い切ることも本当にかっこよかったな。
・「ご両親の出会いがムーランルージュ」 縁の強さを感じるKさん
ご両親の最初のデートが、韓国の「ムーランルージュ」(という飲食店)だったという可愛いエピソードを話してくださったKさん。ユーモアを交えつつ、(ご自身にとっての)サティーンとクリスチャンがいなければ今日のデュークはここにはいなかった、と語るKさんの家族愛に胸を打たれました。
・「正直このカンパニーから離れたくない」 常に熱い橋本さとしさん
前日に寝られないんだとXを更新し続けて、しかも最後にはたこ焼きにさとしジドラーのひょうきんショットまで埋め込むというコラ画像までアップしたさとしさんが、その一部始終をこのタイミングで、大千秋楽のカーテンコールというタイミングで教えてくれた。寝られなかった理由は、寝たら明日(千秋楽)が来てしまうから。「正直このカンパニーから離れたくない…」としみじみ語るさとしさんに、今まで数えきれないほどの場数を踏んできたベテラン俳優さんでもこんなにしんみり別れを惜しんでくれることもあるんだなと嬉しく思ってしまい、また同時に、これほどのキャリアの俳優さんにとっても寂しさを感じさせるムーランルージュのカンパニーの絆の深さを感じさせられた。
休演された松村雄基さんの代わりにジドラーを務められていたから、この一週間はさとしさんがマチソワ登板する日も多く、「ムーランルージュを潰さないために奮闘するジドラーと重なる」とも仰っていたけど、「できない CAN CAN CAN」になりそうな日もあったとのこと。それでも、どうにか公演を繋いでいき、本番中は袖ですれ違うたびにみんなが励ましてくれたという話も胸が熱くなったな。
・「命尽き果てる様子」を演じる覚悟 繊細な機微を忘れない平原綾香さん
亡くなったお父様がサティーンのモデルだったこと、サティーンを演じる上でご自分の中に家族がいたからこそ「死ぬ役」に自信を持って取り組むことができたという話をしてくれたあーや。確かにあーやは、死に向かう表現に強いこだわりがあるのだなと感じさせてくれて、ラストシーンが近づくにつれて目の焦点が合わなくなったり、「私は誰のものでもない」と公爵を拒絶する時に振りかざす手に力が入ってない感じとか、心が苦しくなるようなリアルさを追い求めてくれたことが、ムーランルージュの「豪華絢爛」な特別な世界にだって、誰にでも平等に「死」があるんだということを分からせてくれたんだと思う。
・「世界のカンパニーを愛してください」
芳雄さんが大阪初日の挨拶で「思う存分僕達を愛してください」と仰り、アジアでは初の地方公演ということで作品を提供する立場としての矜持をすごく感じたけど、大千秋楽では「世界のカンパニーを愛してください」と仰ったことがとても心に残っている。(自身は出演されていないけど)レ・ミゼラブルなどのように「その時だけ『チケットを取って』といろんな人から声をかけられるような作品になってほしい」と笑いを交えながら語っていたけど、日本初演キャストとして大成功に導いたからこそ、世界のカンパニーへの愛、そして挨拶内で盛大に匂わせられていた数年後の日本再演に繋げようとしてくれたんだな。クリスチャン役としてではなく別の役として戻ってくるかもしれないよ、とも話してくれた芳雄さんが、このムーランルージュを、そしてクリスチャンを演じた自分自身を愛してくれた方々を、もっと広い世界へ、そしてより先の未来まで連れて行こうとしてくれてるんだなというところまで感じ、本当に胸一杯の千秋楽でした。
「これが最後でした」と言われ、寂しくないなんてありえない。また、数年後に日本で再演がされても、こんなにハマった日本初演カンパニーが揃わない客席に私が居るか分からない。それでも、この作品をここまで愛し、届けてくれたカンパニーへの感謝が止まらない。この作品にも、このカンパニーにも、出会えて本当に良かったな!この先何度でも、そう叫び続けたい。
(3)井上芳雄さんのクリスチャンについて
ここからは私の主観です。私がミュージカルに求めることって「いかにその世界に引き込んでくれるか」という点で、芳雄さんを追ったこの1年半は、短い期間ながらもそれを大いに感じる期間だった。目の前にいる役の設定を細かく見極め、その設定と俳優との距離感の近さ、リアリティを求めるという楽しみ方もあるのは事実で、再演の芳雄クリスチャンは更にその点を追求していたのかなと勝手に思っている。私だけでなく、友人やフォロワーも言っていた「初演に比べて若返っている」と最後まで突き通した芳雄さんの技量は、ご自身のキャリアの賜物だと思っているし、クリスチャンの初々しさや不器用な可愛らしさを前半にこんなにも印象づけたからこそ、1幕ラストのElephant Love Medleyでサティーンの心の扉を開けようとする勢い、2幕のChandelier→ロクサーヌ→Crazy Rollingの劇的な展開、そしてフィナーレのCome What Mayの求心力に繋がるんだ。「豪華絢爛」を売りにして、誰もが知ってる洋楽のマッシュアップの中で、状況を説明する要素が足りないかもしれない中で、それでもドラマを描かないといけない。だからこそ行間が大事で、クリスチャンが何に心を動かされ、何を考え、何を感じて、何を訴え、何がしたいのか。それを考える時間が本当に好きだった。全てを語らないミュージカルだからこそ、その合間を埋めてくれるような緩急のある表現を感じ取る時間が好きで、芳雄さんの時に繊細で、時に大胆なクリスチャン像を楽しく追いかけ、どこで感情のピークが来るのか、今は泣きと怒りと嘲笑のどの感情が強いのか、そういうことを頭で考え、心で素直に感じ、日によって違う表現を、日によって様々に受け止めた。そういうことがしたくて、そういう瞬間を逃したくなくて、劇場に通い続けた。タイトルにもしたけど、いつも実年齢と離れてることをネタにしがちの芳雄さんがオーディションで選ばれたことが証明するように、こんなに沢山の方を惹きつけてチケットも完売した事実は本当に誇らしいし、最後だとしても、こんなに夢中にさせてくれたことを忘れないでほしいんだ。クリスチャン卒業宣言は、勿論実年齢を考えてのご自身の決断だとも思うし、これは勝手な妄想だけど次の世代に譲ろうという決意の表れでもあるのかもしれない。ただ、今は日本初演を盛り上げてくれ、歓声文化の風穴を開けてくれた芳雄さんが、日本初演のクリスチャンで良かった。クリスチャンを演じてくれて、ミュージカル界も私の心も豊かにしてくれたことに対して、感謝の気持ちが溢れてどうしよう。
初演の時、芳雄さんだけで1本書いたことがあったんだけど、今年もまた違う、新しい色々な刺激を頂けて、忘れられない再演となった。改めて、2年かけて芳雄さんのクリスチャン像に迫ることができたのは、本当に幸せな期間だったなと思う。
(4)舞台は刹那 終わりがあるからこそ美しい
終演後の挨拶の項目の中で書ききれなかったけど、千秋楽を惜しむ中で芳雄さんが「でも舞台って“終わる”ことが良いと思ってる」んだとサラッと放った一言が忘れられないんだ。星の王子さまの「大切なことは目に見えないんだ」という名言も添える形で。確かに舞台って、本来形に残るものとして提供されるものではなく、劇場の中で完結されるもの。舞台が持つ「刹那的な魅力」に改めて気付かされた。そして、終わることを肯定的に捉える俳優さんを好きで良かったな…とも思った。
大千秋楽翌日の生放送のバイマイでも、一緒にゴールテープを切ってくれる優しさを存分に浴びた。最後だからこそ覚悟を持って演じていたこと、「これで最後です」と言ってから終わりたいんだという想い、そして(メールを読んでいただけて本当に嬉しかったのだけど)Crazy Rollingの心境を語る中で「どきどきするけど楽しい瞬間」「やりがいがある」という言葉を残してくれたこと…とんでもなく手厚く、温かい幕引きだったな。あんなに終わらせたくなかったムーランルージュだけど、ここまでしていただいた以上、いよいよ終わるしかない。
ムーランルージュご出演の強めの匂わせから、ムーランルージュの幕を下ろすゴールまで、作品への出会いと別れまでをこんなに丁寧にアテンドしてくれた芳雄さんに、とびきりの感謝を込めて、この長文も終わらせたい。ただ、ムーランルージュとお別れしても、ムーランルージュの思い出は語り続けたい。もっと投稿したい内容もあるので、引き続きXやnoteでもムーランルージュの話をし続けると思います。「私達の物語を伝えて。そうすれば一緒。どんな時も」の気持ちでね!おわり!
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