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セクシャルマイノリティかもしれない

こんにちは。本来はこれを書いてる時間で課題をやらなきゃいけない、真っ白なグレーです。

前回、自分の核に迫るnoteを書くと言っていましたが、それが今回です。

テーマはずばり「セクシャルマイノリティ」。

いきなりですが、自分はストレートではないのかもしれない。私は少し前からそういうふうに思っています。

高校に入学するまでは、そんなこと1ミリも考えたことがありませんでした。きっと、将来は異性に恋をして、結婚するんだろうな。そう漠然と思っていました。

でも、高校に入学して、担任の女教師に私は恋をしました。厳密に言えば、その時はこれが恋だとは思っていませんでした。でも、今思えば、あの心のトキメキは「恋」以外の何物でもないだろう!なんで気が付かないのか自分!と思うほどに恋をしていました。毎日、その人に会うことを楽しみに学校へ行き、その人の授業を凄まじい熱量で受け、帰りの会の前に廊下で待っているその人を勝手に目で追い、毎日心臓がギュンとしていました。キュンどころの騒ぎではありません。ギュンです。それでもこれが恋だとは思いませんでした。ただの憧れ、または推しと一緒にしていました。

推しへの感情と恋愛感情の違い。これについては、各々の定義が存在すると思いますし、割と紙一重なのかなとも思います。私が考える違いは、その良さをみんなと共有したいか否か、みんなにも好きになってほしいか否か、かなと考えます。私は、推しの良さをみんなに伝えて、みんなで応援したい!と思ってしまうので。これについては、話し出したら長くなりそうなので、機会があれば別に書きたいですね。

私は、その先生の事をみんなにも好きになってほしい!とは思っていなかったように思います。彼女は、熱血系の教師で、かなり人によって好き嫌いがわかれる先生、むしろ嫌いな人の方が多いんじゃないかぐらいの人でした。別にそれでいいと思っていました。私は、ただ好きで、話したくて、一緒に居たくて、私のことを見てほしくて、彼女にとって特別な存在になりたかった。

こんなに全力で恋をしていた私が、担任の先生への恋を自覚しなかった理由が今なら分かります。


自分が女性に恋をするとは夢にも思っていなかったから。


これです。これに尽きると思います。自分が「同性に恋をする」という考えがそもそも無かった。よく覚えていませんが、LGBTQのことを知らなかったという訳ではない気がします。では、いつ気が付いたのか?それは、この先生への恋が終わった後でした。

その先生への恋は、彼女が他の学校に転勤になったことで、残念ながら自然消滅してしまいました。そして次に私は、当時の親友に恋をしました。もちろん、自覚のないまま。

その恋の最中、私は、たまたま「百合」をテーマにした作品たちに出会いました。百合とは、女性同士の恋愛モノや特別な関係性を描いたモノのジャンル名です。私が出会ったその作品自体は、かなりグレーゾーンなものなので、ここで紹介することは控えますが、とにかく私は女性同士が恋をする作品に出会って、自分の親友への感情に合う名前を見つけたのです。このモヤモヤ感は恋だったのか、と。

そして、自分が女性にも恋愛感情を抱く人間だと気が付いたのです。

今、私は自分のことを「パンセクシュアル」だと思っています。

パンセクシュアルは、全性愛者のこと。LGBTQの頭文字になっているバイセクシャル(両性愛者)と何が違うの?と考えてる人もいると思うので、自分がなぜパンセクシュアルだと思ったのか、簡単に説明したいと思います。

理由は、自分は性別に関係なく、ただその人を好きになるのではないかと思ったからです。よく、セクシュアルマイノリティに理解を示す言葉として、「好きになるのに性別は関係ないよね!」みたいなのがある気がするのですが、ゲイやレズビアンの人は、「いや関係あるし!」と答えることになります。好きになるのはあくまでも「同性」なのです。バイセクシャルは「男性でも女性でも良い。」となる。その一方で私は、「性別は関係無く、その人だから好き。」となります。

うーん、自分で説明しててもちょっぴり難しいですね。簡単に言えば、パンセクシュアルは好きになるのに性別関係無し、バイセクシャルは男女どちらでも、になるのです。言葉のあやのような気もしないでもないですが、バイセクシャルの恋愛対象は男性か女性、パンセクシュアルは男性か女性という枠にとらわれない人のことも好きになる、とも言われています。私の場合、パンセクシュアルは好きになる時に性別を前提としない、という概念が自分にしっくりきたので、そう自認しています。あくまでも、その人間が好き、という感じです。

その人だから好き、ということもあってか、私は一目惚れはあまりしません。その人の人となりをよく知って惹かれていくパターンが多いです。

まあ、こんなこと言いながら、私は人とお付き合いしたことが無いのですが…(笑)。片思いばっかりの人生です。好きな人に好きだと言って両想いになれていた幼稚園時代が懐かしいですね。

今日私が言いたかったことは、セクシャルマイノリティという概念自体は知っていても、そこに当事者意識が無いと、自分がもしそうであってもスルーしてしまうことがあるということ。もっと抽象化すると、知ることと自分について考えてみることは両立していくことが大切なんじゃないかということです。私の友人で、よく同性の友達に好かれるから、自分が同性のことを好きになれるのかを考えてみたと言っていた人がいました。彼女は、自分は異性愛者だ、と結論付けたようですが、この姿勢は大切なんじゃないかと。

知ったところで「自分とは遠いモノだ」と最初から考えてしまったら、とてももったいないと思うのです。そういう意識を持つだけでも、見える世界が少し変わるのではないか。私も最近そう思い始めたばっかりなので、あまり実践できているとは言えないのですが。

セクシャルマイノリティのことが日本でもだいぶ知られるようになってきました。その一方で、未だに無意識の差別を含めた差別も残っています。​

私は、リアルの場でカミングアウトしたことはまだありません。

この先するかもわかりません。でも、黙っていれば問答無用で異性愛者とされる世界が辛くなる時もあります。

いつか日本でもセクシャルマイノリティがいることが当たり前の前提になったら嬉しいです。

最後に私の好きなYouTubeチャンネルを紹介します。

わがしchannelさん。女性同士のカップルの方です。

ただただ、素敵なカップルです。心がホッとして、面白い動画が沢山あります。気になった方は、是非チェックを!

今日も読んでいただきありがとうございました。また、次回。





絶対いないと思いますが、もしサポートしてくれたらそれで私は美味しいクッキーを買います。