見出し画像

英国・・・イングランド・スコットランド・アイルランド・ウェールズのロックシーンについて Nothing But Thieves『Moral Panic』Part8

いきなりだけども、この2021年における「王道たるロックサウンド」というと、誰を思い浮かべるだろうか。

枝や葉脈のように広がっていったロックミュージックのサブ・ジャンルの多さを改めてみると、その数多さに目がクラっとしそうで、いったい何がなにやら・・・と思うようになったのは、じつはここ数年のことだ。

ジャズやブギウギに端を発して、50年代のロックンロールに始まって、プログレ、ハード、サイケデリックを通過した60年代、パンクとメタルが生まれる70年代中盤から末の流れ。そこからLAメタルとニューウェイヴとポストパンクへ変化しつつ、草の根の世界ではハードコアパンクとスラッシュメタルとシューゲイザーといったサウンドが生まれ、メロコアとポストロックへと変化し、一気にブレイクを果たす。

00年代寸前までに起こったロックサウンドの大きな変化をかいつまんで書いてみると、こういった名前があがってくると思う。

「2000年代以降にもあったでしょ?」とツッコまれそうだけども、こう返したい。昔から現代(発売当時)でレコーディングも時代背景も様々に変わっている。
たとえ2001年だろうが、いま2021年であろうが、ポストパンクをその瞬間に鳴らせば、それはポストパンクだ。リバイバルでもなんでもない。
どれだけハードロックやプログレらしさあるバンドが時代に関わらずいたとしても、決してリバイバルだとか言われないことと同じだ。
音は時代を超えて表現されるので、リバイバルなんてものはあり得ない。

それでもなお、リバイバルという言葉に意味を求めるならば、「サウンドの特徴」ではなく、「その時代風景を切り抜くための言葉」であり、もっと言ってしまえば「音楽を売るためのセールス文句」であったからだ。00年代におけるロックンロールリバイバルやポストパンクリバイバルという言葉は、ジャンルではなく、時代のムードを差すものだったと思っている。

ここで大きな穴を見つけることができる。ロックミュージックとは立ち止まることなくサウンドの変化をしつづけ、世界中のリスナーを数多く魅了し続けてきた音楽ではなかったか?。さっき僕が書いたジャンルの羅列は、時間経過とともにして書いては見たものの、あの順序にはセールスの規模はあまり関係性がない。

リスナーの嗜好性、メディアの批評、後世に影響を与えたもの、歴史学的視点でみた進化論のような道筋で見えてくるものだ。もちろんミクロでみたらもっともっと名前はあがるだろう、ブラックメタルとスラッシュメタルとブルータルメタルとメロディックスピードメタルとスカパンクと・・・ウエスト・コースト・ロックとサザン・ロックとミクスチャー・ロックとロカビリーとパワーポップと、メタルコアと・・・やめよう目が疲れるわ。

00年代に生まれたロック・・・ロックンロールリバイバルとポストパンクリバイバルといったサウンドは、それまでの進化論的な視座と真逆にいきつつ、それぞれに新奇性があった。音楽的に古めかしいのに、なぜか新しく聴こえる。そのような認知のギャップさを突いたロック、だからこそ光輝いた。

だが進化論的にみたロックが道筋をなくし、認知のギャップを突いたロックが新奇性もセンスも失ったとき、聴くものは一気にいなくなってしまった・・・というのが2010年代と見ても良いだろう。

じゃあ2021年において、ロックバンドの王道とはどのバンドのことを差すのだろうか。
これまでに書いてきた、Coldplay、Muse、Radiohead、Arctic Monkeys、The 1975、BRING ME THE HORIZONにあてはまるだろうか?。はたまたKings of Leonや、Arcade Fire、Imagine Dragons、twenty one pilotsだろうか。ちなみに2010年代に全米で最も売れたロック・アルバムはtwenty one pilotsの『Blurryface』だ。

__________________________________

Nothing But Thievesは非常に理想的なバランスのもとにあると思う、その形はまだまだ小さいけども・・・

コナー「物事はどんどん狂っていくし、どんどん早くなっていく。もっとスピードを落として、すべて再評価する必要があると思うんだよ。なぜみんな、こんなに情報を求めるのか、常に多くの注目を絶えず気にしているのか、みんないつも数多くの意見を持っているのか」「正直なところ、「世界はどうなっているのか」という言葉はは非常に関連性があると思うよ。ただ醜いんだよ。」

端的に言おう。『Moral Panic』は世界の混乱を目にし、怒りと悲しみを歌ったアルバムだ。いったい誰に、どこに向けているのかというと、人の欲望とエゴに向けて歌っている。

コナー「貪欲さは世界で最も強力な問題だし、その機能不全の多くの原動力です。最終的に道徳のちからで私たちのエゴを突破して、自分の心に何をしようとしているのか問いかけ、自分独自の方向性を気づいたら、実際にそれらをコントロールできると思うんだよ」

ここ何回かの記事で繰り返しになるが、トランプ政権の悪影響、エコーチェンバー化して徐々に漏れ広まっていくフェイクニュース、LGBTやBLMにまつわるデモとステイトメント、そしてコロナ禍の混沌。『Broken Machine』から3年で感化されたのは、あまりにもだらしない世相そのものだったわけだ。

Yeah, everybody's going crazy
Can't get through to you lately
We're so hopelessly faded
Is anyone else feeling lonely?
すべての人々が狂っていく
もうすでにきみには話がまったく通じない
私たちはとっくに色あせて絶望している
だれが独りだって感じているんだ?

例えば「Is Everybody Going Crazy?」は、まさにコロナ禍に響きそうな歌詞ではあるが、実はブレグジット問題を中心にして行なわれた2019年のイギリス総選挙や、それに付随するイギリスでの政治的対話やニュースに感化されて制作された曲だ。この曲がリリースされたのが2020年3月という絶妙なタイミングもあったかもしれないが、コロナ禍だけに留まらず、ブレグジットを含めた世相を代弁し、その後を予期したかのような1曲になっている。

We lose all control of our senses, so slowly
Give them up until we're defenseless, so surely
私たちは自身のセンスを失いつつある、少しずつ
僕らが無防備になって諦めるまで、そう確実に
(Unperson)

アルバムのトップバッターを飾る「Unperson」がすでに不穏だ。接頭辞についたunは「無(存在しない)、不(打消し)」なので、「非人間」どころか「人間でなくなる」というミーニングである。

3曲目はアルバムタイトル曲で「Moral Panic」というドストレートなタイトル。5曲目にしても「Phobia」で、接尾辞であり、「○○恐怖症・○○嫌い」という意味合いだ。いうまでもなく、ホモフォビア・トランスフォビアといったLGBTへの視点もありつつ、心理学的に恐怖症患者と目される方々や状況についての歌だ。

It may be rage or maybe hope
I'm at the stage that I fear the most
I wanna know your phobia
Go on, press send, and we can makе friends
I crossed a line a lifе ago
I might be dead, but I just don't know
I'm shuttin' down the internet
Big shot hotel, I don't feel well
それは怒りかもしれないし、希望なのかもしれない
わたしは最も恐れているステージにいる
わたしは君の恐怖症について知りたいんだ
つづけて、連絡をとって、友達をつくろう
少し前に線引きをして、
きっともう死んでいるでしょうけど、もうわからない
インターネットは閉じるんだ、気分が悪いんだ

コナーの懐疑的な気持ちがハッキリと爆発している。と同時に、愛の歌を唄ってもいる。「Real Love Song」と「Impossible」は特にそうだ。混乱してしまった社会に影響された人たち、その心を理解しようとし、繋がろうとし、問いかけようとし、愛そうとする内容なのだ。

RADIOHEADやJeff Buckleyのようなメランコリーなメロディラインとファルセット多用のボーカルスタイル、Twenty One PilotsやMuseのような大仰しいアレンジメント、そしてLED ZEPPELINのようなアグレッシブさ・・・あえて過去のバンドの名前をあげたが、たしかに彼らの音楽には彼らが宿っている。

サウンドスケープは前作のものから引き継いでいると言っていいだろうが、2つの質感が出てきている。「Unperson」「Is Everybody Going Crazy?」「This Feels Like the End」低くうねるようなギターリフにはQueens Of The Stone Ageの影が見えるし、R&BとHIPHOPのサウンドプロダクションを取り入れてもいる。

プロデューサーは前作と同じくマイク・クロッシーが担当している。The 1975と通じて、やはり彼の手腕がいまのイギリス界隈のロックシーンでグイグイと存在感を示しているのが分かる。

ここから先は

0字

¥ 100

こんにちは!!最後まで読んでもらってありがとうございます! 面白いな!!と思っていただけたらうれしいです。 気が向いたら、少額でもチャリンとサポートや投げ銭していただければうれしいです!