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草と自然
2024年5月13日 04:03
自由を感じる為に自然に浸ると言いますが何からの自由?養老孟司氏が現代人ほど人間嫌いな時代はないと言ってましたがひょっとして自分以外の他人からの解放=自我の目覚めの快感か?それが生きてる実感に繋がるならなんか侘しい現代人、わざわざ人のいない山に来てるのに人の気配を探してる自分もいたりして(時に理解できない気配も)、生きるとは自分の中のいろんな自分を認証し色々な矛盾に折り合いをつけることだと思
2024年2月7日 22:54
久万高原町に河の子という廃村がありますずっとその村名が気になっていてやっと先日訪れる事ができました。昭和20年代、川の子川沿で林業で栄え、森林鉄道も走っていた高知県との県境の村です村への道は面河渓のずっと手前を右に林道を入ります村の最盛期の頃は高知から仕事をしに椿山から峠(高台越)を越えて沢山の人が行き来したようです。岩屋寺の祭りの時は女子供も遊びに来たとあります今、廃村となって
2023年9月19日 22:15
愛媛に20年ぶりにUターンしてから登山に嵌り、10年。初めのころこそ、征服欲、達成感、自己満、格好だったけど次第に登山中の心穏やかな心地よい時間に気づく。普段人工物に囲まれた街暮らしの中で、自然は良いよね、の基準とはその価値が変わる。誰もいない山塊(恐らく)でただ1人の時の圧倒的な木々や獣達の意志、気配。少しずつ自分が山の中に馴染んでいく感覚と感動歩くは良い。歩けるってほんと