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明ける朝は来るのか。夜が怖かった”あの頃”の話。

子どもの頃、夜はいつも怖かった。それは誰にでも言えることだと思います。左右に父と母や兄弟が寝ていても、夜トイレに行くのはとても怖いもの。トイレの電気がつくまでが恐怖です。でも私の恐怖はそれとは少し違っていました。

小さい頃、私は天国に行くとき何も持って行けないことを知っていたのです。たったひとりで裸足のまま暗い夜道をトボトボと行かなければならないことも。それが突然訪れる”さよなら”であることも知っていました。

なぜなら、私は毎日そういう現場で暮らしていたからです。そう、小さな子どもが親と離れて病気と戦う『小児病棟』が我が家でした。小児病棟の夜は暗くつまらないものでした。

消灯は20時。子どもは20時になったら寝なくてはなりません。でも眠れるわけがない。昼間もずっと寝ているのですから。

朝は6時に起こされます。朝ご飯は8時。そこから診察、血液検査、レントゲン。様々な検査を午前中に行い、12時にお昼を食べて歯を磨き、13時から15時まで寝る。眠くなくてもその時間は点滴をしているので、ベッドで寝ていなくてはなりません。点滴が始まる前にトイレに行って、洗面を済ませます。

昔の小児病棟の大部屋は、子ども用の柵が付いたベッドが右から左まで一定間隔を空けて(小灯台の大きさを間に)ずらっと並んでいました。お昼寝の時間になると点滴を乗せたワゴンがナースセンターから『ガチャ』『ガチャ』とガラスやステンレスの音をさせて近づいて来ます。

ベッドの脇に看護師さんが来ると「〇〇ちゃん、手を出してね」と。子どもは涙を我慢しながら小さな指で自分のパジャマを託し上げていくのです。そのパジャマから現れる腕の肘の辺りには内出血の痕があります。

細くなった血管は点滴の針などもう我慢してくれません。漏れた点滴は子どもの腕に青や紫の悲しみを残していきました。前日とは違う方の腕を出して交互にしていますが、毎日の酷使に腕は徐々に悲鳴を上げていきます。

当時の針は、今のように優れたものではありませんでした。手を曲げても血管に沿って曲がってくれるわけではなくて、手を板の上に乗せてその上で白い幅広のテープでぐるぐる巻いて腕を固定していました。数時間固定すると手はまっすぐ棒のようになり、針を抜くときの痛さも特に気にならないほど感覚がおかしくなっていきます。

お昼寝の後には面会時間が始まり、子どもたちは少しだけ活気付きます。一日24時間中4時間だけ、子どもらしい時間を過ごすのです。18時に夕飯を食べると親は帰っていき、いつもの小児病棟に戻ります。

19時からは寝る支度、夜の点滴、夜のお薬……やることはいっぱいです。子どもたちに入浴の時間は与えられておらず、体を拭いてから着替えるだけ。入浴は体力のある人ができることで、入院患者の子どもたちはお風呂に入ることはできません。20時、真っ白いシーツと白い掛け布団の中でひとり静かに横になり、点滴のワゴンを待つのです。

大部屋はコダマの灯を残して消灯されました。看護婦さんの懐中電灯の灯り、そして病棟の廊下の灯りだけ。病院の廊下は暗くて、トイレはずっと向こうのほうにあり、いつも怖かったのです。

トイレを我慢したかった、けれでもそれはできない。なぜなら腕にはまだ点滴が入っていたからです。子どもたちは1人2人と、看護婦さんを呼ぶためにブザーを鳴らしています。

「トイレに行きたい」「オシッコに行きたい」

私はそれをしませんでした。『ああ、今日もまた、あと30分』消えていく点滴の量で、自分の時間を測っていました。ちょうど22時になると点滴が終わるはず。「○○ちゃん、点滴が終わったらブザーを鳴らしてね。でも一応見に来るからね」看護婦さんは、いつもそう言って絆創膏を貼ってくれました。

点滴の管を最後の輸液が流れていき始めたら、あと5秒。ちっちっち。ブザーを鳴らします。自由になるとひとりでトイレに向かいました。22時、真っ暗な廊下でトイレの電気をつけるとき、私は「ああ、今日も生きた」と思ったのです。

朝が来るのをひたすら待ち続けます。隣のベッドの○○ちゃんがその時どういう運命になっているのかを知らずに、ベッドの上で次第に意識は眠りに向かいました。

朝を迎えた時、昨夜22時まではお隣にいた○○ちゃんがもういない。ベッドの下にはウサギのぬいぐるみが転がっています。

病院の夜は本当に怖い。

わたしは明日の朝生きてるのだろうか。いつもそんなことを考えながら眠りに着いていました。

夜中に退院する子を見送ることは一度もありませんでした。子ども心に「いいことをして昼間に退院したい」と感じたことを思い出します。『徳を積む』そんな言葉は知りませんでしたが、生きる本質は教わらなくても体得していたのだと。高齢になって振り返ってみて、そう思います。


※最後に、この記事は過去のツイートをもとに作成いたしました。

#眠れない夜に

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